1979年頃、ピンク・レディーが急に売れなくなった理由とは?
2020年5月30日 更新

1979年頃、ピンク・レディーが急に売れなくなった理由とは?

70年代を代表するアイドルユニット「ピンク・レディー」。1976年から1978年にかけて社会現象となった二人ですが、1979年頃から人気が急降下したのを覚えていますでしょうか?この記事では、その理由について検証してみたいと思います。

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流行は「3年周期」

まず指摘されているのは「流行は3年周期」であるという点。これはピンク・レディーに限らず一般論として言われていることで、「どんな流行でも鮮度が落ちることで3年程度で落ち着く傾向がある」という意味です。ピンク・レディーの場合、デビュー曲「ペッパー警部」を発表したのが1976年8月のことであり、オリコンでの連続1位記録が途切れた「ジパング」を発表したのが1979年3月であることから、流行していた期間はおおよそ2年半であると言えます。
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1976年8月に発表したデビューシングル「ペッパー警部」
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1978年12月に発表した、オリコンで1位を獲得した最後のシングル「カメレオン・アーミー」

ブームを支えていたのが子供だった。

その大人っぽい印象から、ピンク・レディーの人気を支えていたのは当時の青年層と思われるかもしれませんが、実際は必ずしもそうではなく、子供の存在が相当大きかったと言われています。当時の小学校や幼稚園では、ピンク・レディーの振り付けを真似する子供が続出しており、子供向けの人形やおもちゃが多数企画され、販売されていました。
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こちらはピンク・レディーの「おしゃれ人形」
そしてこの「子供」ですが、飽きっぽいのが大きな特徴です。これは80年代のキン消しやビックリマンなどでも見られた現象ですが、あるタイミングで急速に流行が収束し、それ以降は「その流行はもうダサい」と言われ、いまだに夢中になっているのが恥ずかしいこととして認知されるようになります。一度そうなってしまうと子供からの人気の回復は難しく、そのまま廃れていくこととなります。
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こちらはピンク・レディーの「ママミシン」

1978年の紅白出場を辞退。

1978年の紅白歌合戦への出場を辞退したのが、大きな潮目と指摘されることもあります。これは日本テレビで放送された紅白の裏番組「ピンク・レディー 汗と涙の大晦日150分!!」に出演するためで、障害児へのチャリティー番組という側面もあったのですが、当時の紅白の権威は絶大であり、それを辞退するというのは当時の芸能界の常識からすると異例中の異例でした。
こちらは当時の番組表。文字が小さく見づらいですが、ピンク・レディーの裏番組が紅白と完全に被っています。
そしてこの裏番組ですが、視聴率は8.2%と惨敗(紅白の視聴率は72.2%)。完全に裏目に出る形となり、マスコミからも辞退についてバッシングを受けることとなってしまいました。そして、1979年3月に発表したシングル「ジパング」はオリコン最高位4位と、「S.O.S」以来9作連続で獲得していたオリコン1位記録が途切れることとなります。以降、ピンク・レディーのシングルがオリコンで1位を獲得することはありませんでした。
Amazon | ピンク・レディー 「 ジパング/事件が起きたらベルが鳴る 」【EP】 | ピンク・レディー | ミュージック | 音楽 (2193956)

オリコン最高位4位に終わった「ジパング」

アメリカ進出が裏目に。

さらに極めつけと言われるのが「アメリカ進出」です。これはデビュー当初からピンク・レディーが目標としていた「世界で通用するスターになる」という一環で行われたもので、1978年4月にはラスベガスで公演を行い、ワーナー・ブラザーズと契約。同年5月にはシングル「キッス・イン・ザ・ダーク」が発表され、全米ビルボードHot100で37位にランクインするなど、一定の成功を納めます。

CBSで放送された「Leif Garrett Show」出演時の映像。

Kiss In The Dark - Pink Lady

ビルボードで40位以内にランクイン(これは坂本九「上を向いて歩こう」以来2例目)した「キッス・イン・ザ・ダーク」ですが、日本のオリコンでは最高位19位と、それまで維持してきたトップ10すら獲得することが出来ませんでした。これは、今まで発表してきた子供も親しめる楽曲群とは一線を画した、本格的なディスコ・ミュージックであったためであり、この時点で子供の間での流行は一気に収束したと思われます。
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オリコン最高位19位に留まった「キッス・イン・ザ・ダーク」
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