川藤 幸三(かわとう こうぞう)。
1949年7月5日生まれ。福井県三方郡美浜町出身。
1967年にドラフト9位で阪神タイガースに入団。
ポジションは外野手。右投右打。
元プロ野球投手の川藤龍之輔は実兄。
<現役通算成績>
・771試合出場・打率2割3分6厘・16本塁打・108打点
1949年7月5日生まれ。福井県三方郡美浜町出身。
1967年にドラフト9位で阪神タイガースに入団。
ポジションは外野手。右投右打。
元プロ野球投手の川藤龍之輔は実兄。
<現役通算成績>
・771試合出場・打率2割3分6厘・16本塁打・108打点
via ameblo.jp
俊足・強肩で鳴らし、1969年にはウエスタン・リーグ盗塁王(30個)を獲得した。
1イニング3盗塁という快挙も達成。
1974年までは一軍で代走・守備固めを務め、度々スタメンで出場するようになっていたが、アキレス腱を断裂したことで、足へ負担の掛からない代打に活路を見出すようになる。
1985年には21年ぶりのリーグ優勝と日本一を経験。川藤自身、入団18年目で初めての優勝だった。
1986年、現役19年目にしてオールスターゲームに、全セの吉田義男監督(阪神監督)の推薦で初出場。同年の引退への花道となった。
1イニング3盗塁という快挙も達成。
1974年までは一軍で代走・守備固めを務め、度々スタメンで出場するようになっていたが、アキレス腱を断裂したことで、足へ負担の掛からない代打に活路を見出すようになる。
1985年には21年ぶりのリーグ優勝と日本一を経験。川藤自身、入団18年目で初めての優勝だった。
1986年、現役19年目にしてオールスターゲームに、全セの吉田義男監督(阪神監督)の推薦で初出場。同年の引退への花道となった。
川藤幸三の人柄が伝わるエピソード
1983年当時の最低保障年俸で阪神と再契約したが、この話に感動した阪神ファンの上岡龍太郎、2代目桂春蝶、中村鋭一らが「川藤の給料はワシらで出そう!」とカンパで集めた金銭(1安打につき賛同者から1万円徴収しプールしたという)をシーズンオフに「これを給料の足しにしてほしい」と持参したところ、川藤は「上岡さんたちの気持ちはありがたいけど、そんなことはできない。このお金は自分のためではなく、ファンのために使わせていただきます」と言って阪神甲子園球場の年間予約席を購入した。
川藤はこの席に毎試合身体障害者を招待し、席はファンから「川藤ボックス」と呼ばれるようになった。1983年の成績は、34試合出場、打率.241、本塁打1、打点5。
1985年のセ・リーグ優勝・日本シリーズ制覇時には、首脳陣と選手とのパイプ役として欠かせない存在だった。特にランディ・バースに対しては、将棋を教えながらほとんど日本語だらけの英語でコミュニケーションを取り、決してチームから孤立させなかった。
via tora-news.com
川藤幸三は現役時代レギュラーではないもののスター選手並みの人気を集めた。
モルツ球団での試合は往年の名選手たちにとって、現役時代のピリッとした緊張感を取り戻せる絶好の機会なのだろう。
一度は観戦したい球団だ。
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