ハリウッド製の超大作スペクタクル映画は子供心にもその凄さを感じた!!(1960年前半版)
2017年6月22日 更新

ハリウッド製の超大作スペクタクル映画は子供心にもその凄さを感じた!!(1960年前半版)

1960年前半は、私がちょうど幼児期より青年期に成長する時期であり、また外部からの刺激を積極的に取り入れようとしていた時期と重なります。ちょうどこの頃にハリウッド製の超大作スペクタクル映画が何本も封切され、両親と一緒に映画館に見に行きましたが、あまりの臨場感に恐怖感を憶えたことも多々ありました。そんな映画を年代別に集めてみました。

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’60年代初期は私の好きな歴史スペクタクル映画の宝庫だ!!

フランス革命の裏側を描いた歴史劇「マリー・アントワネッ...

フランス革命の裏側を描いた歴史劇「マリー・アントワネットに別れをつげて」の一場面

私が(1950後半版)で『十戒』や『ベン・ハー』を紹介したが、この50年代末よりの傾向として世界史に名を刻む「歴史」物を扱ったスペクタクル映画が次から次へと登場した時期であった。そして公開されれば、必ずヒットしたものだった。歴史物と言っても、古代史に基ずく物もあれば、近代のものもあった。

1960年も暮れようとする頃、公開された『スパルタカス』(1960)!!

『スパルタカス』(Spartacus)

『スパルタカス』(Spartacus)

『スパルタカス』(Spartacus)は1960年暮の米国映画。ハワード・ファストが執筆したスパルタクスの反乱をテーマにした小説を、スタンリー・キューブリックが映画化した歴史スペクタクル映画。主役にはカーク・ダグラスが起用され、アカデミー賞俳優ローレンス・オリビエが敵役のクラサスを演じている。共演には、ピーター・ユスティノフなど。彼は、この作品で第33回アカデミー賞助演男優賞を受賞し、その他4部門の受賞を獲得した。
物語としては、紀元前1世紀、ローマ共和国が隆盛を誇っていた頃――奴隷のスパルタカス(カーク・ダグラス)はバタイアタス(ピーター・ユスチノフ)の剣闘士養成所に売られた。彼はそこで女奴隷バリニア(ジーン・シモンズ)を知った。ローマの名将クラサス(ローレンス・オリヴィエ)がバタイアスを訪ねた。バタイアスは余興にスパルタカスと親友の黒人奴隷ドラバとの真剣勝負を命じた。ドラバは試合に勝ったが、スパルタカスを殺さずクラサスに襲いかかったが殺された。クラサスはバリニアを買い本国に送れと命じた。スパルタカスは悲しんだ。彼は同僚クリクサスと共謀して反乱を起した。首領スパルタカスと奴隷の集団は、つぎつぎに貴族の所領を襲い奴隷を解放し、ベスビアスの山腹に大奴隷軍の本拠をかまえた。バリニアも愛するスパルタカスのもとに戻ってきた。ローマの政界ではクラサスとグラッカス(チャールズ・ロートン)が主動権を争っていた。グラッカスはクラサスの勢力を駆逐するため、彼の部下グラブラス(ジョン・ドール)のローマ警備隊を奴隷軍攻撃に派遣し、かわりに友人ジュリアス・シーザー(ジョン・ギャビン)を守備隊長に任命した。奴隷軍はグラブラスを撃滅し、グラブラスは単身逃げ戻った。クラサスは責任をとって引退した。奴隷軍は南海岸に迫った。グラッカスはクラサスに再起を頼み、クラサスは成功したら執政官になることを条件に引き受けた。スパルタカスは元クラサスの召使アントナイナス(トニー・カーティス)を参謀にした。彼の悲願は奴隷を解放することで、沿岸の海賊と奴隷送還の契約をした。これを知ったクラサスは海賊を買収し、奴隷軍の後方に味方を上陸させた。奴隷軍は海賊の裏切りと前後の敵に挟まれ、スパルタカスはローマへの進撃を命じた。カプア近郊の大平原で両軍は戦火を交えた。一時は優勢だった奴隷軍は逆転された。バリニアは再びクラサスの奴隷になった。スパルタカスはアントナイナスと決闘を命じられた。しかも勝ったものははりつけになるという。2人は涙をのんで戦い、アントナイナスは死に、スパルタカスは城門の外の十字架にかけられた。独裁者クラサスにも悩みはあった。バリニアは貞節を守り、クラサスの意に敢然として従わなかった。失脚したグラッカスはクラサスの弱点をつき、バタイアスに命じてバリニア母子を誘拐させた。彼は最後の職権を行使して、母子を解放し自由を与え、国外に逃してやり、自分は自殺した。バタイアスはバリニア母子と戦車に乗って城門を出た。スパルタカスは十字架の上でまだ生きていた。十字架の下に立ったバリニアは子供を高くさし上げ、自由になったことを知らせた。死の直前に、妻子の自由になったことを知ったスパルタカスは、昇る朝日に向かって走り去る戦車を、いつまでもいつまでもみつめていた。

