歌手としてはシングルを2曲だけリリースしています。そのあとはリポーターなどタレントとして活躍していましたね。ぽっちゃりした感じがいいというファンがたくさんいました。
主にテレビ番組のレポーターを中心にタレント活動をしており、TBS『ビッグモーニング』でお天気コーナーの解説、『ジャスト』の木曜日にレギュラー出演していた。
ぽっちゃりさんでもアイドルになれるという希望を持ったぽっちゃりさんもいたと思います。
可愛らしさと愛嬌とで人気者になった彼女もわらべ解散となると厳しさが到来します。
かなえ役「倉沢淳美」
欽どこの3姉妹オーディションで合格し芸能界デビューします。わらべとして歌手デビューしますが、のぞみ役「高部知子」の一件でわらべとしての活動にブレーキがかかります。その後はソロデビューしてシングルを発売していますが、「生意気だ」という理由でサイン会に来ていた男に右手首を切られるという事件に見舞われてしまいます。
グループでデビューしたアイドルがソロで活躍し始めると妬むファンが出てきたりするのは今も昔も変わらないですね。
デビュー曲『プロフィール』は、その名の通り倉沢の生年月日、身長、性格、身体的特徴などを歌詞に盛り込んでおり、16歳という年齢を盛り込んだ松本伊代のデビュー曲『センチメンタル・ジャーニー』と同様、歌手のプライバシーが盛り込まれた曲として一部で話題になった。その為NHKではセンチメンタル~同様自己宣伝になるという理由で歌う事が出来ずB面の楽曲を歌った事もあった。
自己宣伝という理由があるということを初めて知りました。
プロフィール 倉沢淳美 - YouTube
自己PR曲といった感じですね。
via youtu.be
1985年に倉沢と尾崎豊、斉藤由貴、菊池桃子の計4人が同名曲をシングルリリース、競作となり大きな話題を呼んだ。
一番売れなかったと言われていますが、相手が悪いような気もします。
のぞみ役「高部知子」
via japaneseclass.jp
女優として1980年にドラマ「ガラスのうさぎ」でデビュー。主人公の敏子役で演技しています。翌年の1981年には「わが子よ」というドラマにも出ています。
欽どこに出るのは1982年なので女優としての仕事が先ということですがわらべとしての活躍の方が印象強くそのあとのニャンニャン事件や積木くずしでの役柄が色濃く残っています。
欽どこに出るのは1982年なので女優としての仕事が先ということですがわらべとしての活躍の方が印象強くそのあとのニャンニャン事件や積木くずしでの役柄が色濃く残っています。
人気絶頂の最中の1983年6月、高部がベッドで裸体に布団を掛けた状態で煙草を咥えた様子を捉えた写真が写真週刊誌「FOCUS」に掲載され、性行為疑惑と未成年喫煙疑惑が浮上(ニャンニャン事件)。この影響で高部は出演中のテレビ・ラジオ・CM全てを降板。主演予定だった劇場版『積木くずし』も代役が立てられ、堀越高等学校を無期停学になり謹慎を余儀なくされた。この事件によって、「清純な少女タレント」というイメージが壊れてしまった。
1984年に出版している「ハンパしちゃってごめん」で記事内容を否定しています。
彼女のすべてがストップ。復帰作としてリリースされた「雨の街」もヒットにはつながらずフェイドアウトする形で芸能界から消えてしまいます。
雨の街 高部知子 - YouTube
ニャンニャン事件後の復帰作でソロデビューとしての第一弾でした。
via youtu.be
結婚をして芸能界を引退したということが本当の引退理由なのですが、高部知子のイメージはニャンニャン事件がつきまとい清純さで売り出すことができなくなってしまい引退理由は結婚という2文字ではないように思われがちですね。
結婚し離婚し再婚し再離婚するという中、2人の子ども持つ母親として頑張っていましたが、芸能界に復帰します。
復帰作として有名なのが局部にピアスをした写真集「Objet D'amour」と官能ビデオ「パラノイア」ですね。
深い事情を知らない当時の筆者はわらべののぞみちゃんが不良役でドラマに出て衝撃的な写真集を出したという流れで「どうしちゃったの?!」という感じだったことを覚えています。
復帰作として有名なのが局部にピアスをした写真集「Objet D'amour」と官能ビデオ「パラノイア」ですね。
深い事情を知らない当時の筆者はわらべののぞみちゃんが不良役でドラマに出て衝撃的な写真集を出したという流れで「どうしちゃったの?!」という感じだったことを覚えています。