世界を席巻した【GP500】 の最速ライダーとモンスターバイクを振り返る。
2016年12月26日 更新

世界を席巻した【GP500】 の最速ライダーとモンスターバイクを振り返る。

バイクの世界選手権「GP」の世界で活躍した「Made in Japan」【ホンダ】、【ヤマハ】【スズキ】!その中でも、最高峰と呼ばれた「GP500」の名レーサーとカッコイイ名車を振り返る!

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GP500とは?

GP500とは、「ロードレース世界選手権」(現在はMotoGP)の500CCクラスの事である。
世界選手権(グランプリ=GP)は排気量によってクラス分けがあり、500㏄以下のGP500、250㏄以下のGP250、125㏄以下のGP125の3クラスがあります。

2002年度からGP500クラスの規則が変更されて、4ストロークエンジンの場合のみ排気量990㏄まで許されるようになり、「MotoGPクラス」に改称されました。
GP500

GP500

2001年までの53年間、選手権の最高峰を担ってきたクラス。4ストロークまたは2ストロークの排気量500cc以下のマシンで争われた。1966年から1972年にかけて、ジャコモ・アゴスティーニがMVアグスタを駆りクラス7連覇を達成している。また、1978年から1980年はケニー・ロバーツがヤマハで3連覇、1990年から1992年はウェイン・レイニーがヤマハで3連覇、1994年から1998年にはミック・ドゥーハンがホンダで5連覇を遂げた。 排気量は500ccながら130kgの車体に200馬力近い2ストロークエンジンを積むマシンはモンスターと呼ばれる一方、2ストロークゆえにタイムを縮めるにはごく狭いパワーバンドを維持しながら走行するテクニックが必要だったため素人では到底乗りこなせないピーキーなマシンだった。パワーが飛躍的に向上した1988年当時のホンダNSR500を初ライドした王者エディ・ローソンが「このバイクは俺を殺す気か!?」と言ったのは有名な話である。 現在のMotoGPマシンよりもタイヤ、車体が劣っているのもあり、パワースライドのバランスを取るために繊細なテクニック等が必要とされ、90年代中頃のマイルドなエンジンになるまでは、ダートトラックでテクニックを磨く事が多いアメリカンライダーとオージーライダーが躍動していた。また、各サーキットも現在と比較すると路面の状態がさほど良い状態ではなく、彼らにとって大きなアドバンテージとなっていた。

(引用:wikipedia)

GP500とえいば、「Made in Japan」、最速御三家といえば!

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90年代のGP500クラスは、ホンダを筆頭にヤマハ、スズキといった日本のメーカーが威信を懸けて開発したバイクが他を圧倒するようになり、世界GPでありながら日本の3大メーカー以外にはイタリアのCAGIVA(カジバ)が孤軍奮闘している状態になっていました。
世界の舞台で、日本のバイクが活躍している姿は、まさに興奮でした!

GP500で世界を魅了した「Made in Japan」のモンスターバイク!

1974年まで、ヨーロッパの「MVアグスタ」が王者に君臨していたが、1975年「ヤマハ」の優勝を皮切りに「ヤマハ」「スズキ」「ホンダ」の【Made in Japan】が世界を席巻する!

HONDA NSR500

HONDA NSR500

HONDA NSR500

2ストローク500ccV型4気筒エンジンを搭載したロードレーサーである。
500ccという排気量から、初代NSRは140ps、最終的には200psを超えると言われるまでのパワーを発揮した。年々のパワーアップ競争で常にライバルのヤマハやスズキをリードしていたと言われるが、ライダーのコントロール能力を超えるほどのハイパワーは諸刃の剣となる。その課題解決策として1992年に投入されたビッグバン・エンジンは、その後のGPマシン開発の方向性に大きな影響を与えたエポック・メイキングな技術であった。

