TV『水戸黄門』の一場面
今までに数え切れない程の時代劇が映画やテレビで上映・放映されてきているが、『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』など、息が非常に長い番組などでは、ワンシーン毎にパターン化しているものが多々あるため、酷い場合は、そのパターン画像を組み合わせることで、一本の番組ができてしまうこともありそうな感じがする。
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まず、頭によぎったフレーズは、「おぬしも悪よのう!!」
安土桃山文化村の定番お土産「おぬしも悪よのう饅頭」
場面設定としては、夜、悪代官の屋敷において悪徳商人(廻船問屋、両替商など)との謀議の際に、悪徳商人から袖の下(山吹色の菓子を詰めた菓子箱など)を渡された状況が挙げられる。悪代官でこの台詞を連想する人も少なくないが、実際のテレビドラマではあまり使用されていない(時代劇の悪代官役で知られる川合伸旺によると、田口計と共演したCM撮影時にアドリブとして生まれ、それが採用されて視聴者にインパクトを与え、定着したとのこと)。なお、この台詞には「いえいえ、お代官様ほどでは…」との台詞が続くのが代表的である。
後に、「ばか殿」などで、このシーンとフレーズがギャグとして放送されたことによる影響がかなりあるという。
でも、『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』でだいぶ見たような・・・。
後に、「ばか殿」などで、このシーンとフレーズがギャグとして放送されたことによる影響がかなりあるという。
でも、『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』でだいぶ見たような・・・。
屋敷の中で悪代官に娘が襲われ、帯がほどけながら「あ~れ~」
これを”帯回し”というそうです!!
男性ならば、和服を着た女性がいたら一度はやってみたい(実際にやったら犯罪だ!!)と思ったことはないですか?
着物の帯を引っ張りほどく。女性は帯がほどける方向にくるくる回り、すっかりほどけた時点でへにゃりと床にくずおれるのがお約束。
「お戯れはいけませんわ、お代官様!!」
「まあ、よいではないか、よいではないか!」
「あーれー、お助けぇ!!!」
ちなみに普通の締め方では、胴に巻いている部分の帯が短すぎて、帯回しはできないとか・・・?。
これは、悪代官の屋敷に酌をさせるため(目的は何であれ下心があるからだろ!!)に呼んだ町娘が酌をしようとした瞬間にその手掴み、強引に手篭めにしようとするシーンです。ただ、これも二つの展開があったような・・・。このシーンが番組の序盤の場合には、すぐ翌朝に場面が切り替わり、自殺または殺された娘が溺死体で発見されるケース。もう一つのケースは番組の終盤の場合で、娘が抵抗するにもかかわらず、悪代官に少しだけ脱がされた状態になってから、ようやく主人公が阻止しようと登場する。しかし、決して、悪代官が襲う前や、逆に行為に及んでいる最中に主人公が登場することはなかったような・・・。
着物の帯を引っ張りほどく。女性は帯がほどける方向にくるくる回り、すっかりほどけた時点でへにゃりと床にくずおれるのがお約束。
「お戯れはいけませんわ、お代官様!!」
「まあ、よいではないか、よいではないか!」
「あーれー、お助けぇ!!!」
ちなみに普通の締め方では、胴に巻いている部分の帯が短すぎて、帯回しはできないとか・・・?。
これは、悪代官の屋敷に酌をさせるため(目的は何であれ下心があるからだろ!!)に呼んだ町娘が酌をしようとした瞬間にその手掴み、強引に手篭めにしようとするシーンです。ただ、これも二つの展開があったような・・・。このシーンが番組の序盤の場合には、すぐ翌朝に場面が切り替わり、自殺または殺された娘が溺死体で発見されるケース。もう一つのケースは番組の終盤の場合で、娘が抵抗するにもかかわらず、悪代官に少しだけ脱がされた状態になってから、ようやく主人公が阻止しようと登場する。しかし、決して、悪代官が襲う前や、逆に行為に及んでいる最中に主人公が登場することはなかったような・・・。
「苦しゅうない、近こう寄れ」は大河ドラマでもよく聞くフレーズ
殿様に拝謁する場面
江戸時代までの封建制の中で、身分の低い者が、身分の高い者(殿様など)に呼び出され、相手に近づくどころか顔を見ることさえ恐れ多いほどに緊張して平伏している時などに、開けっ広げな身分の高い者などは「そんなに緊張することないから、もっと近くに来てくれないか」という意味で、身分の高い者から低い者にかけた言葉であった。時代劇や映画では、この言葉の後で、身分の低い者が、「ははっ!」っと言いながら、ひれ伏した状態で10cm程度、前の方に近づき、また身分の高い者が「もそっと!」と言って、もっと近づくように促していた。こんなやり取りが2~3回繰り返えされて、やっと双方が顔を拝んで会話できる状態になるのである。
しかし、事実は小説より奇なりというが、実際には近づくことすらできなかったようである。
また、似たような状況の言葉で、『苦しゅうない、面を上げよ!』があるが、これもこのような言葉をかけられたとしても絶対に面は上げなかったのである。
私たちは民主主義の世の中に生を受けたことに感謝しなければならない。
しかし、事実は小説より奇なりというが、実際には近づくことすらできなかったようである。
また、似たような状況の言葉で、『苦しゅうない、面を上げよ!』があるが、これもこのような言葉をかけられたとしても絶対に面は上げなかったのである。
私たちは民主主義の世の中に生を受けたことに感謝しなければならない。
via stat.ameba.jp
元ネタはコントだった「ゴホゴホ・・・いつもすまないねえ・・・」!!
