山田邦子のプロフィール
生年月日:1960年6月13日
出身地:東京都荒川区
身長:168センチ
最終学歴:川村短期大学家政科(現・生活学科)
デビューのキッカケ:高校1年生のときに西城秀樹さんのモノマネで「TVジョッキー」に出演したのを手始めに、数々のテレビ番組に素人として出演します。
「タモリの突撃ナマ放送」では5週勝ち抜きするなど、素人参加番組の常連として有名な存在でした。
そして「笑っている場合ですよ!」の「ブスコンテスト」のコーナーに応募したところ、目を付けられます。
そして「お笑い君こそスターだ!」に出場し、見事チャンピオンに輝きました。
1981年には、グランプリを獲ったバスガイドネタの『邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)』でレコードデビューしています。
邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)
1980年代前半は歌手や、女優の仕事もこなしていましたが、次第にお笑いタレントの仕事に重心を置くようになっていきました。
人気お笑い番組「俺たちひょうきん族」では、初期から末期まで出演しています。
中でも自身の「ひょうきん絵描き歌」は大ヒット企画となりました。
空白の30年間は?
山田邦子さんを、テレビで観ない日はないくらいの人気者ぶりを発揮しています。
実際に1988年から8年連続でNHKの「好きなタレントNo.1」をキープし、1994年には週14本のレギュラー番組をもつ超売れっ子だったのでした。
民放の各キー局に山田邦子さん専用の「仮眠室」が存在し、最高月収は1億円を超えていたといわれています。
女芸人で唯一、天下を獲った女芸人と呼ばれました。
【HD画質】やまだかつてないWINK “T”intersection 〜あなたに戻れない〜(1990年3月7日)
1992年に冠番組の「やまだかつてないWink」が打ち切りになってしまったことをきっかけに、露出過多が原因で帯番組の視聴率が下降していきます。
女芸人として頂点に君臨したからか、1995年ころからマスコミからバッシングされるようになってしまいました。
極めつけは1995年12月に妻子ある男性との不倫がスクープされて、メディアに執拗に追い回されるようになってしまったのです。
そして同年12月、『FOCUS』(新潮社)が妻子ある男性との不倫をスクープ。山田はメディアから執拗に追い回され、いら立ちから芸能リポーター・井上公造に対して、「お前モテないだろう」「バカじゃないの」と罵倒。そのシーンがワイドショーで繰り返し放送され、反感を買いまくった山田はテレビから姿を消していったのだ。
山田邦子さんに、そんなことがあったのですね。
私の頭の中では「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」のや「俺たちひょうきん族」の明るく楽しいイメージで終わっていたので、そんなにバッシングを受けていたこと知りませんでした。
ちなみに不倫が報じられた男性とは、2000年に結婚しています。
M-1の審査員で話題に
アメブロを投稿しました。
— 山田邦子 (@925_yamada) December 18, 2022
『Mー1グランプリ❣️』#アメブロ #山田邦子#かんたん投稿
https://t.co/4W3DMIjDwc
ミドルエッジ世代には、超ポピュラーな山田邦子さんですが、1995年から露出が減ってしまったため若い世代は山田邦子さんを知らない人が多かったようです。
そしてその採点ぶりに、ネットは騒然となってしまいました。
<審査に関しては、1番手のカベポスターに84点を付け、「ああ、1組目だから基準として付けたのだな。他の審査員より低い平均値で推移するのかな」と思ったところ、2番手の真空ジェシカに95点!これはさすがにビックリしました。80点台と90点台は、表示される数字の色が違うので、80点台が「低得点」という印象になりやすいですし。
ただ、そのあとを振り返ってみると、邦子さんの採点は、結局カベポスターが最低点、真空ジェシカが最高点と、その間で収まっていました。数字だけで見ると、ブレていたというより、1組目と2組目の幅にインパクトが出ただけのことでした。結果としては、いい意味で序盤に番組をザワつかせ、視聴者の興味のひとつになりました>
1番手と2番手との得点差が大きかったために「ブレすぎ」だったのでは…と思われていたようです。
「ただ山田邦子さんなりの基準がある」と思った方もいて、良い意味でM-1グランプリの話題作りに貢献されたようですね。
良くも悪くも話題になるのですから、やはりカリスマ性があるのでしょうね。
まとめ
女ピン芸人として一世を風靡した山田邦子さんは、マスコミからのバッシングと世間の反感を買ってしまったために、露出が減ってしまったようです。
久しぶりに元気な姿を見られて、懐かしさを感じる人も多かったのではないでしょうか。
今後の活躍にも期待したいですね!