個性的な先生方
美術の風間先生
1975(昭和50)~1982(昭和57)年。
東南中学の2年生と3年生の担任を1年おきに受け持つ。それぞれの年齢の問題を丁寧に描く姿勢と風間先生の人柄が支持を得て、広いファンを獲得した。
風間先生を演じた湯浅実さんは、名古屋放送局80周年の記念誌にこんな言葉を寄せている。「風間先生を演じる私は、いつも無様な生き方しか出来なくて、お世辞にもカッコいいとはいえない、そんな風間を彼ら(子どもたち)は、大人なんだからと許し、励まし、愛してくれた」
<追記>
風間先生を演じられた湯浅実さんが、2019年8月3日に誤嚥性肺炎のため、お亡くなりになりました。84歳でした。
1969年に劇団青年座に入団し、長らく俳優として活躍されました。2000年には紀伊國屋演劇賞の個人賞を受賞されています。
初期の「中学生日記」を支えられた湯浅実さんのご冥福をお祈りします。
1969年に劇団青年座に入団し、長らく俳優として活躍されました。2000年には紀伊國屋演劇賞の個人賞を受賞されています。
初期の「中学生日記」を支えられた湯浅実さんのご冥福をお祈りします。
技術家庭科の東(あずま)先生
via www.nhk.or.jp
1982(昭和57)~1989(平成元)年。
舞台の中学校が“名北中学”に変わり、先生も3年D組担任、技術家庭の東先生と、2年B組担任、英語の伊吹先生(矢羽みどり)に交代。のちに2年B組担任は、池田先生(野沢由香里)に替わった。
ドラマのテーマは、当時、問題化してきた非行や登校拒否、そして受験戦争や中学生の性の問題など多岐にわたった。東先生らは生徒たちいっしょに悩みながら、温かく見守った。
美術の南先生
via www.nhk.or.jp
1989年(平成元年)~1996年(平成8年)
3年C組担任。
3年C組担任。
いじめについての討論会での発言
生徒たちの旅立ちに、南先生はこの言葉を贈った。この場面、生徒たちに向けた言葉は、すべて岡本富士太のアドリブだった。
「君たちに最後に言い残したいのは何度も、つまずいたよな。そして、ころんだ。だけどな、そこから立ち上がって、夢だけは捨てないで進もうと思って来た。なあ、また失敗するかもしれないよ。だけどな、そうなっても、また起き上がって進もうと思うんだ。だから、君たちも、決して、夢だけは捨てないで欲しい。俺がな、俺が、先生として、君たちに贈る最後の言葉だ」と言い残しました。
理科の春日先生
via www.nhk.or.jp
1996年(平成8年)~1998年(平成10年)
3年C組の担任として赴任。
自らもいじめをした経験があり、それを描いた「いじめの果てに」の回があります。
3年C組の担任として赴任。
自らもいじめをした経験があり、それを描いた「いじめの果てに」の回があります。
理科の仲川先生
via www.nhk.or.jp
1998年(平成10年)~2001年(平成13年)
3年C組担任。
この時期には、名北中の創設以来の初の女性校長・石狩先生(森孝子)も着任されました。
ちなみに、いとうまい子は名古屋出身ですね!
3年C組担任。
この時期には、名北中の創設以来の初の女性校長・石狩先生(森孝子)も着任されました。
ちなみに、いとうまい子は名古屋出身ですね!