マルチな活躍ぶりを見せた吉永小百合さん
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ミドルエッジ内には、すでに吉永小百合さんのことを扱った記事がありますので、そちらのリンクも掲載させていただきます。こちらも、ぜひご覧になってみてください。
「美しいだけじゃない」清楚!可憐!凛としたたたずまい!永遠の女優【吉永小百合】めっちゃ可愛い - Middle Edge(ミドルエッジ)
僕の中で日本の女優No.1です。これだけ綺麗なお歳の召された方も珍しいのではないでしょうか?あまりの美しさに圧倒されてしまうのですが、1人の人間「吉永小百合」をどうしても書いてみたくなりました。あまりにもつたない文章でご批判もございましょうが、一生懸命に書きましたので、是非ともご覧ください。
当記事では、少し違った目線で吉永小百合さんの魅力をお伝えできればと思います。
吉永小百合さんの経歴
1945年、吉永家に三姉妹の次女として生を受けた吉永小百合さん。父親は東大法学部卒業のエリートで、出版社を経営していたそうです。しかし、会社運営は上手くいかず、幼少期の吉永小百合さんは貧しい暮らしを強いられていたといいます。
母親がピアノ教室を開いて生計を立てていた時期もあるそうで、かなり厳しい生活ぶりが伺えます。しかし、将来は芸能界で華々しく活躍する吉永小百合さん。その土壌は、こうした生い立ちによって育まれたのかもしれませんね。
そんな吉永小百合さんが芸能界デビューしたのは小学6年生の時。1957年に連続ラジオ・テレビドラマとして放送された『赤胴鈴之助』に出演し、その2年後となる1959年には映画『朝を呼ぶ口笛』で銀幕デビューも飾りました。
その当時は小中高と公立校に通いながら、芸能生活もこなし、学業と芸能を両立させていたというので凄いですよね。
その当時は小中高と公立校に通いながら、芸能生活もこなし、学業と芸能を両立させていたというので凄いですよね。
1962年、映画『キューポラのある街』にヒロイン役で出演。その年に発売した歌曲『寒い朝』は20万枚を超えるヒットを記録し、続いて発売した橘幸夫さんとのデュエット『いつまでも夢を』の売上枚数は30万枚を超えました。
ご結婚後も吉永小百合さんは女優として生きることを選び、映画・テレビドラマといった分野で活躍しています。現在は、テレビドラマへの出演もなく、テレビ出演はCMのみといった状況。
1980年代からは反戦・反原発といった活動もしており、ライフワークとしていることでも有名ですよね。
意外なのは舞台への出演を頑なに断っていること。あくまで映画女優として、その肩書きに強いこだわりを持っていることが伺えます。
1980年代からは反戦・反原発といった活動もしており、ライフワークとしていることでも有名ですよね。
意外なのは舞台への出演を頑なに断っていること。あくまで映画女優として、その肩書きに強いこだわりを持っていることが伺えます。
吉永小百合さんの愛欲エピソード
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しかし、渡哲也さん以外の男性遍歴についてもご紹介していきたいと思います。
まずはイケメン俳優として名を馳せた中尾彬さん。
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ねじりマフラーと独特のキャラでお馴染み!中尾彬の来歴や代表作・最近の活動! - Middle Edge(ミドルエッジ)
中尾彬さんといえば、マフラーをねじって身につける独特のファッションスタイルで知られ、さらには、芸能界きってのおしどり夫婦、個性的なキャラクターといった要素も挙げられますよね。そんな中尾彬さんの来歴や代表作・最近の活動内容をまとめましたので、ぜひご覧になってください。
(旧姓:吉永)
生年月日:1945年3月13日
出身地 :東京都渋谷区
血液型 :O型
職業 :女優
歌手
ナレーター
活動期間:1957年