都倉俊一がうらやましいと思ったもの
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自分でデモテープ作っているときは自分が気に入っている感じで歌ったり、弾いたり。レコーディングして発売になったら、アイドルソングになっちゃうっていうケースがほとんど。(略)それはしょうがない、それはその時代と、僕たちはシンガーソングライターじゃないんだから。でも桑田佳祐さんとかちょっと後で出てきた人達を見ると羨ましいですよね。自分の表現を自分の曲でする、っていう。ただそれは僕の仕事じゃないと思っていたんです、ずっと。
自分の好きな曲を自分のために作ることに羨ましいという都倉俊一さん。これまで求められる曲を作り続けてきた中にもそんな思いがあったことにヒットメーカーとしての本音を見た気がします。
都倉俊一が選ぶ1曲
これまで数々の曲を作ってきた都倉俊一さんが自身の曲の中で1曲を選んだのは、1973年ペドロ&カプリシャスの「五番街のマリーへ」です。
こちらも阿久悠さんとのコンビです。
2人で2~3日合宿して作り上げた曲と言うエピソードがあります。
こちらも阿久悠さんとのコンビです。
2人で2~3日合宿して作り上げた曲と言うエピソードがあります。
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2、3日で作んなきゃいけないって言うんで、めずらしく阿久悠さんと2人で合宿して、キャッチボールしながら作った数少ない曲のひとつなんです。阿久さんとは打ち合わせしたことがないって、さっき申し上げたでしょ。これだけは、同じ船に乗っててどこにも行けないから、港に着いたらディレクターに譜面と詞を。楽しくて、苦しい思い出があります。
2~3日で作ったにしては名作過ぎてと思ってしまいます。大作詞家と大作曲家の先生が2人でどんな感じで作っていたのでしょう。ただ名作というのは時間をかければ出来るわけでもなく、その時の状況ややはり、作り手のセンスと技術なのかなと思います。
まとめ
長い間、音楽の世界にいらっしゃる都倉俊一さん。2021年4月から文化庁長官を務められています。ミドルエイジには懐かしい都倉俊一さんの名曲を今の時代に改めて聞いてみるのはいかがでしょうか。
1977年桑田佳祐さん率いるバンド「サザンオールスターズ」がデビューします。その後、次々とそれまでの日本の音楽シーンになかった独自の音楽を作り出していく桑田佳祐さんの才能を目の当たりにし、都倉俊一さんがうらやましいと思ったと言います。