不死鳥よ永遠に……不屈のマスクマン ハヤブサ
2016年11月25日 更新

不死鳥よ永遠に……不屈のマスクマン ハヤブサ

驚異的な身体能力とセンスを武器に、リング上を雄々しく飛翔したマスクマン、ハヤブサ。試合中の事故により、車椅子での生活を余儀なくされながら、なおリング復帰を諦めなかった「不死鳥」の軌跡。

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ハヤブサ選手追悼 1998.5.1 ハヤブサ(FMW)、G馬場、志賀vs人生(みちのく)、泉田、キマラ in全日本プロレス東京ドーム大会(♪王者の魂)

試合終盤に、ハヤブサ選手のファイアーバード・スプラッシュが炸裂します。
続いて「不死鳥」の名のつく、フェニックススプラッシュ。
@フェニックススプラッシュ

オレのオリジナルホールド。
コーナー最上段でリングの外を向いた状態から踏み切り、空中で半ひねりをしながら450°前方回転してプレスする。

凱旋帰国に向け”飛び技のハヤブサ“も極めようと、オリジナルを模索してた中でたどり着いた動き。

習得するため練習をしていた時に、ある記者から「それって幻の技っていわれてるタイガーマスクの
”タイガートルネード”やライガーの”スターダストプレス”と同じ動きだよ」と知らされた。

それを聞いた時なぜか「オレが完成させなきゃいけない」って強く思ったことを覚えてるな^^

Hayabusa - Phoenix Splash

この他にも、ファルコン・アローやHエッジなど、自身のオリジナル技を解説されています。また、近年の活動や日常生活などを楽しく綴ったハヤブサ選手のブログは、今も公開されています。

全日本プロレスへの参戦

FMWで確固たる地位を築いたハヤブサ選手に、メジャー団体への挑戦というチャンスが巡ってきました。ジャイアント馬場選手率いる、全日本プロレスです。
大仁田が全日本プロレス社長のジャイアント馬場に掛け合い、馬場がそれを認める形で全日本プロレスへの参戦が決まった。なお、川田利明の反対もあったが(川田は1997年2月の週刊プロレスのインタビューにおいて「馬場社長には大仁田さんに関わってほしくないんだよね…」と語っていた)、馬場はかつての愛弟子である大仁田の頼みを邪険に扱うことなく、ハヤブサの全日参戦を承諾した(大仁田から直談判を受けた際、馬場は大仁田に「欲しいものがあったら言え」とだけ伝えたという)。そしてハヤブサは馬場同席で全日参戦発表の記者会見まで馬場のお膝元であるキャピトル東急ホテルで開かれた(1997年3月3日)。

「'97チャンピオン・カーニバル」より全日にスポット参戦。

全日本マットで人生とタッグを結成し、小橋&志賀賢太郎組に勝利。FMWの川崎球場大会では、小橋&マウナケア・モスマン(現:太陽ケア)組と戦い、自らが小橋のラリアットに敗れた。年末には、人生とともに全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に参戦。強い格付け意識を押し出した当時のメジャー団体の中で、戦績は2勝7敗と振るわなかったが、多くの好勝負を展開。この年はFMWと全日本プロレスをまたにかけた活躍が評価され、年末のプロレス大賞で殊勲賞を受賞した。
当時、最初の引退から現役復帰をしていた大仁田厚選手が、かつての師匠・ジャイアント馬場選手に掛け合う形で実現した全日本参戦でしたが、ハヤブサ選手には思うところがあったようです。
 大仁田さんがリングに復帰し、FMWが少し勢いを取り戻してきたころです。全日本プロレス参戦の話が出てきたのです。僕自身、大仁田さんの復帰でやりにくさを感じていて、大仁田さんも同じように感じていたのでしょう。僕が全日本の小橋(建太)さんと試合をしたいと言っているのを大仁田さんが耳にし、かつて付き人をしていた馬場さんにお願いしたのだと思います。かつての付き人のお願いなので、馬場さんは細かいことを聞かずにOKを出したようです。全日に初めて参戦し、あいさつに行ったときに、馬場さんは僕のことをまったく知りませんでしたから。
それでも、全日本のトップ選手との激闘を通して、ハヤブサ選手への高評価は揺るぎないものとなりました。その後も、全日本プロレスにはスポット参戦を継続しました。

「H」への転身

1999年当時、FMWのリングは「理不尽大王」こと冬木弘道選手がコミッショナーとして牛耳っていました。FMW正規軍に属するハヤブサ選手と冬木選手は長年の抗争を繰り広げていましたが、あろうことか冬木選手は、ハヤブサ選手にマスク剥奪を勧告したのです。
素顔で闘うことを余儀なくされたハヤブサ選手。そこで生み出されたのが、それまでの「ハヤブサ」のイメージを覆す「H」というキャラクターでした。
ありがとうございました!|ハヤブサオフィシャルブログ「愛と勇気とあるこーる」Powered by Ameba (1755943)

2011年、ハヤブサ選手のイベントの告知に登場したH選手。実は、素顔はかなりのイケメン。
H選手は飛び技を多用せず、時にはラフファイトも辞さない、セクシーかつ明るいキャラクターでファンを魅了しました。そして、この時代に生まれた彼の決め台詞がこちらです。

「お楽しみは、これからだ!!」

約1年の「H」時代を経て、彼は再びマスクマン・ハヤブサとしての活動に戻ります。

事故

2001年10月22日、FMW後楽園ホール大会。シリーズ最終戦、ハヤブサ選手はマンモス佐々木選手との試合に臨んでいました。
事故が起きたのは試合の13分すぎだった。マンモス・佐々木からペースを奪い、これからハヤブサの空中殺法が炸裂するかと思われた矢先だった。
 セカンドロープからムーンサルトを放とうとした瞬間、ハヤブサは足を滑らせ、そのまま落下。落ちた瞬間、鈍い音がして、そのままハヤブサの体はピクリとも動かなくなった。
 異変を察知したマーティー浅見レフェリーは試合を止め、すぐさま救急車を呼んだ。
 救急車が到着するまでの15分余り、ハヤブサは関係者やファンに囲まれたリング上でピクリとも動くことができない。
 やがて、わずかに意識を取り戻すと、関係者にマイクを要求し「みんなごめんなさい。オレが命をかけたFMWを見捨てないでください」と気丈に言い残した。
その時の状況を、後にハヤブサ選手はこう述懐しています。
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