ピエール瀧 プロフィール
別名 ウルトラの瀧(2019年の1年間限定で、電気グルーヴの活動において)
畳三郎
ピエール畳
瀧勝など
生誕 1967年4月8日(52歳)
出身地 静岡県静岡市葵区
学歴 静岡県立静岡東高等学校
ジャンル テクノ
J-POP
職業 ミュージシャン
タレント
俳優
声優
活動期間 1986年 - 1989年(人生)
1989年 - (電気グルーヴ)
この時の瀧ならジャニーズいける。何入団テスト受けてんだ!ジャニーズに応募しろよ! pic.twitter.com/dPrzgNopV2
— 原色ガールTnaka🥳marble≠marble (@genshoku_girl) September 18, 2018
野球部時代は顔がデカイ事を先輩にイジられ「顔」というあだ名を命名されたとか。
甲子園の夢は破れたそうですが、マジの野球少年で静岡県立静岡東高等学校3年だった1985年に阪神タイガースの入団テストを受けたこともあるそうです。(結果は不合格)
因みに、県立静岡東高校って偏差値64あり、瀧さん意外と頭が良かった事が分かります。
高校時代のピエール瀧。スクイズ失敗の瞬間。 http://t.co/TDeCE2f7 http://t.co/IwrowGCp #uuwide
— バグバグ (@bagwell555) September 12, 2013
人生時代のピエール瀧(右)。ドラえもんのコスプレってすぐわかるね。 pic.twitter.com/6WNOwWt2fa
— サブカルおばさん (@subcul_obasan) April 8, 2016
高校時代の16歳の時に野球部の友人の友人として石野卓球さんと知り合っています。
専門学校の東洋公衆衛生学院を中退後に石野が結成するバンド「人生」(ナゴムレコード所属)に参加、主要メンバーとして活動。
1989年「人生」解散後、映像制作会社に1年ほど就職しサラリーマンに。
その後は後身バンドである電気グルーヴに参加。
「人生」在籍当時より「楽器の弾けないミュージシャン」を公言しており、公式プロフィール上の彼の担当パートは「TAKI」と表記。
1991年にはメジャーデビューアルバム『FLASH PAPA』リリースし、この時期に「まりん」こと砂原良徳が加入し3名体制となり、音楽活動が本格化していきます。
「電グル」の愛称で若者たちを中心に絶大な人気を得ています。
1997年にはシングル「Shangri-La」が大ヒット!50万枚の売上を記録。
1999年には砂原良徳が突然の脱退。その後は2人態勢で活動をしています。
Denki Groove - Shangri-La [Live at FUJI ROCK FESTIVAL 2006]
自身の芸名について
人生時代のピエール瀧(当時は畳) pic.twitter.com/Q931sVUoeG
— Y! (@yoh0112) January 11, 2019
「人生」時代にも面白いからとの理由で「瀧三郎」や「瀧北京(パピヨンと読む)」などに改名もした時もあります。
電気グルーヴへの参加と同時に「ピエール畳」に改名し、「ジョルジュ・F・ピエール三世」を経て現在のピエール瀧へと変化。
当時アメリカ人風の芸名が流行っていたのでフランス人風のピエールにしたとのことです。
2007年11月に月末までの期限つきで「ピエルー瀧」に改名するとラジオで発言したりと度々自身の芸名で遊んでいる時期もありました。
タレント、俳優として
【新着】「僕を使うなんて世の中、どうかしてきたんでしょうね」ピエール瀧(森田宗吉)/「大地さんとは犬猿の仲ということにしておいて」秋野暢子(森田まつ) 【とと姉ちゃん インタビュー】https://t.co/59tpSRMQL2 pic.twitter.com/n0M3TLblDE
— ニュービー(TV)@相互フォロー支援 (@newsdbtvtw) June 7, 2016
第38回報知映画賞助演男優賞(2013年、『凶悪』『くじけないで』)
第37回日本アカデミー賞優秀助演男優賞(2013年、『凶悪』)
第68回毎日映画コンクール男優助演賞(2013年、『凶悪』)
第56回ブルーリボン賞助演男優賞(2013年、『そして父になる』『凶悪』『くじけないで』)
第27回東京スポーツ映画大賞助演男優賞(2017年、『アウトレイジ 最終章』)
数々の受賞も多く、若い方には俳優ピエール瀧の方が認識が強いと思われます。
<> 2019/12/30 09:19
不祥事だけはダメ絶対!!
失望 2019/11/19 13:33
滝ってさ執行猶予になってまるで反省の色なしだな。草野球やってるよコカインジャンキー