とても手が出なかった、あこがれのNEC PC-6001
私、ジバニャンLOVEがパソコンというものにはじめて触れたのは、学校で教育用のパソコンというものが導入された、1980年代初頭だったと思います。当然おそらく学校に1台か2台しかなかったでしょう。
その時に設置されていたパソコン(というか当時は「マイコン」と呼ばれていたと思います。)が、NECのPC-6001という機種でした。
しかしPC-6001の価格は記憶ですと「89,800円」だったと思います。小学生に手が出せるわけもないし、親だって「単なるおもちゃ」と思うものにそんな大金は出せません。
その時に設置されていたパソコン(というか当時は「マイコン」と呼ばれていたと思います。)が、NECのPC-6001という機種でした。
しかしPC-6001の価格は記憶ですと「89,800円」だったと思います。小学生に手が出せるわけもないし、親だって「単なるおもちゃ」と思うものにそんな大金は出せません。
1985年、ボンボンのA君の家にて。
ジバニャンLOVEが中坊になると、悪友が出来ました。A君とI君です。
A君はボンボンで、PC-6001どころか、その上位機種のPC-8801を自由に操り、当時でも最先端と思われる「フロッピー(たぶん5インチ)」からゲームをやっていました。
確か「ザナドゥ」とかいうゲームだったかな。記憶があいまいです。
PC-8801など、私にとっては夢のまた夢です。別世界の持ち物でした。
A君はボンボンで、PC-6001どころか、その上位機種のPC-8801を自由に操り、当時でも最先端と思われる「フロッピー(たぶん5インチ)」からゲームをやっていました。
確か「ザナドゥ」とかいうゲームだったかな。記憶があいまいです。
PC-8801など、私にとっては夢のまた夢です。別世界の持ち物でした。
遡るシリーズ!【1985年・昭和60年】のアレコレを振り返る - Middle Edge(ミドルエッジ)
1985年・昭和60年といえば、当時世界最大の航空事故である日本航空123便墜落事故がありました。この様な大変悲しい事故があった中、明るい話題もありました。つくば万博の開催やスーパーマリオの発売がありましたね。さっそく振り返ってみたいと思います!
1985年はこんな1年でした。
貧乏人はパソコンなど自分で所有できないのか・・・。
私が「ファミコン」なるものを自分の手に入れたのは、実に発売から10年たった1993年です。
ファミコンは1983年登場当時、確か14,800円だったと思います。
しかし、本体が買えても、1本数千円もするゲームカセットが買えません。
ミドルエッジでもよくファミコンソフトの秀逸な記事がたくさんあり、楽しく読ませていただいていますが、同時に、「お金持ちでいいなあ・・・。」という気持ちに、今でもなります(笑)。
そんな中坊ジバニャンLOVEに、ある情報がどこかから舞い込みます。
ファミコンは1983年登場当時、確か14,800円だったと思います。
しかし、本体が買えても、1本数千円もするゲームカセットが買えません。
ミドルエッジでもよくファミコンソフトの秀逸な記事がたくさんあり、楽しく読ませていただいていますが、同時に、「お金持ちでいいなあ・・・。」という気持ちに、今でもなります(笑)。
そんな中坊ジバニャンLOVEに、ある情報がどこかから舞い込みます。
低価格PC(マイコン?)がカシオから発売される。
標準的なMSXの価格帯が5万円以上だった1984年当時、29,800円という低価格で発売された。
カシオが当時得意とした電卓の技術を駆使し、片面基板にすることで製造コストを抑え、19,800円で発売する事を目指して開発された。価格は当初の目標を越えてしまったものの、3万円を切る事に成功した。
パソコン情報に対してハイパーチューンでもなんでもないジバニャンLOVEは、この「PV-7」の後継機が19,800円で登場してから、この「MSX」というパソコンを知ります。1985年秋の頃でしょうね。
そこから、いろいろジバニャンLOVEは、調査を始めます。
そこから、いろいろジバニャンLOVEは、調査を始めます。
「MSX」に興味をもった”哀しき”理由。
なぜ私がファミコンより本体が高い「MSX」に興味を持ったかというと、ズバリ「カセットソフトを買わなくてもゲームができる」からです。
プログラムをアマチュアの人が書き、それを掲載している雑誌が存在することは知っていました。
その中で、1冊1000円かそこらで、もちろん他の機種のプログラムも多数掲載されてはいましたが、統一規格であるMSXのプログラムは、コンスタントに1冊で2本か3本は掲載されていました。
これなら買える!というのが理由です。はい、それだけです。
プログラムをアマチュアの人が書き、それを掲載している雑誌が存在することは知っていました。
その中で、1冊1000円かそこらで、もちろん他の機種のプログラムも多数掲載されてはいましたが、統一規格であるMSXのプログラムは、コンスタントに1冊で2本か3本は掲載されていました。
これなら買える!というのが理由です。はい、それだけです。
ある意味すごい機種だった、後継の「MX-10」。
このパソコン、19,800円でCASIOが発売しました。
写真ではわからないと思いますが、このパソコン、ものすごくキーボードが小さいのです。
これではプログラムなど打てやしない。
この機種は、PV-7をもっとコストカットして、ファミコン替わりに、MSX仕様のカセットゲームをスロットに入れて遊ぶための機種だったんでしょうね。今となってはそれがわかりますが。
写真ではわからないと思いますが、このパソコン、ものすごくキーボードが小さいのです。
これではプログラムなど打てやしない。
この機種は、PV-7をもっとコストカットして、ファミコン替わりに、MSX仕様のカセットゲームをスロットに入れて遊ぶための機種だったんでしょうね。今となってはそれがわかりますが。
選択肢の結果、ジバニャンLOVE、「PV-16」購入を決定。
MX-10はそれでも我慢すればプログラムを打つことはできるので、選択肢にはありました。
しかし、一番肝心なものが、MX-10は「別売り」でした。
それは、「カセットインターフェース」です。
これが高い。数千円しました。
それを考えると、PV-7の後継機が既に出ていて、カセットインターフェース内蔵でもある、「CASIO PV-16」の購入を、ジバニャンLOVEは決定しました。
しかし、一番肝心なものが、MX-10は「別売り」でした。
それは、「カセットインターフェース」です。
これが高い。数千円しました。
それを考えると、PV-7の後継機が既に出ていて、カセットインターフェース内蔵でもある、「CASIO PV-16」の購入を、ジバニャンLOVEは決定しました。