【訃報】プロレスラーの永源遙さんが死去
28日、元プロレスラーの永源遙さん(本名同じ)が死去したことが分かった。70歳だった。
所属団体だったノアの広報担当によると「亡くなられたのは事実。詳細は確認できていない」とのことだが、関係者の話では、同日の午後8時ごろに自宅の風呂場で倒れたという。
所属団体だったノアの広報担当によると「亡くなられたのは事実。詳細は確認できていない」とのことだが、関係者の話では、同日の午後8時ごろに自宅の風呂場で倒れたという。
永源さんは石川県出身で、木村政雄(ラッシャー木村)に誘われ、66年に大相撲立浪部屋から東京プロレスに入門。その後、東京-日本-新日本-ジャパン-全日本-ノアと主要6団体を渡り歩いた。
全日本時代には渕正信らとのチーム「悪役商会」が話題となり、90年代にはジャイアント馬場らの「ファミリー軍団」と抗争を展開し、人気者になった。
また、「ツバ攻撃」が代名詞で、永源の客席へのツバ吐きに対して観客が新聞紙で防御する光景が名物になった。コミカルなファイトもファンの支持を得た。百田光雄とは永遠のライバルで100戦以上もシングルで対戦。
06年3月の引退後はノアで常務取締役などを務め、退社後もノアの事務所や試合会場に姿を見せていた。
全日本時代には渕正信らとのチーム「悪役商会」が話題となり、90年代にはジャイアント馬場らの「ファミリー軍団」と抗争を展開し、人気者になった。
また、「ツバ攻撃」が代名詞で、永源の客席へのツバ吐きに対して観客が新聞紙で防御する光景が名物になった。コミカルなファイトもファンの支持を得た。百田光雄とは永遠のライバルで100戦以上もシングルで対戦。
06年3月の引退後はノアで常務取締役などを務め、退社後もノアの事務所や試合会場に姿を見せていた。
via daily.c.yimg.jp
プロレスラー 『永源遙』
1946年1月11日生まれ。石川県鹿島郡鹿西町(現在の中能登町)出身。
リングネームは永源遙、永源勝、グレート・トーゴー。
1966年5月に東京プロレスに入団してプロレスラーに転身し、永源勝のリングネームでデビュー。
1967年に東京プロレスが崩壊した後は日本プロレスに移籍した。
1973年に新日本プロレスに移籍。1980年には、ストロング小林とのコンビで、国際プロレスからIWA世界タッグ選手権を奪取。
1984年にジャパンプロレス結成の際に同団体へ移籍。ジャパンプロレス消滅後の1987年には全日本プロレスへ移籍した。
1990年に、天龍源一郎らを引き抜いて旗揚げしたSWSのメインスポンサーだったメガネスーパーから、タニマチとの関係や営業能力を買われて億単位の支度金を用意されて参加を要請されたが、現役を続けるために断っている(SWSに移籍した場合はフロント専任になる可能性が高いと感じていた)。
リングネームは永源遙、永源勝、グレート・トーゴー。
1966年5月に東京プロレスに入団してプロレスラーに転身し、永源勝のリングネームでデビュー。
1967年に東京プロレスが崩壊した後は日本プロレスに移籍した。
1973年に新日本プロレスに移籍。1980年には、ストロング小林とのコンビで、国際プロレスからIWA世界タッグ選手権を奪取。
1984年にジャパンプロレス結成の際に同団体へ移籍。ジャパンプロレス消滅後の1987年には全日本プロレスへ移籍した。
1990年に、天龍源一郎らを引き抜いて旗揚げしたSWSのメインスポンサーだったメガネスーパーから、タニマチとの関係や営業能力を買われて億単位の支度金を用意されて参加を要請されたが、現役を続けるために断っている(SWSに移籍した場合はフロント専任になる可能性が高いと感じていた)。
2000年、全日本大量離脱→プロレスリング・ノア旗揚げと共に同団体へ移籍。この際、当時の全日本所属選手や取締役、さらには支援者のほとんどがノアに追随した背景には永源の力が大きかったといわれる(当時、アントニオ猪木もインタビューで永源がノア側に就いたことを知り、ノアの成功を予想するようなコメントを出していた)。
2006年3月26日、自身の出身地である旧鹿西町の、スポーツセンターろくせい大会で現役引退試合を実施。
2006年4月28日、引退記念パーティが帝国ホテルにて行われ、各界の著名人ら800人が出席して催され、プロレス関係者以外にも梅宮辰夫、渡哲也、西城秀樹、せんだみつお、栃東、魁皇、千代大海をはじめとした各界の有名人が参加し、西城秀樹はミニライブまで披露した。
2006年3月26日、自身の出身地である旧鹿西町の、スポーツセンターろくせい大会で現役引退試合を実施。
2006年4月28日、引退記念パーティが帝国ホテルにて行われ、各界の著名人ら800人が出席して催され、プロレス関係者以外にも梅宮辰夫、渡哲也、西城秀樹、せんだみつお、栃東、魁皇、千代大海をはじめとした各界の有名人が参加し、西城秀樹はミニライブまで披露した。
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