作品は3時間を越える大作ですが、全然飽きを感じさせないワクワク感がありました。

『スパルタカス』出演陣の横顔紹介

カーク・ダグラス(Kirk Douglas)

カーク・ダグラス(Kirk Douglas)

カーク・ダグラス(Kirk Douglas, 1916年12月9日 - )は、米国の俳優・映画プロデューサー。
本名はIssur Danielovitch Demsky。両親はロシア移民。高校時代に演劇に興味を持ち、セイント・ローレンス大学で文学士の学位を取得。スポーツ万能で特にレスリングを得意としていた。しかしとても貧しい家庭だったため、プロレスラーやホテルのボーイ、劇場の案内係など40もの職業に就きながらの苦学生だったという。やがて俳優を目指しアメリカ芸術アカデミーに学び(同期生にはローレン・バコールがいた)、ブロードウェイに立った頃に召集され海軍に入隊。戦地で負傷し除隊後はラジオや舞台に出演。やがて製作者のハル・B・ウォリスに認められ1946年「呪いの血」で映画デビュー。以降は映画一本に仕事を絞り「チャンピオン」で主演賞候補となった。以降は「悪人と美女」、「炎の人ゴッホ」と同賞候補となり、「OK牧場の決斗」、「ガンヒルの決斗」、「スパルタカス」といった西部劇や大作などに出演。その一方では自身のプロダクション、ブライナ・カンパニーを設立。旧友バート・ランカスターと共に独立プロの先駆者にもなった。政治にも関心を示し、1960年代の出演作にもその影響が出ていると言われている。結婚はダイアナ・ダグラスと1943年に結婚。二児をもうけるが1951年に離婚し1954年に再婚した。前妻との子供は後のマイケル・ダグラスとジョエル・ダグラス。再婚者との間に生れた子供はエリック・ダグラス、ピーター・ダグラスと皆映画関係の仕事に就いた。
ローレンス・オリヴィエ(Sir Laurence Ke...

ローレンス・オリヴィエ(Sir Laurence Kerr Olivier)

ローレンス・オリヴィエ(Sir Laurence Kerr Olivier, Baron Olivier of Brighton OM, 1907年5月22日 - 1989年7月11日)は、英国の俳優、映画監督、貴族。アカデミー賞を受賞し、シェイクスピア俳優としても有名。
20世紀の名優として多くの映画人から称賛される。本名はローレンス・カー・オリヴィエ(Laurence Kerr Olivier)。愛称はラリー(Larry)。舞台と映画の両方で活躍した英国を代表する男優にして演出家。善人から悪役まで幅広い役どころを演じていても、独特の優雅さを醸し出し、決して下品にならなかった名優である。
シェイクスピア劇の演出&出演で有名だっただけではなく、出演初期の『高慢と偏見』のミスター・ダーシー役や、『嵐ケ丘』のヒースクリフ役など、若い時はハンサムな役どころもものにした。1963年から1973年までロンドンのナショナル・シアターの芸術監督としても活躍。
1940年から1960年まで、ヴィヴィアン・リーと結婚していたことでも有名。その後は、劇団で活動していた女優のジョーン・プローライト?と結婚した。

なお、彼の名を冠にした演劇賞「ローレンス・オリヴィエ賞」が発足され、ウェストエンドの演劇界の最高の権威となっている。
ピーター・アレクサンダー・ユスティノフ(Sir Pet...

