【訃報】ザ・デストロイヤー(ベイヤー)さん死去。ここ一年で亡くなったプロレスラー
デストロイヤーさん死去 必殺4の字固め/写真館
— 日刊スポーツ (@nikkansports) March 7, 2019
#ザ・デストロイヤー #力道山 #ジャイアント馬場 #死去https://t.co/5JxPURWg3h
当時のテレビ中継の視聴率は60%を超え、高い注目度のなかで全日本プロレスの看板選手として活躍しました。
2017年には、プロレスラー時代から日米両国の友好親善及び青少年交流に貢献してきた実績が評価され、外国人叙勲者として旭日双光章を受章しました。
2018年以降に亡くなったプロレスラーと関係者
残念ながら、ここ一年の間に亡くなってしまった名レスラーと関係者の方々をお伝えします。
[2018年6月]ビッグバン・ベイダーさん
外国人選手として初めて三冠ヘビー級王座とIWGPヘビー級王座の両タイトルを獲得したレスラーでした。
[2018年7月]マサ斎藤さん
マサ斎藤さんを語る上で欠かせない1987年10月に行われた「アントニオ猪木との巌流島での決闘」。長時間に渡る決闘は、組み上げられた真っ白なリングから飛び出し、アントニオ猪木との激しい攻防を繰り広げました。
今から29年前の1987年10月4日は
— こきっつぁん (@kokittsuan) October 4, 2016
瀬戸内海に浮かぶ孤島の巌流島で
直前に倍賞美津子さんと離婚したアントニオ猪木と
前年にアメリカの刑務所を出所したマサ斎藤が
時間無制限の無観客試合を行い
2時間5分14秒で猪木が勝った日です
かがり火に照らされたふたりの姿は美しかった pic.twitter.com/QleRrpXNRy
[2018年12月]ダイナマイト・キッドさん
80年代に活躍し、過剰な受け身から相手の攻撃を引き出すスタイルや、危険を顧みない攻撃スタイルから「剃刀戦士(カミソリ・ファイター)」という異名でも呼ばれていました。
1991年に怪我の影響もあり、現役を引退。その後は復帰した時期もあるものの、晩年は現役時代の負傷から車椅子生活を余儀されていました。