吉川晃司が水球日本代表の応援歌を制作!
吉川晃司が、大本洋嗣監督や選手からの応援曲作成依頼を快諾した。
リオ五輪水球日本代表「ポセイドンジャパン」公開練習とNHK「SONGS」の収録を兼ねて行われた席での発表となった。
下記画像は、「ポセイドンジャパン」の選手と同じくガッツポーズをとる吉川。
32年ぶりの五輪に挑むチームを激励していた。
リオ五輪水球日本代表「ポセイドンジャパン」公開練習とNHK「SONGS」の収録を兼ねて行われた席での発表となった。
下記画像は、「ポセイドンジャパン」の選手と同じくガッツポーズをとる吉川。
32年ぶりの五輪に挑むチームを激励していた。
via www.asahicom.jp
リオ五輪メダル候補オーストラリア代表との練習試合に「よしっ!」「惜しい!」と時折声を上げながら、熱視線を送った吉川。
それもその筈。吉川は、広島・修道中時代から水球を始め、修道高時代には世界ジュニア水球選手権大会の日本代表にも選出。2年連続で全日本高校最優秀選手に選ばれ、将来を期待された逸材だった。
「ジュニアの合宿でこのプールにも来た。たくさん練習した地獄がよみがえるよ」と苦笑いの吉川だった。
それもその筈。吉川は、広島・修道中時代から水球を始め、修道高時代には世界ジュニア水球選手権大会の日本代表にも選出。2年連続で全日本高校最優秀選手に選ばれ、将来を期待された逸材だった。
「ジュニアの合宿でこのプールにも来た。たくさん練習した地獄がよみがえるよ」と苦笑いの吉川だった。
吉川晃司が水球を辞めた理由
水球最年少の日本代表としてイタリア・エジプト遠征にも参加する等していた吉川晃司。
しかし、同じ水泳部だった酒井麿(後のロックバンド「BEE PUBLIC」のドラム&ボーカル)に誘われロックバンド(EIGHT CITYS FISH BAND/通称:はまちバンド)に加入する。
そして、佐野元春のコンサートを見て、カルチャーショックを受け、「音楽の世界でビッグスターになる」と決意。
沢田研二やアン・ルイスが所属した渡辺プロダクションに「広島にスゴい奴がいる、見に来ないと一生悔いを残す」と手紙を書き送りつけた。
しかし、同じ水泳部だった酒井麿(後のロックバンド「BEE PUBLIC」のドラム&ボーカル)に誘われロックバンド(EIGHT CITYS FISH BAND/通称:はまちバンド)に加入する。
そして、佐野元春のコンサートを見て、カルチャーショックを受け、「音楽の世界でビッグスターになる」と決意。
沢田研二やアン・ルイスが所属した渡辺プロダクションに「広島にスゴい奴がいる、見に来ないと一生悔いを残す」と手紙を書き送りつけた。
via ks.c.yimg.jp
慶応義塾大学進学の道を捨てて、高校を中退!
高松の松本明子を見に行った帰りに、渡辺プロの関係者が吉川に会いに来た。
その後、幾度かのオーディションを経てナベプロ入りを成功させる。
修道高校からは水球の推薦で慶應義塾大学に特待生として入学できる道が開かれていたため、教師、両親や周囲から猛反対を受けた。
父親からは「芸能界ってのは猿まわしだ。お前は東京で猿になるのか」と言われたが、「いつか自分で動いてやる」と決意を固めた。
実際は高校を卒業してからという話だったが、吉川本人の「今すぐにでも」という話で、修道高校3年に上がる直前に中退して上京。
その後、シングル「モニカ」でデビューを飾った。
その後、幾度かのオーディションを経てナベプロ入りを成功させる。
修道高校からは水球の推薦で慶應義塾大学に特待生として入学できる道が開かれていたため、教師、両親や周囲から猛反対を受けた。
父親からは「芸能界ってのは猿まわしだ。お前は東京で猿になるのか」と言われたが、「いつか自分で動いてやる」と決意を固めた。
実際は高校を卒業してからという話だったが、吉川本人の「今すぐにでも」という話で、修道高校3年に上がる直前に中退して上京。
その後、シングル「モニカ」でデビューを飾った。
via rocklyric.jp
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