そもそもバーチャルアイドルって何?
いろいろな定義がバーチャルアイドルという言葉にはあるのですが、「本物の人間のアイドル」以外の「架空に作られたアイドル」こそバーチャルアイドルである、というのが一番わかりやすいかと思います。
大活躍の初音ミク
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最近の例としては、初音ミクが一番有名でしょう。
彼女は「ボーカロイド」という、パソコン上で歌わせるための「合成音声」ソフトです。
たとえばユーザーが、オリジナル曲を作詞作曲したとします。それを「本物の人間のアイドル」の代わりに歌ってくれるのが初音ミクなのです。
彼女はすでにCDを150枚以上出し、オリコンチャートでアルバム売り上げ第1位に輝いたこともあります。
2016年から中村獅童とコラボレーションして、毎年、歌舞伎を公演しているので、ニュースでご覧になった方も多いのでは。
また2018年、紅白歌合戦のオープニング映像にも出演していました。
彼女は「ボーカロイド」という、パソコン上で歌わせるための「合成音声」ソフトです。
たとえばユーザーが、オリジナル曲を作詞作曲したとします。それを「本物の人間のアイドル」の代わりに歌ってくれるのが初音ミクなのです。
彼女はすでにCDを150枚以上出し、オリコンチャートでアルバム売り上げ第1位に輝いたこともあります。
2016年から中村獅童とコラボレーションして、毎年、歌舞伎を公演しているので、ニュースでご覧になった方も多いのでは。
また2018年、紅白歌合戦のオープニング映像にも出演していました。
バーチャルアイドルの最初は誰か?
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一般的には、1982年から放送されたアニメ「超時空要塞マクロス」に出てくるアイドル、リン・ミンメイが最初ではないかと言われています。声優は飯島真理が担当し、同作品の劇場版主題歌だった「愛・おぼえていますか」はオリコンチャートで7位を記録しました。「ザ・ベストテン」などのテレビ音楽番組にも出演しています。
その後、リン・ミンメイに続いてたくさんのバーチャルアイドルがアニメから誕生しました。「魔法の天使クリィミーマミ」のマミ、「メガゾーン23」の時祭イヴなど、それこそ数え切れません。
その後、リン・ミンメイに続いてたくさんのバーチャルアイドルがアニメから誕生しました。「魔法の天使クリィミーマミ」のマミ、「メガゾーン23」の時祭イヴなど、それこそ数え切れません。
ラジオ発のバーチャルアイドル、芳賀ゆい
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そんな中、アニメ以外からもバーチャルアイドルが誕生しました。
当時から現在までの歴史の中でも、ラジオから生まれたという極めて珍しい存在です。
彼女こそ1989年にデビューした芳賀ゆい、という当時15歳の女の子なのです。
本名、樋口麻紀子。
1974年4月15日兵庫県神戸市生まれ。
身長158cm、体重44kg。
バスト78cm、ウエスト58cm、ヒップ80cm。
血液型O型。
1989年に第1回ミス・ポニーテール・コンテストに応募し、日本青年館で行なわれた最終選考でグランプリ受賞。
……という設定です。そう、設定なのです。世の中には樋口麻紀子なんて女の子はいませんし(同姓同名の子はいたかも知れませんが)、ミス・ポニーテール・コンテストだって開かれてはいないのです!
彼女はそもそも、1989年11月頃「伊集院光のオールナイトニッポン」の企画から生まれました。
基本設定は、当時の伊集院光の理想像だったポニーテールが似合う小柄の女の子。それにリスナーと共に、たくさんの設定が付け加えられていきます。実家がパン屋さんだとか、ペットに猫がいるとか。
ちなみに、デビューのきっかけになったコンテストの応募写真は、父親が撮影したという設定なんだそうです。
当時から現在までの歴史の中でも、ラジオから生まれたという極めて珍しい存在です。
彼女こそ1989年にデビューした芳賀ゆい、という当時15歳の女の子なのです。
本名、樋口麻紀子。
1974年4月15日兵庫県神戸市生まれ。
身長158cm、体重44kg。
バスト78cm、ウエスト58cm、ヒップ80cm。
血液型O型。
1989年に第1回ミス・ポニーテール・コンテストに応募し、日本青年館で行なわれた最終選考でグランプリ受賞。
……という設定です。そう、設定なのです。世の中には樋口麻紀子なんて女の子はいませんし(同姓同名の子はいたかも知れませんが)、ミス・ポニーテール・コンテストだって開かれてはいないのです!
彼女はそもそも、1989年11月頃「伊集院光のオールナイトニッポン」の企画から生まれました。
基本設定は、当時の伊集院光の理想像だったポニーテールが似合う小柄の女の子。それにリスナーと共に、たくさんの設定が付け加えられていきます。実家がパン屋さんだとか、ペットに猫がいるとか。
ちなみに、デビューのきっかけになったコンテストの応募写真は、父親が撮影したという設定なんだそうです。
理想のアイドルを求めて
当時の一般的なアイドルには、極端に清純なイメージが求められていました。男性とのお付き合いなんてもちろんNG。グラビアに派手な水着はNG、トイレの話題だってNGでした。
そんな中「そんなに現実から乖離した女の子が好きなら、理想そのままのアイドルを作ってしまおう」というのが、そもそもの企画スタートだったようです。
だからラジオから生まれた芳賀ゆいは、理想のアイドルの容姿イメージを守るため、あえてメディアに露出する際は素顔を公開しませんでした。
1990年2月の握手会では、ファンの目にふれたのは、彼女の手だけだったのです。
1990年7月にはCD「星空のパスポート」が発売。
8月にはビデオ「はがゆい伝説」が発売。
9月には写真集「う・そ・つ・き」が発売。
CD発売記念即売会、写真集発売記念サイン会には3人の芳賀ゆい、10月のライブでは5人の芳賀ゆいが登場したそうです。みんなのイメージを極力壊さないために、そんな手段が取られたのでした。
そんな中「そんなに現実から乖離した女の子が好きなら、理想そのままのアイドルを作ってしまおう」というのが、そもそもの企画スタートだったようです。
だからラジオから生まれた芳賀ゆいは、理想のアイドルの容姿イメージを守るため、あえてメディアに露出する際は素顔を公開しませんでした。
1990年2月の握手会では、ファンの目にふれたのは、彼女の手だけだったのです。
1990年7月にはCD「星空のパスポート」が発売。
8月にはビデオ「はがゆい伝説」が発売。
9月には写真集「う・そ・つ・き」が発売。
CD発売記念即売会、写真集発売記念サイン会には3人の芳賀ゆい、10月のライブでは5人の芳賀ゆいが登場したそうです。みんなのイメージを極力壊さないために、そんな手段が取られたのでした。
芳賀ゆい、留学
1990年9月で「伊集院光のオールナイトニッポン」は終了しました。それに伴って、このバーチャルアイドルの企画も終了します。
10月11日、台湾に留学する芳賀ゆいを見送るために、羽田空港には30人ほどのファンが集まったとのこと。番組から出されたルール通りに騒ぐことはなく、13時25分発の中華航空機をみんなで思い思いに見送ったそうです。
……もちろん、その飛行機に芳賀ゆいなんて乗っていません。
10月11日、台湾に留学する芳賀ゆいを見送るために、羽田空港には30人ほどのファンが集まったとのこと。番組から出されたルール通りに騒ぐことはなく、13時25分発の中華航空機をみんなで思い思いに見送ったそうです。
……もちろん、その飛行機に芳賀ゆいなんて乗っていません。
その後のバーチャルアイドルたち
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