美人女優として活躍した橘麻紀さん
ピラニア軍団特集からも早3年。サインいただく時に必ず行きますと言っておきながら、橘麻紀さんのお店にまだ行けていません… pic.twitter.com/fP4hnP64Ee
— おく☆けん (@TOKEIWOTOMETE) September 2, 2020
橘麻紀さんの経歴
1951年、福島県相馬郡小高町、現在の南相馬市に生まれた橘麻紀さん。父親は興行の世界に身を投じていたそうで、小さな頃から橘麻紀さんを歌手にすると決めていたようです。
1969年、地元の公立高校を卒業すると、父親の意思を受けて歌手を目指し、上京してモデルとして活動されるようになります。
1969年、地元の公立高校を卒業すると、父親の意思を受けて歌手を目指し、上京してモデルとして活動されるようになります。
当初は”加納エリ子”の芸名にて…
加納エリ子 汽笛が泣いている(1972年) - YouTube
Eriko Kano1972年5月リリース作詞:#千家和也作曲•編曲:#都倉俊一B面曲「太陽が沈むまで」はコチラ👇https://youtu.be/Kx4wqMbIQu0再生リストもお楽しみください🎶👇名曲の宝箱(昭和歌謡編)https://youtube.com/playlist?list=PLnu8ju...
こちらの楽曲で歌手デビュー。
その頃の橘麻紀さんの身長・スタイルは、当時のミス・ユニバースと同じサイズだったといい、スラッとした美脚には一億円の保険をかけていたなんて逸話も残っていますね。
その後、雑誌のグラビアに掲載されていた彼女は東映のプロデューサーの目に留まります。
プロデューサーから熱心な勧誘を受け、1973年には東映に入社。
”加納エリ子”の名義で…
プロデューサーから熱心な勧誘を受け、1973年には東映に入社。
”加納エリ子”の名義で…
via www.amazon.co.jp
こちらに出演され、彼女は女優デビューを果たします。
処女作にして官能的なカットに挑戦されているところも見逃せないポイントです。
処女作にして官能的なカットに挑戦されているところも見逃せないポイントです。
それ以降、芸名も”橘真紀”に改名され、女優として一糸まとわぬ姿を披露しました。
1974年公開の映画『ジーンズブルース 明日なき無頼派』
via www.youtube.com
via aucview.com
別名義 :加納エリ子
橘真紀
たちばな麻紀
生年月日:1951年2月6日
身長 :167㎝
出生地 :福島県南相馬市
職業 :女優
活動期間:1972年~