不滅の記録保持者『フローレンス・グリフィス=ジョイナー』
奇抜と言われたネイルとファッション
だが、フローレンスはそれを断固として拒否した。
「ランナーである以前に、私はレディーでありたい」と。
引き締まった褐色の筋肉美
五輪前の全米選手権で100メートル10秒49の世界新。
【動画】フローレンスジョイナー 女子 100m 世界記録 10秒49
ソウル五輪で圧倒的な強さを発揮
Florence Griffith Joyner - Seoul 1988 Olympic Games - YouTube
金3つ、銀1つのメダルを獲得。
ジョイナーのドーピング疑惑
疑惑の目は、ジョイナーにも向けられた。
ジョイナーは疑惑を否定し、ドーピング検査の結果も「白」だったが、周囲からの疑惑の声が止むことはなかった。
そしてソウル・オリンピックから、わずか5ヶ月。
1989年2月25日。疑惑の渦中にあったジョイナーは突然、会見を開き、引退を表明した。
ステロイド等の薬物を使っているのだろうという疑惑の根拠は以下のような点が挙げられる。
◆1980年代半ばまではトップクラスではなかったのに、1988年に急激に成績が向上した。
◆1980年代半ば以降に、急激に体つきが変化した。グリフィス=ジョイナーのように、あるとき急激に体つきが変わって、急激に成績が向上した選手としては、ベン・ジョンソンやバリー・ボンズがいる。前者は薬物疑惑が証明され、後者は薬物使用の疑いが極めて強い。
◆この当時はドーピング検出システムの精度が低かった。
当時の東ドイツの選手は、ドーピングをしていても検出されなかった、と後に判明している。
◆筋肉が異常に隆起して血管が浮き上がっており、およそ女性らしくなくて、ほとんど男性化した体躯である。
◆女性らしさを強調した奇抜とも言えるファッションもドーピングによる男性化から目をそらさせるためではないかと言われている。
◆TVインタビューの際には女性らしい声をしているが、誌面インタビュー経験のある複数の人(古舘伊知郎など)が、「地声はとても低く、普通の女性の声とは思えない」ということを述べている。声の男性化は、ドーピングをした女性にしばしば指摘される点である。
◆29歳という早い引退は年々厳しくなるドーピング検査から逃げるためという説がある。引退の翌年からドーピング検査が強化されることが予告されていた。
◆38歳という早すぎる死はドーピングの副作用である可能性がある。ただし、死亡時の検死によると、死因は「てんかん発作による窒息死」であり、心臓は正常だったとも伝えられている。
◆ジョイナーの持つ2つの世界記録はいずれも達成から20年が経つが、競技レベルやトラックの質が格段に向上した現在においても肉薄する記録が存在しない。
ジョイナーの世界記録が消される?
一部の記録は以前と比べて飛躍的に向上している。
それに伴い、「現在も破られていない記録なんてドーピングによる記録ではないのか?」という疑問が沸き上がっている。
2017年5月、欧州陸連は陸上記録の信頼性を取り戻すために、検体(血と尿)の保存がされておらず再検査が不可能な2004年以前の記録は無効にすべきではないかと提言した。
もし、この提言が承認されることになれば、フローレンス・グリフィス=ジョイナーの世界記録は取り消されることになる。
夫であったアル・ジョイナーは「家族の名誉が汚されてしまう。死ぬ気で闘うし、あらゆる法的手段を見つけ出すつもりだ。五輪の金メダルへ向けた練習のように闘う。」と徹底抗戦を宣言している。
政府が貧困層に提供する集合住宅で幼少時代を送った彼女は、近所の子供達との駆けっこではいつもトップ。地元のスポーツクラブへ入り、7才で初めてトラックに立つとスプリンターとしての才能を開花させていく。 「ここから抜け出したい」とジョイナーは、自信があった「走り」に磨きをかけていった。
1984年のロサンゼルス・オリンピック、陸上女子200mのアメリカ代表に選ばれたジョイナーだが結果は銀メダル。1987年にロサンゼルス・オリンピック三段跳び金メダリストのアル・ジョイナーと結婚し、夫をコーチに迎えソウル・オリンピックに照準を絞った。
1988年のソウルオリンピックで100m、200m、400mRで金メダルを獲り3冠を達成。
ソウルオリンピックが終わった後、29歳で第一線の競技から引退した。
1998年9月21日、38歳の若さで心臓発作により急死した。