体への負担が少ない挿絵へシフト
アメリカのイラストレーションを研究し、ノーマン・ロックウェルに強い影響を受けた。
挿絵画家として才能を発揮、売れっ子イラストレーターに。
「明星」「平凡」等ではスターの似顔絵を描き、売れっ子挿絵画家となる。
さらに立風書房のジャガーバックスシリーズを始め、小学館の「なぜなに学習百科」シリーズ、学研の「ジュニアチャンピオンコース」、講談社の「ドラゴンブックス」などとする怪奇系児童書。
各社の学年誌・少年雑誌・少女雑誌にて、怪獣・怪人・幽霊・妖怪・怪奇現象などのイラストを手掛ける。
石原豪人の描く生々しく、妖しいイラストは子供たちの心を掴み、本の売り上げに大きく貢献した。
「マガジン」「サンデー」「少年画報」「キング」「ぼくら」、小学館の学年誌などの巻頭企画では常に引っ張りだこ。
少女雑誌では江戸川乱歩と組み、少年誌では円谷英二・香山滋らの「ウルトラQ」から始まった怪獣ブーム時代に乗って数え切れない挿絵を描き上げた。
寝る時間もろくに取れない殺人的なスケジュールの中、石原豪人はたった3日で百匹の怪獣を描いたこともあったという。
1967年の『少年マガジン』
私にとって少年マガジンと言えば1990年代の「はじめの一歩」、「カメレオン」、「疾風伝説 特攻の拓」などが頭に浮かぶが、昔はこんな感じだったとは…
絵に登場する人物の細かい表情まで丁寧に描き、文章からは想像しきれないものを全て補った。
文字が苦手な子供にとって、『文字を読みたくなる挿絵』を描く豪人は欠かせない存在であった。
「好き嫌いがなくてこそ高級な人間」がモットー
その主義の通り、注文されれば分野を問わず何でも描いた。
手がけた分野は、映画看板・紙芝居・カストリ雑誌・学習雑誌・少年雑誌・少女雑誌・芸能雑誌・新聞小説・劇画・広告・アメリカンコミックに至る。
さらにはシスコのキャプテンウルトラチョコレートのパッケージと包装紙まで手がけている。
時代の流れで少年誌の嗜好が劇画調からコミック調に変化していくと、豪人は「林月光」のペンネームを使って官能雑誌『SMマガジン』『小説エロトピア』やホモ雑誌『さぶ』へメインを移していく。
平成に入ってからはサブカルチャー雑誌やトレンド雑誌、家庭用ゲーム誌の挿絵まで描いていた。
豪人の『濃く』『暑苦しい』レトロな画風はオタク系雑誌で特に喜ばれたという。
小説の挿絵一つをとっても、歴史小説の司馬遼太郎、探偵小説の江戸川乱歩、日本的ヒーロー「月光仮面」の川内康範、SM官能小説の団鬼六。
全く異なる各分野のパイオニア全員に挿絵を提供しているのは石原豪人しかいないだろう。
その作品点数の多さゆえに、自宅の床が抜けたというエピソードもある。
石原豪人、自らの漫画作品も存在。
素顔は「エロ」と「ホモ」、そして「ユーモア」を愛した奇人?
石原先生をひとことで表現すれば『怪紳士』というところでしょうか…
『怪しい紳士』。
おしゃれだし、人あたりがソフトで紳士なんですよ…
でもなんだか怪しい感じがするんだなあ…
『妄想力』の凄い人でしたね。
妄想力があれだけ強烈だから、あんな絵が描けたんだと思います。
先生は何でも描くし、また何でも描けることを誇りにしていました。
もともと頭のいい人だから、私の依頼以上に、自分のアイデアで笑える画面を工夫されたりされました。私はいつもパロディで古めかしさを狙い、それで豪人先生に頼んだのですが、そんな注文って頑固な人なら怒っちゃったかもしれないですよね。
でも先生はむしろ喜んでやってくれました。
(だが石原豪人自身はゲイではないと語っていたらしい)
このインタビューの内容は書籍『篦棒(ベラボー)な人々』に収録されている。
石原豪人の個性的な人柄が垣間見える貴重な記事であるため、是非読んで欲しい。
篦棒な人々ー戦後サブカルチャー偉人伝: 竹熊 健太郎
康芳夫(マルチプロデューサー、虚業家)/石原豪人(挿絵画家、画怪人)/川内康範(月光仮面原作者、生涯助ッ人)/糸井貫二(全裸の超・前衛芸術家) 彼らケタ外れの偉人たちを追う伝説のインタビュー集。
裏の昭和が熱く妖しくよみがえる。
「古き良きアメリカ」を代表する画家、イラストレーター。
生涯に2000を超える作品を描いたと言われている。
1916年から1963年にかけて『サタデー・イーブニング・ポスト』紙の表紙を飾った。
(画像はその時の一枚)