不死鳥よ永遠に……不屈のマスクマン ハヤブサ
2016年11月25日 更新

不死鳥よ永遠に……不屈のマスクマン ハヤブサ

驚異的な身体能力とセンスを武器に、リング上を雄々しく飛翔したマスクマン、ハヤブサ。試合中の事故により、車椅子での生活を余儀なくされながら、なおリング復帰を諦めなかった「不死鳥」の軌跡。

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スワン式のトペ・アトミコから、反対のロープに跳び、セカンドロープからのムーンサルトプレスを仕掛けたのです。足がロープにかかった瞬間、ずるっと踏み外してしまって、「やばいな」と思ったのですが、とにかく跳ばなければいけない。十分踏み切れていないので、回転する力は足りないのだけれど、気持ちは回転しなくてはいけないと思っているので、よけいに体がそってしまい、その結果、脳天からリングに落ちてしまったのです。まだ落差が小さいセカンドロープだったからよかったのです。あとでビデオでその場面を見ましたが、トップロープから同じことが起きていたら、僕は死んでいたと思います。

 <2001年10月22日のことだった。前夜、京都での試合を終え、団体のバスで帰京したハヤブサは、体調の不良を感じ、午後3時の会場入りまでバスで休んでいた。当時は、40度近い熱でも試合を欠場することはなかった。団体のエースとしての自覚が欠場を許さなかったのだ。そうした体調不良も事故の原因の一つだった>

 足をすべらせて、「やばいな」と思った直後、一瞬目の前が真っ白になって、記憶がとんだのです。次にぼやっと明るくなって、最初に目に入ってきたのが後楽園ホールの照明でした。体が胎児感じで、そうだと目の前に手があるはずなのに、目を動かして見ても手はないのです。横を見ると、そこに手がある。なにが起こっているのかわからなくて、幽体離脱したのかなと。首から下の感覚がまったくありませんでした。レフェリーが上からのぞきこんで、「大丈夫ですか?」と聞くので、「だめだ。試合を止めてくれ」と答えました。
4番と5番の頸椎損傷。事故当初は首から下が麻痺し、また、肺炎の菌が心臓に回り、一時は生命さえも危ぶまれる状態となったハヤブサ選手でしたが、心臓の手術に成功した後、リハビリを開始します。それは、リングに戻るための新たな闘いの始まりでした。

「シンガーソングレスラー」

懸命のリハビリを続ける一方で、ハヤブサ選手は新たな一面を見せます。それは、歌手としての活動。曲を作り歌う「シンガーソングレスラー」としての活動を開始したのです。
CDを発売するだけでなく、ハヤブサ選手はマスクを被り、車椅子で全国を回り、精力的にライブ活動を展開しました。ハヤブサ選手のブログには、そんな日々のライブの様子も綴られています。

自らの足で再びリングへ

あの事故から実に10年が経った2011年に行われた大会に、ハヤブサ選手の姿がありました。全試合終了後、リングからの呼びかけに応じて、ハヤブサ選手が車椅子から立ち上がります。事故直後の、首から下の感覚を失っていた状態から、超人的な回復を見せていました。

ハヤブサ 自らの足で再びリングに立つ

また、2015年の日本テレビ「24時間テレビ 「愛は地球を救う」ではハヤブサ選手の特集が組まれ、プロレスファン以外の人々にもその存在が知られることになりました。が、そこでなされた演出が物議をかもし、ハヤブサ選手本人が声明を出すという出来事もありました。
番組では、ハヤブサが14年前に事故が起きた後楽園ホールのリングに上がり、盟友のミスター雁之助(47)、先輩・天龍源一郎(65)らのプロレス仲間やファンとともに新崎人生(48)の鳴らす10カウントゴングを聞く模様がVTRで放送された。「10カウントを聞いて改めて胸を張ってスタートしていきたい」という本人のコメントが紹介されたが、ナレーションとテロップでは「10カウントはプロレスラーの引退の儀式」「引退の10カウント」との説明がなされた。

 VTR後、日本武道館から番組に生出演したハヤブサは改めて「自分の中では新しいスタートの10カウントだと思っている」と説明し「開脚リングインをしてリングに戻る約束を果たすために今まで以上に頑張っていきたい」と現役復帰への意思を表明。20年来の親友というお笑いコンビ「博多華丸・大吉」の博多大吉(44)も「くれぐれも引退じゃないんで」と強調した。

 ハヤブサは番組出演直後にブログを更新し「オレはこれからも復帰を目指して頑張っていきます!これだけ理解しておいていただければ十分です」とメッセージ。

旅立ち

2016年3月、衝撃的なニュースが全国を駆け巡りました。
プロレスラーのハヤブサさん死去

2016年03月04日 15時16分

 プロレスラーのハヤブサさん(本名・江崎英治)がくも膜下出血のため3月3日午後0時に亡くなったことがわかった。
所属事務所のライトハウスエンターテイメントが4日、発表した。47歳だった。

 ハヤブサさんは1968年11月29日生まれ、熊本県八代市出身。得意技はファイアーバード・スプラッシュ。1991年5月5日、FMWマットでデビュー。メキシコ修行を経て、凱旋試合で大仁田厚の引退試合の相手を務める。FMWのエースとして華麗な空中殺法でファンを魅了した。全日本プロレスにも参戦し、1999年2月、新崎人生とのタッグでアジア・タッグ王座を獲得した。2001年10月22日、後楽園ホール大会で試合中のアクシデントにより頸椎を損傷、全身不随となり生死の境をさまようが、短い距離を歩行できるまでに回復していた。
この知らせに、数多くのレスラーや、生前親交のあった方々から、追悼のメッセージが寄せられました。
葬儀は近親者のみで行われ、レスラーからは、大学時代からの親友であるミスター雁之助選手と、かつてのタッグパートナーで親交のあった新崎人生選手が参列しました。後日「ハヤブサを偲ぶ会」が行われ、多くのファンがその早すぎる旅立ちを惜しみました。

なお、死因となったくも膜下出血は、過去の頸椎損傷との関連は認められず、当時の健康状態は良好だったとのことです。

おわりに

かつて闘龍門や新日本プロレスに所属し、2010年の引退後は整体師・プロレス解説者として活躍するミラノコレクションA.T.さんは、デビュー前の一時期、ハヤブサ選手の付き人をしていた関係で、交流を持っていたそうです。
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