ピーター・アレクサンダー・ユスティノフ(Sir Peter Alexander Ustinov)

ピーター・アレクサンダー・ユスティノフ(Sir Peter Alexander Ustinov, 1921年4月16日 - 2004年3月28日)は、英国のアカデミー賞受賞俳優で、小説家、脚本家、劇作家、映画監督。大英帝国勲章受勲者。アカデミー助演男優賞を『スパルタカス』(1960年)と『トプカピ』(1964年)の2作品で獲得した。
両親はともにロシア人で、母はデザイナー、父はジャーナリストという家庭に生まれる。小学生の頃から舞台の台本を書くようになり、16歳で高校をやめてロンドン・シアター・スタジオに入る。1938年にプロ・デビューを飾り、翌年には自作の戯曲に主演するなど製作サイドとしても多彩な才能を発揮する。1940年に映画デビュー。1942年から陸軍に従軍するがその間エリック・アンブラーと共に「最後の突撃」の脚本を手掛けた。その後監督デビューも果たし、1951年には「クォ・ヴァディス」でアカデミー助演賞候補にあがる。以降国際的に活躍を続け、1978年の「ナイル殺人事件」からは名探偵ポアロとして親しまれた。また文壇界でも活躍していて長編小説を3作、短編集も2冊出版している。1990年には“サー”の称号も与えられた。二度の離婚歴有り。2004年3月、晩年を過ごしたスイスの地で永眠。享年82歳。

後の「ミッション・インポッシブル」に通じるものがある『ナバロンの要塞』(1961)

『ナバロンの要塞』(THE GUNS OF NAVAR...

『ナバロンの要塞』(THE GUNS OF NAVARONE)

『ナバロンの要塞』(ナバロンのようさい、The Guns of Navarone)は、英国の作家アリステア・マクリーンが1957年に発表した戦争小説である。1961年に映画化され、小説・映画ともども評判となった。出演者は主役に、グレゴリー・ペック、デヴィッド・ニーヴン、アンソニー・クイン、スタンリー・ベイカー、共演には、アンソニー・クエイル、ジェームズ・ダーレン、イレーネ・パパス、リチャード・ハリスなどと豪華。
物語としては、1943年の第二次大戦下のエーゲ海。ケロス島に取り残されたイギリス兵2000人の救出作戦は、困難を極めていた。ドイツ軍の誇る、ナバロン島の2門の巨砲が、エーゲ海を行き交うイギリス艦隊を待ち受けていたのだ。
連合軍は、ドイツ軍の作戦を1週間前に察知していたため、その後の6日間が、運命を決する日々となる・・・。
登山家キース・マロリー大尉(グレゴリー・ペック)を含めた5人の男達が、イギリス艦隊を守るため、ドイツ軍の誇るナバロン島の2門の巨砲の破壊に向かう。
悪天候で物資を失い、負傷者を出し、スパイの妨害に遭いながらも目的地に達したマロリーらは、イギリス艦隊が迫る中、難攻不落の要塞に侵入する・・・。

成功の可能性がない、難攻不落の要塞破壊作戦に、一癖ある精鋭達が命をかけて立ち向うという、戦争映画としては、当時空前のスケールで製作された超大作で、戦争をテーマにした作品ではあるが、サスペンス・アクションとしても、映画史上に残るの傑作。

戦争映画の迫力に加え、多彩な登場人物の人物描写、推理とサスペンスも入り混じる、娯楽の要素が満載されたストーリーは、切れのいいJ・リー・トンプソンの演出で、見事な仕上がりを見せている。

第34回アカデミー賞では、作品賞をはじめ6部門にノミネートされ、特殊効果賞を受賞した。

『ナバロンの要塞』出演陣の横顔紹介

エルドレッド・グレゴリー・ペック(Eldred Gre...

