沖田浩之について
沖田 浩之(おきた ひろゆき、1963年1月7日 - 1999年3月27日)は、日本の元アイドル、俳優。本名、置鮎 広之(おきあい ひろゆき)。愛称はヒロくん。神奈川県川崎市出身。神奈川県立川崎北高等学校卒業、青山学院大学経済学部経済学科中退。身長175cm、体重63kg。血液型はA型。
via www.amazon.co.jp
芸能界に入る前は竹の子族として活動していたことでも有名な沖田浩之さん。
芸能界入りした後、『3年B組金八先生』第2シリーズの松浦悟役で出演していたことがとても印象に残っています。
歌手としてデビューした時には熱狂的ファンの親衛隊も結成され、個性的なステージ用の応援コールが作られる程でした。
歌手としても俳優として活躍していた沖田浩之さんですが、1999年3月に他界されました。
今回はそんな沖田浩之さんのデビュー曲である「E気持」を中心に振り返りたいと思います。
芸能界入りした後、『3年B組金八先生』第2シリーズの松浦悟役で出演していたことがとても印象に残っています。
歌手としてデビューした時には熱狂的ファンの親衛隊も結成され、個性的なステージ用の応援コールが作られる程でした。
歌手としても俳優として活躍していた沖田浩之さんですが、1999年3月に他界されました。
今回はそんな沖田浩之さんのデビュー曲である「E気持」を中心に振り返りたいと思います。
デビュー曲「E気持」
「E気持」は1981年3月に発売された沖田浩之さんのデビューシングルです。
この曲はオリコンチャート最高位8位のヒットとなりました。
この曲はオリコンチャート最高位8位のヒットとなりました。
via www.amazon.co.jp
なんともキャピキャピした曲なんですが、初めて聴いた時は驚きませんでしたか?
『3年B組金八先生』のあの松浦悟がこんな曲を歌うなんて・・・という驚きはあったと思うんです。
「A・B・C、A・B・C、A・B・C、E~気持ち」なんて歌詞ですが、結構過激な歌詞を随分明るく歌ってました(笑)
なんといってもこの曲は作詞が阿木燿子さん、作曲が筒美京平さんだったことが一番注目すべきところだと思います。お二人にとっては企画モノ的な曲だったのでしょうか。なんとも楽しげな楽曲に仕上がってますよねぇ(^^)/
気持ちが明るくなる曲でした!
『3年B組金八先生』のあの松浦悟がこんな曲を歌うなんて・・・という驚きはあったと思うんです。
「A・B・C、A・B・C、A・B・C、E~気持ち」なんて歌詞ですが、結構過激な歌詞を随分明るく歌ってました(笑)
なんといってもこの曲は作詞が阿木燿子さん、作曲が筒美京平さんだったことが一番注目すべきところだと思います。お二人にとっては企画モノ的な曲だったのでしょうか。なんとも楽しげな楽曲に仕上がってますよねぇ(^^)/
気持ちが明るくなる曲でした!
E気持ち【沖田浩之】
via www.youtube.com
「E気持」の作曲に携わった人達
作詞:阿木燿子
阿木 燿子(あき ようこ、1945年5月1日 - )は、日本の作詞家・女優・小説家・エッセイスト。本名は木村 広子(旧姓は福田)。明治大学文学部卒業。夫はミュージシャン・俳優の宇崎竜童。2006年11月3日紫綬褒章受章。
日本レコード大賞、日本作詩大賞、日本レコードセールス大賞作詩賞や紫綬褒章、旭日小綬章まで受賞している阿木燿子さん。
日本を代表する作詞家さんですよね(^^)/
この曲は筒美京平さんとタッグを組んでますが、多くの曲は宇崎竜童さんが作曲し阿木燿子さんが作詞するというコンビで、多数のヒット曲を世に出しました。特に山口百恵さんの全盛期から引退までのヒット曲の多くは、このお二人による作詞・作曲でした。
日本を代表する作詞家さんですよね(^^)/
この曲は筒美京平さんとタッグを組んでますが、多くの曲は宇崎竜童さんが作曲し阿木燿子さんが作詞するというコンビで、多数のヒット曲を世に出しました。特に山口百恵さんの全盛期から引退までのヒット曲の多くは、このお二人による作詞・作曲でした。
作曲:筒美京平
筒美 京平(つつみ きょうへい、1940年5月28日 - )は、日本の作曲家、編曲家。本名は渡辺栄吉(わたなべ えいきち)。東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)出身。青山学院大学経済学部卒業。弟は音楽プロデューサーの渡辺忠孝。筒美音楽事務所(個人事務所)代表(神奈川県逗子市所在)。2003年、紫綬褒章受章。
via www.amazon.co.jp
言わずと知れた日本を代表する作曲の筒美京平さん。
1968年から1989年まで、22年連続で作曲家年間売上TOP10にランクインし、最も売上枚数が多かった年は1972年で約650万枚の売上を記録しています。
また、日本レコード大賞の作曲賞は過去5回受賞しており、これは全作曲家でトップの記録となっています。
なかなかメディアに露出をしない方ですが、その実力は日本一と言っても良いと思います。
1968年から1989年まで、22年連続で作曲家年間売上TOP10にランクインし、最も売上枚数が多かった年は1972年で約650万枚の売上を記録しています。
また、日本レコード大賞の作曲賞は過去5回受賞しており、これは全作曲家でトップの記録となっています。
なかなかメディアに露出をしない方ですが、その実力は日本一と言っても良いと思います。