【スキャンダルにまみれた苦悩の?エース】元巨人・桑田真澄さんの波乱万丈の人生
2017年7月1日 更新

【スキャンダルにまみれた苦悩の?エース】元巨人・桑田真澄さんの波乱万丈の人生

「KKコンビ」として甲子園を史上最大級に沸かせたPL学園の桑田真澄さん。しかし、彼の野球人生は、栄光ばかりではありませんでした。あることないことを書かれ、非常につらい思いも。真実はもちろんご本人にしかわかりませんが、彼の人となりを紹介してみたいと思います。

28,505 view

野球大好きのスパルタの父のもとに生まれる。

1968年4月1日、兵庫県西宮市で桑田真澄さんは誕生します。
(wikipediaでは大阪府八尾市出身とありますが、これは正確ではなさそうです。4歳の時に大阪府に引っ越されたという情報が正しいようです。)
西宮市は甲子園の所在地。まさに生まれながらにして、甲子園を沸かす運命にあったようにも思えます。
桑田さんの父親・泰次さんは、大の野球好きで、赤ちゃんである真澄さんの枕元に野球道具を置き、将来は絶対に野球選手にする、と意気込んでいたそうです。

2歳になると、もう桑田さんは野球道具を担いで、バッティング・ピッチングをするという末恐ろしいお子さんになっていました。
野球道具を担ぐ桑田真澄さん

野球道具を担ぐ桑田真澄さん

2歳でバッティング

2歳でバッティング

2歳でピッチング

2歳でピッチング

8歳で少年野球チーム「八尾フレンド」に入団。

8歳で少年野球チームに入団すると、父・泰次さんのスパルタ指導はさらに加速していきます。
こわい!桑田さんのお父さん

こわい!桑田さんのお父さん

父の指導に従って、毎日5kmのランニング、1時間のキャッチボールを毎日!
やらされる子供もたまったものではありませんが、これに毎日付き合うお父さんのほうがすごいとも思います。
よっぽどお父さんは野球が好きだったんですね。
桑田真澄さんが子供の頃に描いた長期展望。

桑田真澄さんが子供の頃に描いた長期展望。

小学生ー中学生の頃には、既に、自分は将来PL学園に入り、早稲田大学に進み、巨人に入るんだ、という目標を立てます。
そこで、「早稲田大学に入るには勉強ができなければ無理よ」と、お母さんの敏恵さんに言われて、勉強も併せて力を入れるようになります。
結果的に早稲田大学には入りませんでしたが、その経験は、今の桑田さんのインテリっぽい雰囲気の一つの要因になっているのかもしれません。
桑田真澄さんの輝かしい活躍については、こちらの記事をぜひご覧ください。
この記事では、桑田さんが心無い周囲の人から受けた「バッシング」について、ご本人が出演された番組の情報をもとに、ご紹介します。
ただし、wikipediaの情報と食い違う点もあり、真相はわかりません。

巨人入団時の経緯の不可解さ。

早稲田ー巨人へと進むと宣言していた桑田さん

早稲田ー巨人へと進むと宣言していた桑田さん

巨人か阪神以外は行きたくないと宣言していた清原和博さん

巨人か阪神以外は行きたくないと宣言していた清原和博さん

ドラフトで分かれた2人の運命。

「早稲田大学に進学する」と宣言していた桑田さんですが、巨人がドラフトで1位に桑田さんを指名します。
結局、清原さんは意中の外である西武に指名されます。

このことが、世間では、「桑田さんは実は巨人と裏取引をしていて、表向きは早稲田に進学するから他球団からの指名をあきらめさせておいて、やすやすと巨人の単独1位指名を勝ち取ったのではないか」と非難されます。
呆然の清原さん

呆然の清原さん

マスコミに非難される桑田さん

マスコミに非難される桑田さん

44 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

猛虎旋風、広岡西武、KKドラフト…85年のプロ野球を特集した「よみがえる1980年代のプロ野球Part.1」が発売!

猛虎旋風、広岡西武、KKドラフト…85年のプロ野球を特集した「よみがえる1980年代のプロ野球Part.1」が発売!

ベースボール・マガジン社より、80年代のプロ野球を特集した書籍「よみがえる1980年代のプロ野球」の第一弾となる「Part.1 [1985年編] (週刊ベースボール別冊空風号)」が現在好評発売中です。
隣人速報 | 1,574 view
【清原和博】縦縞を横縞に!でも阪神ではなく巨人を選んだFA裏話

【清原和博】縦縞を横縞に!でも阪神ではなく巨人を選んだFA裏話

1996年のオフシーズン、当時、西武ライオンズの選手だった清原和博がFAを宣言して、その移籍先が話題となりました。候補は2球団で、阪神タイガースか読売ジャイアンツ。最終的には巨人を選びますが、なぜドラフト会議で切られた因縁の球団を選んだのでしょうか。当時のことを、清原和博が松村邦洋に語ります。
izaiza347 | 283 view
【高校野球】PL学園のKKコンビを撃破!甲子園で勝利した3人の投手たち

【高校野球】PL学園のKKコンビを撃破!甲子園で勝利した3人の投手たち

KKコンビがいた頃のPL学園は当時最強のチームで、清原と桑田は1年生の夏から3年間フルに甲子園に出場しました。戦績は最強チームらしく、優勝2回、準優勝2回、四強1回。しかし逆に言うと、PL学園を破った高校が3校もあったということになります。今回は、その3校と各々のエース投手を中心に振り返ります。
izaiza347 | 1,749 view
1989年バブル絶頂~2004年球界再編問題「たかが選手が」球団vs選手会  ライブドアvs楽天  旧vs新  置き去りになった近鉄ファン

1989年バブル絶頂~2004年球界再編問題「たかが選手が」球団vs選手会 ライブドアvs楽天 旧vs新 置き去りになった近鉄ファン

近鉄とオリックスの合併、球界再編問題、ストライキ、IT企業のプロ野球参入合戦、近鉄バッファローズ消滅、オリックスバッファローズ、楽天イーグルス誕生 夢と感動がいっぱいのプロ野球の裏側では、それを支えるドロドロの利権と古い体質を持つ巨大な権力があった。
RAOH | 2,132 view
桑田真澄 桑田ロード、すなわち野球道 小さな体をした真のエース

桑田真澄 桑田ロード、すなわち野球道 小さな体をした真のエース

本来、「すみませんでした」という謝罪は「澄みませんでした」 ということ。そういう意味で桑田真澄はほんとうに澄んだ男なのかもしれない。数字や勝ち負けなどの結果や巨額の年俸がクローズアップされやすいプロ野球において、「結果はクソ」とプロセス主義を貫き、「試練や困難は自分を磨くための砥石」「努力している自分が好き 」と自分を磨くこと「人間力」を上げることを人生の価値とした。そしてライバル清原和博同様、スケールの大きな、そして好対照な野球道を歩んだ。
RAOH | 8,229 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト