解散、という意識はあまりなかったし、あっけらかんとしてた。自由だった。俺自身は、行く前に歌詞ができてなかったので、向こうに行っても歌詞制作に没頭してました。
今思うと、やっぱりイギリスのあの田舎の風景は忘れないし、「灰と蜃気楼」とかに出てくる“地平線”というワードは、そこから来たものなんです。
30年前とはレコードからカセット、CD、ネット配信など歌を届ける手段が変化し、録音技術や音響設備も大幅に進化しました。
ミュージシャンとして「昔と変わったなぁ」と実感されることはございますか?
いや、全然変わってるよねえ...。なんといってもCDが売れなくなっちゃいましたね(笑)
配信とか....でてきて。自分自身を振り返ると、昔は、作詞も作曲も全部自分でやりたいと考えてたんだけど、いつしか、ああ俺は「歌い手なんだな」、という心境になりましたね。
いい歌だったら、それが誰の曲でもいい、っていう。誰が書いた曲でも、同じ愛情を持って歌えるようになった。歌って自分の物じゃなくて皆のものなんだ、って思うようになった。
現在でも昔と変わらぬカッコいいステージ姿を披露されていますが、体型維持や体調管理の秘訣を教えて下さい。
ステージをやる、ってことにつきますね。引きこもってたらだめですよ。人の前に出続けてればゆるまない。ステージやれば、体調管理も自然とともなってくる。
ミドルエッジの読者には、デビュー・アルバム「LESSON 1」(1986年)からのファンも多いと思われます。ご自身では、そうしたRED'S(愛称)のファンに対して、どういった想いがありますか?
本当にありがたいですよね。未だに一人でライヴやってても「LESSON 1」から聞いてました、っていう方がいらっしゃって。もう、なんか仲間だな、って気持ちになりますね。
かつてRED'Sファンだった人たちが、今の“ダイアモンド・ユカイ”ってものも愛し続けてくれるわけで。
ミュージシャンとして以外にも役者やタレントなど幅広い活動をされていますが、どの活動もとても楽しまれているように感じられます。
もともと好奇心の幅が広かったのでしょうか?それとも何か楽しむための秘訣があるのでしょうか?
好奇心の幅が広いことは確かです。でも最初の20年くらいは音楽しかやってなくて、気がついたら少し窮屈になってたかもしれない。そこから解放された、って感じはあります。
バラエティに出たのは、ま、最初は騙されたみたいなもんで(笑)昔は一番嫌だったものだったのに、それを一旦取っ払ったら、何やってもいいって気持ちになれた。
殻を打ち破る、ってことです。
近年は織田哲郎さんのバンド「ROLL-B DINOSAUR」への参加、ミュージカル「ミス・サイゴン」への挑戦など、より活発に活動されています。今後の展望をお聞かせください!
今まで色んな人に曲書いてきたんですが、今年はソロ30周年になるんで、自分自身の歌をしっかり出していきたいな、と思ってます。
最後にファンの方へ向けて、メッセージをいただけますか!?
「一期一会」、って言葉を送りたいです。
今を大事に生きていく、ってこと。
共に頑張っていきたい。