重信房子独占インタビュー 1973 Fusako Shigenobu Interview
#えっこの状態からでも入れる保険があるんですか pic.twitter.com/9ceX22TVdk
— 修太郎 (@GizumoSyu) July 28, 2018
大阪府警警備部公安第三課は視察対象者が重信に似た女性と接触していたのを現認し視察・捜査を開始。重信はホクロが特徴となっていたが化粧でホクロを隠していたものの、特有のタバコの吸い方や、重信に似た女が某所で飲んだ際に使用されたコーヒーカップから指紋を採取、照合したところ重信の指紋と一致したことから公安第三課は女が重信であることを突き止めると、ハーグ事件から26年後の11月8日に潜伏していた大阪府高槻市において旅券法違反容疑で逮捕された。
重信房子の家族
最初の夫・奥平剛士
奥平剛士
— 日本赤軍bot (@JapanRedArmyBot) September 14, 2019
日本赤軍の最高幹部。奥平純三の兄。
1945年生まれ。京大では全共闘とパルチザン所属。
71年に重信房子と偽装結婚し、レバノンへ渡航。現地で日本赤軍を結成し、PFLPの下で軍事訓練を積む。
翌年のテルアビブ事件で自爆した。 pic.twitter.com/TzR1jnVgFR
夫の奥平剛士は日本赤軍創設メンバーで最高幹部で、(1972年5月、民間人ら23人を殺害、計100人以上を無差別殺傷したテルアビブ空港乱射事件のテロ行為で死亡)
実は重信房子と奥平剛士の結婚は偽装結婚だったようです。(パレスチナに赤軍派の海外基地を作ろうと「奥平房子」という戸籍を得る為、だったとか・・・。)
夫を亡くした重信房子は後にパレスチナ人男性と結婚しています。
娘・重信メイ
娘さんは、8歳の誕生日に母親から「パレスチナ人と共に闘うため日本から来た」と教えられイスラエル情報機関を警戒して難民キャンプや民家を転々としていたそうです。
また母親が重信房子であることを大々的に公開して公の場に登場し2001年に日本国籍を取得し、現在は河合塾の講師として生活しながら、ジャーナリストやニュースキャスターといったメディア系の仕事でも活躍しています。
2009年6月に、初めて産経新聞のインタビューに応じ、過去の活動について「世界を変えるといい気になっていた」と語った。一方で「運動が行き詰まったとき、武装闘争に走った。世界で学生運動が盛り上がっていたが、故郷に戻り、運動を続けたところもあった。私たちも故郷に戻って運動を続けていれば、変わった結果になったかもしれない」と自責の念にも駆られていたとも述べた
重信房子の現在
現在も東日本成人矯正医療センターにて服役中。
現在75歳の重信房子の出所予定は2027年となっています。
2027年となると、重信房子は82歳、かなりの高齢となります。
出所まで存命であるとは言いきれない歳で、下手したら獄中死と言うこともあり得るかもしれません。