エルドレッド・グレゴリー・ペック(Eldred Gregory Peck)

彼は6歳の時に両親が離婚し、薬剤師だった父と祖母に育てられた。カリフォルニア大学バークリー校で医者を目指して医学部で学んでおり、在学中はボート部で活躍したが、脊髄を痛めて選手を引退。代わって演劇に興味を持ち始め、卒業後俳優を志しニューヨークで舞台に立つようになった。その姿を見初められ、43年の「栄光の日々」でフォックスの大型新人として映画デビューを果たした。大学時代のボート部で脊髄を負傷し兵役免除となったことから、当時人材難だったハリウッドで「背が高く、高貴で美男な」ニュースターとして各社から注目を集め、5年間で12本の映画に主演するという超売れっ子になった。
「子鹿物語」の優しい父、「頭上の敵機」のパイロット、「紳士協定」の偏見に相対するジャーナリストなど、彼の好演も光るが、それらのほとんどの映画が高水準だったことも注目に値する。「頭上の敵機」ではニューヨーク批評家協会の主演男優賞を獲得する。45年から49年にかけて、「王国の鍵」「子鹿物語」「紳士協定」「頭上の敵機」と4度もアカデミー賞主演男優賞にノミネートされたが惜しくも受賞はならなかった。破竹の勢いの活躍は50年代に入っても続く。海洋アクション「艦長ホレーショ」「世界を彼の腕に」でアクションを披露したかと思えば、ヘミングウェイの名作「キリマンジャロの雪」での作家役、そして「ローマの休日」の新聞記者役。誰もが認めるハリウッドトップスターだった。その後自らのプロダクションを立ち上げ「大いなる西部」「白鯨」を撮る。映画の質は評価されたのだが、興行的にはあまりパッとしなかった。しかし、すぐに「ナバロンの要塞」でまたまた大ヒットを記録。続いて62年の「アラバマ物語」ではアカデミー主演男優賞を獲得した。清潔でリベラルな人間性あふれる弁護士役はまさしくペック自身を投影したかのような役で評価が高い。その後も「マッケンナの黄金」「アラベスク」「宇宙からの脱出」「オーメン」「マッカーサー」「ブラジルから来た少年」など、代表作は数知れない。
その温厚な人柄からハリウッドスターの中でも大変に人望が高く、第17回アカデミー協会長、ハリウッド俳優組合の会長を務め、俳優救済基金を設立した。
2003年6月12日、長年連れ添った妻ヴェロニクに看取られてこの世を去った。享年87歳。
ルックス、スター性、さらに人望にも恵まれたハリウッド黄金期を飾った紛れもない大スターの1人だった。
 (1879039)

デヴィッド・ニーヴン(David Niven、本名:James David Graham Niven 、1910年3月1日 - 1983年7月29日)は、英国・ロンドン出身の俳優。しゃれた髭が特徴で、都会的な紳士役で長らく人気を博し、スクリーンの粋の化身と称された。
本名はJames David Graham Niven。士官学校に入学して陸軍に入隊。マルタ島に進駐していたが、その任務に耐えきれず除隊。やがて上官だった元大佐の手助けでカナダを経てNYに渡り様々な職に就く。その後俳優を目指すようになりLAへ。エキストラを経てエドマンド・グールディング監督と知り合い、彼がサミュエル・ゴールドウィンに紹介してくれたおかげで1935年「生活への道」で本格デビューとなった。以降ゴールドウィンの作品に出演を続けるが演技の勉強をしていなかったために伸び悩む。第二次大戦中は英国陸軍の大佐として従軍。1946年に除隊してアメリカに戻った。1950年あたりから持ち前の気品とユーモアを醸し出したキャラクターで、代表作となった「80日間世界一周」や「ナバロンの要塞」、「ピンクの豹」や「007/カジノ・ロワイヤル」などで好演して人気を確立。1958年の「旅路」ではアカデミーを始め主要主演賞を獲得した。一方1952年にはディック・パウエルやシャルル・ボアイエら共に製作会社を設立してTV制作も手掛ける他、作家としての才能も発揮して自叙伝はベストセラーにもなった。結婚は2回で息子はプロデューサーとなっている。1983年、ルー・ゲーリック病によってこの世を去った。
アンソニー・クイン(Anthony Quinn)

アンソニー・クイン(Anthony Quinn)