Wink コント シャボン玉が消えた日より
病気持ちの親を持つ、けなげな一人娘が古びた長屋の一室で
娘「おっとつぁん、お薬できたよ(または「お粥ができたよ」)」
父「ゴホゴホ・・・いつもすまないねえ・・・こんな時おっかさんが居てくれたら・・・」
娘「それは言わない約束でしょ!」
暫くして借金取りのやくざが現れて乱暴・狼藉の限りを尽くすシーンは『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』でよく見ていた記憶があったのですが、実際調べて見ると、なんと1961年6月から始まった日本テレビの「シャボン玉ホリデー」というバラエティー番組の定番コントが発祥のようです。
娘「おっとつぁん、お薬できたよ(または「お粥ができたよ」)」
父「ゴホゴホ・・・いつもすまないねえ・・・こんな時おっかさんが居てくれたら・・・」
娘「それは言わない約束でしょ!」
暫くして借金取りのやくざが現れて乱暴・狼藉の限りを尽くすシーンは『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』でよく見ていた記憶があったのですが、実際調べて見ると、なんと1961年6月から始まった日本テレビの「シャボン玉ホリデー」というバラエティー番組の定番コントが発祥のようです。
via www.youtube.com
父親(ハナ肇)と娘(ザ・ピーナッツ、又はゲストたち)、またやくざ(植木等など)がからみ、落ちが色々ありました。当時クレイジーキャッツのリーダーだったハナ肇が、時代劇映画が大好きだったということと、自身が映画に出演したときの経験をモチーフにして、番組の構成作家だった青島幸男とともに考え出したコントだそうだ。ただ、ハナ肇もそれ以前の時代劇のシーンを参考にしている訳であるから、これは古典的な時代劇シーンの一つであろう。
via dqxtool.info
最後の集団チャンバラ・シーンで名フレーズが多い!!
『暴れん坊将軍』の「成敗!!」
テレビ番組や映画などで、クライマックスに近付く頃、悪者一味と最終的にバトルになるが、その時に発する”定番フレーズ”(決め台詞)が番組ごとにある。
ここでは、『暴れん坊将軍』の「成敗!!」を挙げたが、これに関してすでに記事が存在するので、下記に示します。
だが、実際の江戸時代にそのような大規模戦闘が繰り返されたとすれば、実に物騒な恐怖の時代になるだろう。(実際は忠臣蔵位しかなかったようですが・・・)
ここでは、『暴れん坊将軍』の「成敗!!」を挙げたが、これに関してすでに記事が存在するので、下記に示します。
だが、実際の江戸時代にそのような大規模戦闘が繰り返されたとすれば、実に物騒な恐怖の時代になるだろう。(実際は忠臣蔵位しかなかったようですが・・・)
時代劇の決め台詞・名台詞:大江戸捜査網・暴れん坊将軍・破れ奉行・遠山の金さん・水戸黄門ほか - Middle Edge(ミドルエッジ)

懐かしい時代劇の有名な名台詞や決め台詞を味わい尽くしてみましょう。
興味のある方はご一読下さい。
戦闘(チャンバラ)シーンでみんなで一斉に襲い掛かればいいのに自分の番まで待ってる敵ども
『スターウォーズ』のチャンバラシーン
テレビ番組や映画などの時代劇で、クライマックスに近付く頃、悪者一味と最終的にチャンバラになるが、必ずと言っていいほど悪党一味の親玉が「切れ!切れ!!」と叫んだ瞬間に全員が、刀を抜くが、主人公が近付くまでは、その場で待っていて、自ら近付こうとはしない。勿論、死ぬのは嫌なことは解るけど、私には”消極的”見えるのですが・・・。
私がもしも悪玉ボスだったら全員攻撃をしかけますがね!!!
