私、市川大河が、書評サイトシミルボンで連載している、
『機動戦士ガンダムを読む!』での、再現画像で使用しているガンプラを、
古い物から最新の物まで片っ端から紹介していこうというテーマのこの記事。
今回紹介するのは、古くからガンプラファンの間で唱えられてる信仰(笑)に「ドムにハズレ無し。ゲルググに当たり無し」とまで言われた、そのドムの1/144平成版、HGUCのドム/リック・ドムのご紹介です!
今回紹介するのは、古くからガンプラファンの間で唱えられてる信仰(笑)に「ドムにハズレ無し。ゲルググに当たり無し」とまで言われた、そのドムの1/144平成版、HGUCのドム/リック・ドムのご紹介です!
ドム/リック・ドム 1/144 HGUC 059 2006年1月 1700円
さてさて、いきなり難しい問題ではあるが。
「『機動戦士ガンダム』(1979年)に登場したモビルスーツ、ドムと、ドムの宇宙戦仕様のリック・ドムは、果たしてデザインは同じかどうか?」
これ、80年代のガンダムブーム、特に当時のガンプラブームのメディア展開事情とかメカマニアサイドの視点を知らないと、迂闊にYesともNoとも、回答が出来ないという難問なのよね。
「『機動戦士ガンダム』(1979年)に登場したモビルスーツ、ドムと、ドムの宇宙戦仕様のリック・ドムは、果たしてデザインは同じかどうか?」
これ、80年代のガンダムブーム、特に当時のガンプラブームのメディア展開事情とかメカマニアサイドの視点を知らないと、迂闊にYesともNoとも、回答が出来ないという難問なのよね。
一応、“当時のアニメ制作公式設定的”には、“ドムとリック・ドムで、設定画は分けられてはいなかった”という事実は、まぁ大前提ね。
それは、初期にザクが量産型として登場したのと同じで、零細企業アニメだったガンダムでは、一度描いたドムの地上での活躍シーンも、そのままバンクで宇宙戦でも使いまわさなければいけなかったというのもあるし、当時の日本サンライズ(現。サンライズ)のガンダム班スタジオが、それこそ戦時中のような修羅場続きであったため、個々の才能の単発的発露(後述)演出はあっても、このタイミングで新型デザインの量産型モビルスーツを出せる余裕は(ジオン以上に)なかったのも事実。
それは、初期にザクが量産型として登場したのと同じで、零細企業アニメだったガンダムでは、一度描いたドムの地上での活躍シーンも、そのままバンクで宇宙戦でも使いまわさなければいけなかったというのもあるし、当時の日本サンライズ(現。サンライズ)のガンダム班スタジオが、それこそ戦時中のような修羅場続きであったため、個々の才能の単発的発露(後述)演出はあっても、このタイミングで新型デザインの量産型モビルスーツを出せる余裕は(ジオン以上に)なかったのも事実。
まぁもっとも、ガンプラブーム絶頂期のバンダイなんて、そういう意味ではちゃっかりしていて、ドムとリック・ドムが、名前こそ違えどデザインは一緒なのをいいことに、ガンプラ初動の1980年11月には、1/100で「ドム」をキット化しておいて、その後半年以上経ってから、1/144を「リック・ドム」として発売するというユニークなビジネスを展開。
イマドキならむしろコンパチか、二つのスケールで同じ金型で二つずつ出しても不思議はないが、当時は逆に、スケール違いで互いにネーミングを交換し合うことで、バンダイは「どっちも模型化はしました」というアリバイを得られたという発想の時代。
もちろん、アニメデザイン的にも模型の技術論的にも、ドムとリック・ドムの差異なんて認識は(当時は)ないわけなので、1/100をリック・ドムとして扱うユーザーも、1/144をドムとして組み立てるユーザーも、どちらも当たり前にいて、当時は誰も不思議に思わなかったという、そんなおおらかな時代背景がまずあって。
逆をいうと、あの熱狂的なガンプラブームにおいてさえ、明確なネーミング冠での、1/144 ドムと1/100 リック・ドムは、存在しなかったのである。
イマドキならむしろコンパチか、二つのスケールで同じ金型で二つずつ出しても不思議はないが、当時は逆に、スケール違いで互いにネーミングを交換し合うことで、バンダイは「どっちも模型化はしました」というアリバイを得られたという発想の時代。
もちろん、アニメデザイン的にも模型の技術論的にも、ドムとリック・ドムの差異なんて認識は(当時は)ないわけなので、1/100をリック・ドムとして扱うユーザーも、1/144をドムとして組み立てるユーザーも、どちらも当たり前にいて、当時は誰も不思議に思わなかったという、そんなおおらかな時代背景がまずあって。
逆をいうと、あの熱狂的なガンプラブームにおいてさえ、明確なネーミング冠での、1/144 ドムと1/100 リック・ドムは、存在しなかったのである。