アンソニー・クイン(Anthony Quinn, 1915年4月21日 - 2001年6月3日)は、アメリカで活躍した俳優、画家及び作家。
本名はAnthony Rudolfo Oxaca Quinn。少年時代に一家でLAに移住。しかし父が亡くなり、靴みがきから当時のボクシング・ヘビー級チャンピヨンのスパーリング・パートナーなど、さまざまな職業を経験。17歳の時、言語障害のために舌を手術し、そのリハビリをきっかけに演技に興味を示すように。36年初舞台を踏み、同年映画デビュー。これがセシル・B・デミルの目に止まり、「平原児」にインディアン役で出演。1937年にはパラマウントと契約するが以降50年代まではインディアンやギャングの一味といった役しかまわってこなかった。が、舞台『欲望という名の電車』出演中にエリア・カザンに認められ、1952年「革命児サパタ」にマーロン・ブランドと共演。アカデミー助演賞を受賞。以降はその実力を存分に発揮して共演した俳優陣を強烈な存在感で圧倒。1954年の「道」では本能を剥き出しにする主人公を演じて国際的スターとして踊り出た。その後も「炎の人ゴッホ」、「野性の息吹き」、そして彼の代表作となった「その男ゾルバ」とアカデミーにも顔を出し、「ガンヒルの決斗」、「ナバロンの要塞」などの娯楽大作でも好演。1980年後半からはTVにも出演していたが2001年3月、呼吸器疾患によってこの世を去った。結婚は3回で子供は計13人! 息子のフランチェスコとダニー、ヴァレンティナは後に俳優になった。趣味で描く絵画の腕前はプロにも匹敵することでも有名だった。

シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を元にした同名のブロードウェイ・ミュージカルの映画化作品が登場(1961)!!

『ウエスト・サイド物語』(West Side Story)

『ウエスト・サイド物語』(West Side Story)

1961年に公開された映画『ウエスト・サイド物語』は、日本でも大ヒットを記録し日本の配給収入だけでも13億円を突破する大ヒット作となりました。
シェイクスピアの代表作である『ロミオとジュリエット』を元にして映画化された『ウエスト・サイド物語』(1961)は、アカデミー賞に11部門ノミネート(うち10部門で受賞)したミュージカル映画である。
ロバート・ワイズとジェローム・ロビンスが共同で監督をつとめ、出演に、ナタリー・ウッド、リチャード・ベイマー、ラス・タンブリン、リタ・モレノ、ジョージ・チャキリス、その他。公開から50年以上たった今でも語り継がれる名作映画である。
物語の舞台は1950年代のニューヨーク・ウェストサイド。若者で溢れるこの街でポーランド系アメリカ人の少年非行グループジェット団とプエルトリコ系アメリカ人の少年非行グループシャーク団が毎日のように勢力争いを繰り広げていました。
きっかけさえあれば今にも爆発しそうな空気のなかでのダンスパーティー、そこで一目で愛し合うようになった二人、マリア(ナタリー・ウッド)はシャーク団の首領ベルナルド(ジョージ・チャキリス)の妹であり、トニー(リチャード・ベイマー)はジェット団の首領リフ(ラス・タンブリン)の親友だった。しかし、ジェット団とシャーク団はついにぶつかってしまった。マリアの必死の願いにトニーは両者の間に飛びこんで行ったが、血気にはやる彼らはトニーの言葉に耳をかそうとしなかった。そしてリフはベルナルドに刺されて死んだ。親友リフの死に我を忘れたトニーはベルナルドを殺してしまった。ベルナルドの恋人アニタ(リタ・モレノ)に責められてもトニーを忘れられないマリアは、トニーの高飛びに同意する。シャーク団のひとりチノはベルナルドの仇を打とうとトニーをつけ狙い、警察の手ものびてくる。アニタはマリアの愛の深さを知り、トニーと連絡をとるために街へ出ていくがジェット団に倒された怒りからマリアはチノに殺されたと言ってしまう。絶望して夜の町へ飛び出したトニーの前へ拳銃を構えたチノが現れた。急を聞いて来たマリアの腕の中で、トニーは絶命してしまった。

『ウエスト・サイド物語』出演陣の横顔紹介

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