スワン式のトペ・アトミコから、反対のロープに跳び、セカンドロープからのムーンサルトプレスを仕掛けたのです。足がロープにかかった瞬間、ずるっと踏み外してしまって、「やばいな」と思ったのですが、とにかく跳ばなければいけない。十分踏み切れていないので、回転する力は足りないのだけれど、気持ちは回転しなくてはいけないと思っているので、よけいに体がそってしまい、その結果、脳天からリングに落ちてしまったのです。まだ落差が小さいセカンドロープだったからよかったのです。あとでビデオでその場面を見ましたが、トップロープから同じことが起きていたら、僕は死んでいたと思います。
<2001年10月22日のことだった。前夜、京都での試合を終え、団体のバスで帰京したハヤブサは、体調の不良を感じ、午後3時の会場入りまでバスで休んでいた。当時は、40度近い熱でも試合を欠場することはなかった。団体のエースとしての自覚が欠場を許さなかったのだ。そうした体調不良も事故の原因の一つだった>
足をすべらせて、「やばいな」と思った直後、一瞬目の前が真っ白になって、記憶がとんだのです。次にぼやっと明るくなって、最初に目に入ってきたのが後楽園ホールの照明でした。体が胎児感じで、そうだと目の前に手があるはずなのに、目を動かして見ても手はないのです。横を見ると、そこに手がある。なにが起こっているのかわからなくて、幽体離脱したのかなと。首から下の感覚がまったくありませんでした。レフェリーが上からのぞきこんで、「大丈夫ですか?」と聞くので、「だめだ。試合を止めてくれ」と答えました。
「シンガーソングレスラー」
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自らの足で再びリングへ
ハヤブサ 自らの足で再びリングに立つ
番組では、ハヤブサが14年前に事故が起きた後楽園ホールのリングに上がり、盟友のミスター雁之助(47)、先輩・天龍源一郎(65)らのプロレス仲間やファンとともに新崎人生(48)の鳴らす10カウントゴングを聞く模様がVTRで放送された。「10カウントを聞いて改めて胸を張ってスタートしていきたい」という本人のコメントが紹介されたが、ナレーションとテロップでは「10カウントはプロレスラーの引退の儀式」「引退の10カウント」との説明がなされた。
VTR後、日本武道館から番組に生出演したハヤブサは改めて「自分の中では新しいスタートの10カウントだと思っている」と説明し「開脚リングインをしてリングに戻る約束を果たすために今まで以上に頑張っていきたい」と現役復帰への意思を表明。20年来の親友というお笑いコンビ「博多華丸・大吉」の博多大吉(44)も「くれぐれも引退じゃないんで」と強調した。
ハヤブサは番組出演直後にブログを更新し「オレはこれからも復帰を目指して頑張っていきます!これだけ理解しておいていただければ十分です」とメッセージ。
旅立ち
プロレスラーのハヤブサさん死去
2016年03月04日 15時16分
プロレスラーのハヤブサさん(本名・江崎英治)がくも膜下出血のため3月3日午後0時に亡くなったことがわかった。
所属事務所のライトハウスエンターテイメントが4日、発表した。47歳だった。
ハヤブサさんは1968年11月29日生まれ、熊本県八代市出身。得意技はファイアーバード・スプラッシュ。1991年5月5日、FMWマットでデビュー。メキシコ修行を経て、凱旋試合で大仁田厚の引退試合の相手を務める。FMWのエースとして華麗な空中殺法でファンを魅了した。全日本プロレスにも参戦し、1999年2月、新崎人生とのタッグでアジア・タッグ王座を獲得した。2001年10月22日、後楽園ホール大会で試合中のアクシデントにより頸椎を損傷、全身不随となり生死の境をさまようが、短い距離を歩行できるまでに回復していた。
ハヤブサが亡くなったという訃報が届いた。。。去年の24時間テレビで頑張っている姿を間近で見て、俺自身もエネルギーを貰った。かれこれ20年位前、共にアメリカWCWで試合をしたり、酒を酌み交わしたことが、走馬灯の様に思い出される。心からご冥福をお祈り申し上げます。
— 武藤 敬司 (@muto_keiji) March 4, 2016
95年春、ハヤブサが凱旋帰国した時、私は週刊ゴングの編集長1年生でした。自分なりのカラーを出すために試行錯誤の連続だった私は、偉大なカリスマ・大仁田厚引退後の新生FMWを若きエースとして必死に牽引する彼の姿に自分の状況を勝手に重ね、勇気づけられました。江崎君、安らかに…。
— 小佐野景浩 (@osano2) March 5, 2016
なお、死因となったくも膜下出血は、過去の頸椎損傷との関連は認められず、当時の健康状態は良好だったとのことです。