【スキャンダルにまみれた苦悩の?エース】元巨人・桑田真澄さんの波乱万丈の人生
2017年7月1日 更新

【スキャンダルにまみれた苦悩の?エース】元巨人・桑田真澄さんの波乱万丈の人生

「KKコンビ」として甲子園を史上最大級に沸かせたPL学園の桑田真澄さん。しかし、彼の野球人生は、栄光ばかりではありませんでした。あることないことを書かれ、非常につらい思いも。真実はもちろんご本人にしかわかりませんが、彼の人となりを紹介してみたいと思います。

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巨人への入団の記者会見で、記者が、「(早稲田への進学を隠れ蓑にしたと)ウソをついたんですか?」と質問されます。
それに対し、桑田さんが返した言葉は、「そう思うなら、そう思っていただければそれでいいです。」という答えでした。
非常にそっけない答えですが、マスコミ慣れしている芸人さんならいざ知らず、高校生である桑田さんが返せた言葉は、それしかなかったのかもしれません。
そっけなく答える桑田さん。

そっけなく答える桑田さん。

桑田さんが早稲田大学に進学しようとした理由と一転して巨人に入団したのは。

もちろん真相はご本人にしかわからない、ということを前提で、書いています。
桑田さんが早稲田大学に進学しようとしたのには、このような事情がありました。
「自分の体格、能力では、高卒ですぐプロに入っても使い物にならない。清原なら立派な体格をしているので通用するだろうが、自分は大学で鍛え上げて、プロになろう」という、明確なヴィジョンがあったようです。
なので、おそらく、「世間を欺いて早稲田に行くと言っておいて、巨人の単独指名を受けよう」という考えはなかったのでしょう。

一方で、桑田さんには、このような考えもありました。
「自分で考えてもどうにもならないことは、神様に任せよう。野球の神様というものは存在する。最後は神様が自分のいいように決めてくださる。」という「お祈り」のような気持ちで過ごしていたと、語っています。
宗教のあるPL学園だからなのか、どうなのか、そこはわかりませんが、そうしてお祈りをした結果、巨人に単独指名を受けたのは、神様がそうしなさいということなのだと、運命として受け入れた、と語っています。
大学に進学して、その後巨人に指名される確率は100%ではない。だったら、描いていた夢を引き寄せたのだから、それを受け入れよう、という気持ちだったと語っています。
100日間お参りをしたそうです。

100日間お参りをしたそうです。

プロでの活躍、そして、スキャンダル本の登場

プロでの華々しい活躍については、他の記事に譲ろうと思います。
ここでは、桑田さんを襲ったスキャンダル本について書きます。
スキャンダル本

スキャンダル本

本当はこの本の画像は使いたくないのですが・・・。
この本の著者は、桑田さんとかかわりのあった運動具メーカーの元社員だったようです。そこで暴露された内容が、「運動具メーカーから裏金を受け取ったのではないか」という疑惑と、「登板日を外部に漏らし、野球賭博に肩入れしたのではないか」という疑惑です。

番組内では、「身の潔白が証明された」とありますが、wikipediaでは、野球賭博はないとされたものの、裏金は受け取ったとされ、謹慎処分を受けた、となっています。

「投げる不動産屋」「借金王」という名前をつけられる。

借金まみれになってしまった。

借金まみれになってしまった。

桑田さんが土地転がしをしたわけではなかった。

一般のイメージは、桑田さん自身が不動産を買いあさり、その後バブル崩壊で多額の損失を被ったと認識されていますが、そうではない、と語っています。
そもそも野球の練習で忙しく、土地の転売などする暇も、知識もなかった、と語っています。
真相は、桑田さんの姉の夫が、桑田さんの名前を保証人として使い、結果多額の借金を負った、ということのようです。
これにより、桑田さんは自宅を含めて財産をすべて失い、世間からは、「投げる不動産屋」「借金王」と呼ばれます。
桑田さんは、自分を育ててくれたお母さんに恩返しをしようと、ようやく手に入れたマイホームを、1年で失う結果となってしまいました。
屈辱の呼ばれ方。

屈辱の呼ばれ方。

桑田さんが一番堪えた言葉は、こんな言葉だったようです。
甲子園球場での阪神ファンの野次は有名ですが、小学校低学年の子供が2人で、「桑田ーこっち向けや!ほら、金があるで!貸してやるわあ!」と、小銭を見せられたらしいです。
これが一番堪えたと、語っていました。

当時まだ22歳の桑田さんは、精神的に追い詰められ、自殺まで考えたこともあったようです。

女性問題もマスコミに取り上げられる。

「写真1枚あればなんでもニュースになる」

「写真1枚あればなんでもニュースになる」

人気選手でもある桑田さんの周りには、パパラッチのような、スキャンダルをねつ造するマスコミ記者が常に追いかけていたようです。
普通に会った人がたまたま女性だったというだけで、写真を撮られ、「写真1枚あったらそこからもうメチャクチャなことを書くんですよ」と、語っていました。
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