昭和のアイドル・たのきんスーパーヒットシリーズ第2弾! マッチこと近藤真彦の魅力が溢れる「ブルージーンズメモリー」(1981)
2016年12月13日 更新

昭和のアイドル・たのきんスーパーヒットシリーズ第2弾! マッチこと近藤真彦の魅力が溢れる「ブルージーンズメモリー」(1981)

昭和を代表する男性アイドルといえば、田原俊彦、近藤真彦、野村義男によるたのきんトリオ。そんな彼らが大活躍する映画シリーズの第2弾、「ブルージーンズメモリー」は1981年に公開され、あっという間に大ヒット邦画に。なぜ本作は大ヒット作となったのか、その魅力を探ってみましょう!

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たのきんトリオとは?

「たのきんトリオ」とは、1980年代前半に大活躍した田原俊彦、近藤真彦、野村義男の3人のジャニーズアイドルによるグループ名です。
実際には正式なグループ名ではないのですが、当時ジャニーズの中でも特に人気の高かったこの3人をまとめて呼ぶ時に使われた名称です。
この名称はジャニーズ事務所の総帥・ジャニー喜多川が発案したもので、、各人それぞれ苗字から、田原の「田(た)」、野村の「野(の)」、近藤の「近(きん)」から抜粋されてつけられたようです。
たのきんトリオ

たのきんトリオ

1980年から1983年にかけて活躍した、人気男性アイドルグループ「たのきんトリオ」。

「トシちゃん」こと、田原俊彦

田原俊彦は1961年に生まれ、1976年にジャニーズ事務所に入りました。
1978年にテレビに初出演しましたが、翌79年のドラマ「3年B組金八先生」に出演した事により一気にスターダムにのし上がります。
3人の中で一番人気が高く、金八先生出演時には最高で月18万通(!)ものファンレターを獲得したそうです。
1980年には「哀愁でいと」で歌手としてもデビューし、その後はアイドル界の帝王の名を欲しいままにしました。
田原俊彦

田原俊彦

「トシちゃん」の愛称で知られる田原俊彦。

「マッチ」こと、近藤真彦

近藤真彦は1964年に生まれ、1977年にジャニーズ事務所に入所しました。
その2年後に大ヒットドラマ「3年B組金八先生」の生徒役でデビューして人気を獲得し、1980年に「スニーカーぶる〜す」で歌手としてもデビューします。
男性アイドルとしては珍しく同性からの人気が高かったマッチは、80年代前半を代表する男性アイドルとして歌手や俳優として大活躍しましたが、、1984年に富士フレッシュマンレースに参戦したのを皮切りに、ドライバーとしても活躍の場を広げました。
近藤真彦

近藤真彦

男性からの人気も高かった「マッチ」こと、近藤真彦。

「ヨッちゃん」こと、野村義男

野村 義男は1964年に生まれ、1977年にジャニーズ事務所入社後、「3年B組金八先生」の生徒役でデビューします。
1983年に歌手デビューし、同年にはロックバンド「The Good-Bye」を結成して「気まぐれOneWayBoy」でバンドとしてデビューします。
その後はバンド活動に専念し、1990年の「The Good-Bye」活動休止後にジャニーズ事務所を退社、現在に至るまでギタリストとしての活動を中心に行っています。
野村義男

野村義男

元々ギタリスト志望だった「ヨッちゃん」こと、野村義男。

凄まじい人気だった「たのきんトリオ」

テレビドラマ「3年B組金八先生」、「ただいま放課後」の出演を経て、一気に人気を爆発させた「たのきんトリオ」の3人。
彼らは各自歌手としてデビューした年の日本レコード大賞等で、最優秀新人賞を受賞しています。

1981年には後楽園球場、大阪球場、ナゴヤ球場スタジアムで「たのきん3球コンサート」の第一回目が行われましたが、当時スタジアムでコンサートが行われること自体がかなり稀有であり、いかにたのきんの人気が高かったかがうかがえます。
1983年に第2回目も開催されたのですが、後楽園球場だけは諸々の事情で中止となり、ナゴヤ球場、大阪球場のみの公演となりました。
この大阪球場の公演をもって、「たのきんトリオ」は解散します。

たのきんトリオ 3球コンサート 田原俊彦 野村義男 近藤真彦 1983年8月28日

たのきん最後の共演となった、1983年大阪球場での「たのきん3球コンサート」。

映画「ブルージーンズメモリー」を徹底解説!

映画「ブルージーンズメモリー」は、たのきんスーパーヒットシリーズ第2弾として1981年に公開されました。
本作の配給収入は12.5億円で、この年の邦画興行収入ランキングでも堂々6位!
一体どんな映画だったのか、早速みてみましょう。

映画のあらすじ

夏休みも近いある日、金田一真(マッチ)はヒッチハイクで横浜の港へ向かっていた。
真はかねてから船乗りになることが夢であった。
横浜へ向かう途中、真はバイクに乗った少年、真嶋芳太郎(ヨッちゃん)と出会い、横浜の港まで送ってもらう。
真はさっそく船の仕事を探すのだが、未経験者はどこでもお断りの状態...。
勝手にもぐりこんだ貨物船で船員達とトラブルになり海に落ちた真を救ったのは、タグボートの船員である田口俊之(トシ)と堺竜一(小松政夫)だった。
真の無茶な行動を批判する俊之だったが、寝る場所のない真のために、芳太郎の祖母(ミヤコ蝶々)が経営するマリンホテルを紹介する。
真はマリンホテルで芳太郎と再会することができるが、港にたむろするヤクザがホテルの借金取りに来ているのに出合い、大乱闘の末、ヤクザを追い返すことに成功するが、真は左腕を骨折してしまう。
映画「ブルージーンズメモリー」

映画「ブルージーンズメモリー」

横浜の港を舞台に、3人の若者の友情を描く「ブルージーンズメモリー」。
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