(引用:wikipedia)
HONDA NSR500

HONDA NSR500

HONDA NSR500V

HONDA NSR500V

HONDA NSR500V

ホンダ・NSR500V (エヌエスアールごひゃくブイ) はホンダ・レーシング(HRC)が開発、市販した競技専用のオートバイで、2ストローク500ccV型2気筒エンジンを搭載したロードレーサーである。
NSR500Vはプライベーターが参戦しやすいマシンを目指して開発され、1996年のロードレース世界選手権500ccクラスにデビューした。V4マシンのNSR500と同じクランクケースリードバルブ式の水冷2ストロークVツインエンジンが搭載された。このエンジンは当時の他のホンダGPレーサーマシンと同じくVバンク角は100度、シングルクランクシャフトを採用する。車両重量は103kg、航空用ガソリン(通称「アブガス」)を入れた場合に135bhpを発生する。新車価格は、1997年モデルの場合で本体のみの定価が800万円、セットアップキット付きが920万円(いずれも税別)、エンジン・アセンブリーは320万円であった。

(引用:wikipedia)
HONDA NSR500V

HONDA NSR500V

YAMAHA YZR500

YAMAHA YZR500

YAMAHA YZR500

ヤマハ・YZR500(ワイゼットアールごひゃく)は、ヤマハ発動機がオートバイロードレース世界選手権と全日本ロードレース選手権500ccクラスに開発・投入した、競技専用2輪車両(オートバイ)の車種名称。YZRとは、“Y”ヤマハの“Z”究極の“R”ロードレーサーの意味である。
YZR500の1983年モデルである0W70は、始動性が悪かった。当時のスタート時のエンジン始動は押しがけであったが、ダッチTT(オランダGP)において、ケニー・ロバーツは押しがけ17歩目にして、やっとYZR500に乗ることができた。
YZR500の始動性の悪さについて、当時は、NS500の3気筒に比べてV形4気筒のエンジンレイアウトを持つYZRの特性によるもの、と言われていた。一説に0W70がロータリーディスクバルブを採用していたのが原因だという。
1980年代後半からのホンダ・NSRとスズキ・RGV-Γとの熾烈な争いでは、エンジンパワーに優れ最高速重視のNSR、軽快な車体で強力なブレーキングを得意とするRGV-Γに対してYZRは優れたハンドリングによる高いコーナーリング性能を武器としていた。
ヤマハでは前年のYZRのスペックを反映した競技専門車TZをプライベートライダー向けに1980年から1983年に発売しており、YZR500の市販車とも言えるTZ500が存在する(価格は1983年型で280万円)。

(引用:wikipedia)
YAMAHA YZR500

YAMAHA YZR500

SUZUKI RGV-Γ

SUZUKI RGV-Γ

SUZUKI RGV-Γ

スズキ・RGV-Γ500(アールジーブイ・ガンマごひゃく)は、スズキがロードレース世界選手権(WGP)・GP500クラス参戦用に開発した競技専用のオートバイ。
軽量な車体と軽快な運動性を武器としたGPマシンである。
1982年をもって、ワークスとしての活動を休止していたスズキは1988年より本格復帰を計画。早速テスト車が製作され1987年からの参戦を開始する。過去のスズキ車はスクエア型4気筒にロータリーディスクバルブのツインクランクエンジンを使用していたが、全くの新設計車両として2軸クランク・横置きV型4気筒とした。ライダーはケニー・アイアンズ。シーズン途中よりケビン・シュワンツがスポット参戦し開発のテンポは上がったもののパワー不足や開発初期にありがちなマイナートラブルを頻発し、シーズン途中で参戦を切り上げる。目的は翌1988年に向けての開発を急ぐためであった。

(引用:wikipedia)
69 件

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  • 2021/8/15 23:32

    アゴスティーニ・・・

    2021/7/27 01:22

    バリー・シーンも居ない><

    かっぱ 2020/8/1 08:04

    何か取り上げてるライダーが偏ってるのか
    抜けてる人が多いのは何故か?

    wings 2020/7/31 01:40

    平 忠彦はどうした!ロケット・ロン、ランディ・マモラ等の個性派達は?この記事に載せないなんて、残念すぎる。

    うし 2020/6/14 06:21

    KR500が無いやんW

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