つまり、今回紹介するHGUC ドム リック・ドムのコンパチキットは、「1/144スケールの無印ドム」としては、ガンプラ史上で初のキット化という、今更感漂ううれしくもない栄冠が付いてきたのである。
確かに、イマドキのガンダムファン、ガンプラファンの間では、ドムとリック・ドムは、正しく区別されているし、今回のHGUC版でも、ドムとリック・ドムのどちらを選ぶかで、組み立てるパーツは違ってくるというのは、一応“これも正解”なのである。
確かに、イマドキのガンダムファン、ガンプラファンの間では、ドムとリック・ドムは、正しく区別されているし、今回のHGUC版でも、ドムとリック・ドムのどちらを選ぶかで、組み立てるパーツは違ってくるというのは、一応“これも正解”なのである。
「リック・ドムは、元のドムとは、スカートの形状や、スカート内のバーニアの存在など、細部デザインがいろいろ違う」は、ある意味で正しく、ある意味で後付けの嘘設定とも言い切れるのだ。
確かに、『機動戦士ガンダム』(1979年)後半のリック・ドム登場シーンでは、スカートや脚部フレア内部にバーニアが見えるカットが印象的に挿入されていて、それは劇場版『機動戦士ガンダム㈽ めぐりあい宇宙編』(1982年)では、さらに新作画部分でも強調されるのではあるが、これはそもそも、メカ作画を得意としていた、当時の原画マン、板野一郎氏の独断アイディア作画が発端であり、この当時はまだ公式設定ではなかった。この場合「公式設定ではない」とは、大河原邦男氏によるリック・ドム専用のデザイン画が存在していないという制作状況を指す。そういう線引きをしないと、「『機動戦士ガンダム』メカニックでは、連邦軍には、どうみても勇者ライディーンやダイターン3にしか見えないモビルスーツが、配備されて実戦投入されていた」などという与太話まで公式化しなければいけなくなる。
確かに、『機動戦士ガンダム』(1979年)後半のリック・ドム登場シーンでは、スカートや脚部フレア内部にバーニアが見えるカットが印象的に挿入されていて、それは劇場版『機動戦士ガンダム㈽ めぐりあい宇宙編』(1982年)では、さらに新作画部分でも強調されるのではあるが、これはそもそも、メカ作画を得意としていた、当時の原画マン、板野一郎氏の独断アイディア作画が発端であり、この当時はまだ公式設定ではなかった。この場合「公式設定ではない」とは、大河原邦男氏によるリック・ドム専用のデザイン画が存在していないという制作状況を指す。そういう線引きをしないと、「『機動戦士ガンダム』メカニックでは、連邦軍には、どうみても勇者ライディーンやダイターン3にしか見えないモビルスーツが、配備されて実戦投入されていた」などという与太話まで公式化しなければいけなくなる。
やがて、多くのガンプラモデラー達が、この、板野氏の思い付きとお遊びに乗っかる形で、リック・ドムの作例で、ディティールとしてバーニアを追加装備させるお約束が出来上がっていったのである。
やがて、1999年にバンダイが、1/100 マスターグレード(MG)で、6月にドムを、10月にリック・ドムを、それぞれ別個の機体として発売した際、MS形式番号の変更とともに、正式にドムとリック・ドムとが、スカートの形(ここをドムとの差別化ポイントにしたのは、『機動戦士ガンダム㈽ めぐりあい宇宙編』の新作シーンで、リック・ドムを視認したカイ・シデンが「スカート付き」と表現したことから逆算されて設定されたと思われる)やバーニアの有無などで、両者が差別化されるに至った。
やがて、1999年にバンダイが、1/100 マスターグレード(MG)で、6月にドムを、10月にリック・ドムを、それぞれ別個の機体として発売した際、MS形式番号の変更とともに、正式にドムとリック・ドムとが、スカートの形(ここをドムとの差別化ポイントにしたのは、『機動戦士ガンダム㈽ めぐりあい宇宙編』の新作シーンで、リック・ドムを視認したカイ・シデンが「スカート付き」と表現したことから逆算されて設定されたと思われる)やバーニアの有無などで、両者が差別化されるに至った。
なので、今回のHGUC版でも、後部スカートパーツと、(MG版以降の新解釈としての)バックパックスラスターの大きさなどで、ドムとリック・ドムを選択区別している。
ものすごく余談だが、ドムとリック・ドムの違いが、微細なディティールだけではビジネス上弱いと思われたからか、近年ではプラモデルや完成品フィギュアの商品では、ドムではなくリック・ドムには、ビームバズーカなる、アニメ本編では観たこともない武装がつけられることで、ドムとの差別化を図っているが、その珍妙な武装に関する詳細な解説は、いずれ「シャア専用リック・ドム」の項目で触れる予定なので、とりあえず今この場では「そんな代物は存在しない」前提で話を進める。