桑田佳祐の初監督作品 「稲村ジェーン」
昭和40年の湘南稲村ヶ崎を舞台に、伝説の大波(ジェーン)を待つサーファーたちの人間模様を描く青春ドラマです。
脚本は「19ナインティーン」の康珍化が執筆し、監督はサザンオールスターズの桑田佳祐。もちろん、これが、映画監督桑田のデビュー作。撮影は猪瀬雅久がそれぞれ担当しています。
音楽界で成功した桑田の映画、ということもあって前評判は高く1990年度の日本映画配給収入年間ランキング4位、累計配収額は18億3000万円(社団法人日本映画製作者連盟の調べによる)、観客動員数350万人を記録し、東京・有楽町マリオンの映画館、日劇東宝(現・TOHOシネマズ日劇)の観客動員数を更新するなど、興行的には成功した作品
夏の終わりの物語
サーフィンが始まってまだ日も浅い湘南稲村ヶ崎。結核で療養中の主人に変わって海岸の骨董屋を預かっているヒロシは、地元のサーファーグループ「ライダーズ」達から海乞食と呼ばれるはぐれサーファー。
夏の終わりのある朝、伊豆から帰ったヒロシを待ち受けていたのは伊勢佐木町のチンピラ、カッチャンだった。
レストラン「ビーナス」で演奏しているバンドのリーダー、マサシがヒロシの留守中、預かった骨董品の壷を横流ししてしまったのだ。
カッチャンのおどしに慌てた二人は、ひとまず鴨川に逃げるがその帰り道、ふと立ち寄ったソープランドで、魅力的な長い髪の風俗嬢波子と出会い、稲村ヶ崎に連れて来るのだった。情熱的で奔放な波子は、退屈な毎日を送るヒロシたちの心に静かな波を立て始めた。
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そんな時、再びヒロシたちの前にカッチャンが現れる。
身構えるマサシに、壷のことはもうどうでもよくなったと告げるカッチャンは、大阪に鉄砲玉に行くことになったのだという。
時代の波は、稲村ヶ崎の海岸にさまざまな形で打ち寄せてきた。
東京の会社に「ビーナス」の身売りの話が進められ、マサシが率いるバンドのドラマーはグループサウンズを組むためにメンバーを抜ける。さらに風を切って大阪に出かけていったカッチャンは鉄砲玉をしくじって稲村に戻ってきたのだ。
ヒロシ、マサシ、カッチャン、波子に奇妙な友情が芽生え始めた時、カッチャンは伊勢佐木町に連れ去られる。ビーナス最後の夜、ヒロシはサーフィンをやめる決心をした。
その夜、骨董屋の物置の中からボロボロの布に包まれた伝説の竜のボードが見つかった。
それは20年前に伝説の大波に乗ったというサーファーが削った4メートルのロングボードだった。そして同じ頃稲村に台風がやってくる。
伝説の大波を待つビーナスのマスターは海に出かけるが、波には乗れなかった。翌朝、夢から覚めたような感じのヒロシたちと共に、夏は過ぎ去っていくのだった。
加勢大周のデビュー作
本作の主役に大抜擢されて俳優デビューを果たした加勢大周。
オーディションの参加人数は3万人とも言われています。
さすがサザンの桑田!
初監督作品への期待と注目度が伺い知れますね!
オーディションの参加人数は3万人とも言われています。
さすがサザンの桑田!
初監督作品への期待と注目度が伺い知れますね!
オーディション時は就職が決まっていた!
「僕は高3のとき、バイト先の焼き鳥屋でスカウトされて、インターフェイスという事務所でモデルの仕事を始めたんですけど、ギャラを払ってくれない。
要求したら“3本仕事したから3万円”と言われ、カチンときて“辞めます”と言った。
そしたら“今進んでる映画のオーディションを頑張ってみてくれ”と。
実は、もう就職活動をして教材会社から内定をもらっていたんですが、その『稲村ジェーン』のオーディションに合格しちゃった。せっかくだから役者として頑張ろう、と腹を決めました」
※「週刊新潮」2016年2月25日号 掲載
加勢大周 インタビュー
加勢大周 インタビュー
音楽はもちろんサザンオールスターズ
同映画のサントラ盤CD『稲村ジェーン』(サザンオールスターズ&オールスターズ)が1990年9月1日にビクター音楽産業(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)から発売され、映画のサントラ作品としては異例の日本国内のみでのミリオンセラーを記録した。
同アルバムには、主題歌の「真夏の果実」、全スペイン語詞の「稲村ジェーン」「愛は花のように(Ole!)」、サザンのコンサートでの定番曲「希望の轍」、サザンの公式発表曲では唯一のア・カペラ曲「忘れられたBIG WAVE」などが収録され、「愛して愛して愛しちゃったのよ」は後に「原由子&稲村オーケストラ」名義でシングルカットされた。
※2015年時点でDVDの発売はされていません。