2017年12月7日 更新
【訃報】お正月の定番「海老一染之助・染太郎」の海老一染之助さんが死去。
12月6日、「海老一染之助・染太郎」として人気を博した、海老一染之助さんが急性肺炎で死去しました。83歳でした。この記事では彼の冥福を祈るとともに、「お染ブラザーズ」の活躍を振り返ってみたいと思います。
「海老一染之助・染太郎」の海老一染之助さん死去。
12月6日、「海老一染之助・染太郎」として人気を博した、海老一染之助さんが急性肺炎で死去しました。83歳でした。
染之助さんは東京都出身。1945年に二代目海老一海老蔵に入門し、翌1946年に、兄である故・海老一染太郎さんとのコンビ「海老一勝太郎・小福」の名で初舞台を踏みました。その後、1949年に「海老一染之助・染太郎」と改名し、以来長年にわたり「太神楽(だいかぐら)師」として活動を続けてきました。
2002年に染太郎さんが死去して以後は、ピン芸人としての活動を開始。落語家の林家木久蔵(現・木久扇)と共に「海老一染之助・木久太郎」を結成したり、決まり文句の「おめでとうございま〜す」の着ボイスを配信するなどの活動を行っていました。
「お染ブラザーズ」の活躍を振り返る!!
「お染ブラザーズ」の愛称で知られる海老一染之助・染太郎。昭和から平成にかけて、バラエティ番組で引っ張りだこでしたよね。ここでは彼らの活躍を振り返ってみたいと思います。
百聞は一見に如かず!芸を見てみましょう!
「お正月の定番」とまで言わしめた、お染ブラザーズの伝統演芸。染太郎の「おめでとうございます」の発声に合わせて、染之助が和傘を使ってまりや升などを回す芸が十八番でした。お正月などのバラエティ番組に一時期出演しまくっていたのを覚えています。では早速その芸を振り返ってみましょう!
アメリカ、ソ連で海外公演!!
太神楽師としての技術の高さが認められ、1960年代に海外公演を行っています。1960年5月に、ソ連文化省より招聘を受け、ソビエト連邦にて公演。これが初の海外公演となりました。そして5年後の1965年2月、今度はアメリカに招待され、ABCテレビへの出演を果たします。
「いいとも」でレギュラーに!
お染ブラザーズが「笑っていいとも!」のレギュラーだったのを覚えていますでしょうか?1988年10月から1989年3月まで、レギュラーとして出演していました。当時はバブル期真っ只中でしたから、お昼は毎日のように「おめでとうございまーす!」だったんですね。
CDも出しました!
人気タレントなら必ずと言っていいほど声がかかるであろう「CDの発売」。お染ブラザーズも例に漏れず、1989年3月にCDシングル「おめでとうございます!!」をリリースしました。当時ヒットチャートに出ていた記憶がないんですが、どれくらい売れたんでしょうか?
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