とても手が出なかった、あこがれのNEC PC-6001
その時に設置されていたパソコン(というか当時は「マイコン」と呼ばれていたと思います。)が、NECのPC-6001という機種でした。
しかしPC-6001の価格は記憶ですと「89,800円」だったと思います。小学生に手が出せるわけもないし、親だって「単なるおもちゃ」と思うものにそんな大金は出せません。
1985年、ボンボンのA君の家にて。
A君はボンボンで、PC-6001どころか、その上位機種のPC-8801を自由に操り、当時でも最先端と思われる「フロッピー(たぶん5インチ)」からゲームをやっていました。
確か「ザナドゥ」とかいうゲームだったかな。記憶があいまいです。
PC-8801など、私にとっては夢のまた夢です。別世界の持ち物でした。
遡るシリーズ!【1985年・昭和60年】のアレコレを振り返る - Middle Edge(ミドルエッジ)
貧乏人はパソコンなど自分で所有できないのか・・・。
ファミコンは1983年登場当時、確か14,800円だったと思います。
しかし、本体が買えても、1本数千円もするゲームカセットが買えません。
ミドルエッジでもよくファミコンソフトの秀逸な記事がたくさんあり、楽しく読ませていただいていますが、同時に、「お金持ちでいいなあ・・・。」という気持ちに、今でもなります(笑)。
そんな中坊ジバニャンLOVEに、ある情報がどこかから舞い込みます。
低価格PC(マイコン?)がカシオから発売される。
標準的なMSXの価格帯が5万円以上だった1984年当時、29,800円という低価格で発売された。
カシオが当時得意とした電卓の技術を駆使し、片面基板にすることで製造コストを抑え、19,800円で発売する事を目指して開発された。価格は当初の目標を越えてしまったものの、3万円を切る事に成功した。
そこから、いろいろジバニャンLOVEは、調査を始めます。
「MSX」に興味をもった”哀しき”理由。
プログラムをアマチュアの人が書き、それを掲載している雑誌が存在することは知っていました。
その中で、1冊1000円かそこらで、もちろん他の機種のプログラムも多数掲載されてはいましたが、統一規格であるMSXのプログラムは、コンスタントに1冊で2本か3本は掲載されていました。
これなら買える!というのが理由です。はい、それだけです。
ある意味すごい機種だった、後継の「MX-10」。
写真ではわからないと思いますが、このパソコン、ものすごくキーボードが小さいのです。
これではプログラムなど打てやしない。
この機種は、PV-7をもっとコストカットして、ファミコン替わりに、MSX仕様のカセットゲームをスロットに入れて遊ぶための機種だったんでしょうね。今となってはそれがわかりますが。
選択肢の結果、ジバニャンLOVE、「PV-16」購入を決定。
しかし、一番肝心なものが、MX-10は「別売り」でした。
それは、「カセットインターフェース」です。
これが高い。数千円しました。
それを考えると、PV-7の後継機が既に出ていて、カセットインターフェース内蔵でもある、「CASIO PV-16」の購入を、ジバニャンLOVEは決定しました。