GP500とは?
世界選手権(グランプリ=GP)は排気量によってクラス分けがあり、500㏄以下のGP500、250㏄以下のGP250、125㏄以下のGP125の3クラスがあります。
2002年度からGP500クラスの規則が変更されて、4ストロークエンジンの場合のみ排気量990㏄まで許されるようになり、「MotoGPクラス」に改称されました。
GP500とえいば、「Made in Japan」、最速御三家といえば!
90年代のGP500クラスは、ホンダを筆頭にヤマハ、スズキといった日本のメーカーが威信を懸けて開発したバイクが他を圧倒するようになり、世界GPでありながら日本の3大メーカー以外にはイタリアのCAGIVA(カジバ)が孤軍奮闘している状態になっていました。
GP500で世界を魅了した「Made in Japan」のモンスターバイク!
HONDA NSR500
HONDA NSR500
500ccという排気量から、初代NSRは140ps、最終的には200psを超えると言われるまでのパワーを発揮した。年々のパワーアップ競争で常にライバルのヤマハやスズキをリードしていたと言われるが、ライダーのコントロール能力を超えるほどのハイパワーは諸刃の剣となる。その課題解決策として1992年に投入されたビッグバン・エンジンは、その後のGPマシン開発の方向性に大きな影響を与えたエポック・メイキングな技術であった。
(引用:wikipedia)
HONDA NSR500V
HONDA NSR500V
NSR500Vはプライベーターが参戦しやすいマシンを目指して開発され、1996年のロードレース世界選手権500ccクラスにデビューした。V4マシンのNSR500と同じクランクケースリードバルブ式の水冷2ストロークVツインエンジンが搭載された。このエンジンは当時の他のホンダGPレーサーマシンと同じくVバンク角は100度、シングルクランクシャフトを採用する。車両重量は103kg、航空用ガソリン(通称「アブガス」)を入れた場合に135bhpを発生する。新車価格は、1997年モデルの場合で本体のみの定価が800万円、セットアップキット付きが920万円(いずれも税別)、エンジン・アセンブリーは320万円であった。
(引用:wikipedia)
YAMAHA YZR500
YAMAHA YZR500
YZR500の1983年モデルである0W70は、始動性が悪かった。当時のスタート時のエンジン始動は押しがけであったが、ダッチTT(オランダGP)において、ケニー・ロバーツは押しがけ17歩目にして、やっとYZR500に乗ることができた。
YZR500の始動性の悪さについて、当時は、NS500の3気筒に比べてV形4気筒のエンジンレイアウトを持つYZRの特性によるもの、と言われていた。一説に0W70がロータリーディスクバルブを採用していたのが原因だという。
1980年代後半からのホンダ・NSRとスズキ・RGV-Γとの熾烈な争いでは、エンジンパワーに優れ最高速重視のNSR、軽快な車体で強力なブレーキングを得意とするRGV-Γに対してYZRは優れたハンドリングによる高いコーナーリング性能を武器としていた。
ヤマハでは前年のYZRのスペックを反映した競技専門車TZをプライベートライダー向けに1980年から1983年に発売しており、YZR500の市販車とも言えるTZ500が存在する(価格は1983年型で280万円)。
(引用:wikipedia)
SUZUKI RGV-Γ
SUZUKI RGV-Γ
軽量な車体と軽快な運動性を武器としたGPマシンである。
1982年をもって、ワークスとしての活動を休止していたスズキは1988年より本格復帰を計画。早速テスト車が製作され1987年からの参戦を開始する。過去のスズキ車はスクエア型4気筒にロータリーディスクバルブのツインクランクエンジンを使用していたが、全くの新設計車両として2軸クランク・横置きV型4気筒とした。ライダーはケニー・アイアンズ。シーズン途中よりケビン・シュワンツがスポット参戦し開発のテンポは上がったもののパワー不足や開発初期にありがちなマイナートラブルを頻発し、シーズン途中で参戦を切り上げる。目的は翌1988年に向けての開発を急ぐためであった。
(引用:wikipedia)
(引用:wikipedia)