私がもしも悪玉ボスだったら全員攻撃をしかけますがね!!!
via dnaimg.com
アメリカの映画監督であるジョージ・ルーカスも日本の時代劇ファンの一人ですが、彼が監督した『スターウォーズ』でもチャンバラシーンがだいぶありました。ただ、彼ではなく日本人がチャンバラシーンを撮ったなら、上の写真のような1対Nのチャンバラシーンはできていなかったでしょう。
日本人は最終的には1対1を好むのだ。
日本人は最終的には1対1を好むのだ。
「安心せぇ、みねうちじゃ!」は本来は武士としての絶対的禁じ手だった。
よく時代劇を見ていると刀の刃の方ではなく、刃の逆の方(峰)で相手を攻撃し、ダメージは加えるが、あくまでも殺さないようにしようとする意図がありありのシーンを見かける。例えば、『暴れん坊将軍』の主人公である徳田新之助(徳川吉宗)や『水戸黄門』の格さんはその代表的な例だ。一見考えると「いくら悪党でも私刑にしない」とする民主主義的発想が垣間見える。
だが、刀を力学的な視点から見ると、峰の方がはるかに弱いので、普段の如く力を入れて峰で叩きつけたら短時間のうちに刀が折れてしまうそうである。それから、叩きつけられた人にとっては、軽くて複雑骨折、打ち所が悪ければ、骨なんかグシャグシャになるのが落ちだそうです。日本刀の殺傷能力は突き刺すことでその能力が発揮されるそうです。
実際、戊辰戦争や西南の役での従軍医の日誌によると死傷者の主な原因は失血死ではなく殴打による頭蓋骨骨折や内臓破裂のほうが多かったとのこと。殺さずの峰打ちは架空の話だったのです。凶器が刃物から鈍器に変わっただけ。実際は峰打ちの方がもっと残酷だったのだ。
だが、刀を力学的な視点から見ると、峰の方がはるかに弱いので、普段の如く力を入れて峰で叩きつけたら短時間のうちに刀が折れてしまうそうである。それから、叩きつけられた人にとっては、軽くて複雑骨折、打ち所が悪ければ、骨なんかグシャグシャになるのが落ちだそうです。日本刀の殺傷能力は突き刺すことでその能力が発揮されるそうです。
実際、戊辰戦争や西南の役での従軍医の日誌によると死傷者の主な原因は失血死ではなく殴打による頭蓋骨骨折や内臓破裂のほうが多かったとのこと。殺さずの峰打ちは架空の話だったのです。凶器が刃物から鈍器に変わっただけ。実際は峰打ちの方がもっと残酷だったのだ。
via favo-to-to.com
チャンバラをしても血が噴出しない!?
映画『十三人の刺客』より
時代劇でどうしても納得が行かない場面があるが、それはチャンバラで切られた相手が「うー」とか「わー」とか言って倒れるんだけど、実際はどうだったんだろう?私の考えでは苦しみ、のた打ち回る人もいるんだろうと・・・?。
いつまでもいつまでも苦しみ続け、出血多量になるんじゃないか?切られたその場ですぐに、死ぬ事は無かったんじゃないだろうか?もちろん首なんか切られたら即死かもしれませんが・・・?。それに「刀の刃」って、あんなに切り合ってたら切れないんじゃないかな?とも思うんですが・・・?。私が考えすぎでしょうか? 考えると夜も眠れなくなります(笑)
いつまでもいつまでも苦しみ続け、出血多量になるんじゃないか?切られたその場ですぐに、死ぬ事は無かったんじゃないだろうか?もちろん首なんか切られたら即死かもしれませんが・・・?。それに「刀の刃」って、あんなに切り合ってたら切れないんじゃないかな?とも思うんですが・・・?。私が考えすぎでしょうか? 考えると夜も眠れなくなります(笑)