そして和利君を誘拐し殺害した動機は、まず林邦太郎が少年愛者だったことです。
そして自分のゆがんだ性癖・性愛が動機であるとしか言いようがない!
ついに人を殺めたか!というその前に起こしていた異常行動も明らかになっています。
動物の虐待から人に移行するというのはこれまでの残虐事件でも”兆候”として言われていることです。
例えば、1997年に起こった当時中学生が小学生5人を殺傷した事件でも、犯人の少年は事件を起こす以前からたびたび動物虐待を行っていた人物として情報があった様です。
殺人犯・林邦太郎、日記に綴る異常性
「四月二日。風呂に入りながらKを待つ。Kの背中を流しながら『おもしろいところに遊びにゆこう』と言うと簡単にうなずいてきた」
— ◆マジキチ犯罪者の名言◆ (@mazikiti_hanzai) October 7, 2021
【少年誘拐殺人ホルマリン漬け事件(1957)】、林邦太郎 pic.twitter.com/Nl0cYpG1tA
こうして林邦太郎の殺人日記『若松湯』が4月1日から始まります。
「子供を殴った。血が出た。ナタで切った。ノコギリで切った。ホルマリン漬け、可愛い可愛い」
「金魚鉢に入ったあの子は、見ても見ても飽きるということがない。ホルマリン漬けになったあの子は生きているときより、いっそうかわいい」
親父たちがいるからもったいないけど(少年のホルマリン漬けを)昼間は床下に隠す。でも隠す前には必ずサヨナラを言うんだ。でも、別れのたびに、つらい…
犯人・被害者家族はそれぞれ有名人だった
被害者の巣山和利君、そして犯人の林邦太郎の親がともに有名人だったということです。
被害者・巣山和利君の父親
1934年1月場所で初土俵し、1940年5月場所で入幕、最高位・東前頭筆頭まで昇進し、1943年には幕内優勝も果した人気力士でした。
家業を継ぐとして1946年11月場所で引退していますが、その後1953年にプロレスへ転向しています。同時期に活躍していたプロレスラーには同じく相撲界出身レスラーの力道山がいました。
また1970年代には全日本女子プロレスのコーチに就任し、その後女子プロ大ブーム到来時の大人気レスラー、ジャッキー佐藤とマキ上田のビューティ・ペアをトレーニングしていたことでも知られていた人物です。
事件当日はプロレスの長期海外転戦中で日本にはいなかったということです。
殺人犯・林邦太郎の父親
白先
— マイケル レドモンド@レドモンドの囲碁 (@RedmondGo) July 13, 2020
1935年に打たれた呉清源六段(白)対林有太郎六段(黒)の一戦から、当時の段位です。
中央の白の大石は残り3手で、△の黒を取るしか助かる方法はない。 pic.twitter.com/yJmjNTUDlr
事件のあった1957年4、57歳だった父・林 有太郎棋士でしたが、当時どのようなコメントがあったのかなかったのか情報がありませんでした。
まとめ
犯人の林邦太郎は裁判で精神鑑定され、責任能力ありとされるも懲役10年の判決で出所しています。
10年で出所しているとすれば、判決が出たのが1958年、1968年か69年には社会に出ていることになります。
父親の林 有太郎棋士も1969年、69歳で九段昇段したと言う頃です。
1983年、羊羹を誤嚥して亡くなられているということですがそのそばに長男は同居していたのか....情報はありませんでした。
その日記のタイトルも和利君を連れ去った銭湯『若松湯』の名をつけて......。
ノートには「ついに捜し求めていた理想の少年を見つけた」などその時の林邦太郎の心情も書かれていたということです。
「金魚鉢に入ったあの子は、見ても見ても飽きるということがない。
ホルマリン漬けになったあの子は生きているときより、いっそうかわいい」など、被害者家族には到底受け入れがたい、おぞましい日記になったことでしょう。