マルチな活躍ぶりをみせた石野真子さん
via www.amazon.co.jp
石野真子さんの経歴
1961年、石野家の長女として生を受けた石野真子さん。父親はビーズ製のハンドバッグを製造する会社を経営し、厳格な家庭の元で育てられました。
石野家の次女には、いしのようこさん。
三女は、宝乃純さん。
(※宝乃純さんの画像は見付からず、現在は引退している可能性が高そうです)
三女は、宝乃純さん。
(※宝乃純さんの画像は見付からず、現在は引退している可能性が高そうです)
via www.youtube.com
三人そろって芸能界で活躍しており、美人姉妹としても有名です。
中学はカトリック系の女子校として知られる私立・百合学院中学校に通われていましたが、その頃、日本テレビ系列放送のオーディション番組『スター誕生!』の影響を大いに受け、芸能界に憧れるようになります。
via www.youtube.com
中学3年生になった石野真子さんは歌のレッスンを受けたいとご両親に相談。父親は躾に厳しかったそうですが、きちんとした教室に通うのならいいと許可され、オーディションを経て、現在の平尾昌晃ミュージックスクール大阪校に入校します。
高校は百合学院高等学校に進学するも、歌のレッスンをしていた講師から、本気で歌手になる気があるのならオーディションを受けてみないかと勧められ、石野真子さんも影響を受けた日本テレビ系列放送のオーディション番組『スター誕生!』に応募することに。
応募前、父親に許可を求めるも、どうせ落ちるだろうと特に反対されなかったそうです。
石野真子さんは『スター誕生!』の予選会を通過し、本選の大阪大会に出場。審査発表では合格ライン250点の基準を大きく上回る530点もの得点を叩き出し、東京の決選大会に駒を進めます。
石野真子さんは『スター誕生!』の予選会を通過し、本選の大阪大会に出場。審査発表では合格ライン250点の基準を大きく上回る530点もの得点を叩き出し、東京の決選大会に駒を進めます。
東京で行なわれた『スター誕生!』決選大会では、スカウトの意向を示す16社もの芸能事務所からプラカードが上がり、こうして石野真子さんは夢だった芸能界デビューを見事に実現させるのでした。
via www.youtube.com
1978年、バーニングプロダクション所属となった石野真子さんは、シングル曲『狼なんか怖くない』を発売して、アイドル歌手としてデビュー。当時のアイドルに必ずといっていいほどにキャッチフレーズが付けられていて、石野真子さんは”100万ドルの微笑”と呼ばれていました。
1979年、TBS系列で放送されたテレビドラマ『熱愛一家・LOVE』にレギュラー出演すると、アイドルとして、女優として、その存在感は芸能界で確固たるものとなっていきました。
1980年からはNHK放送の音楽番組『レッツゴーヤング』で太川陽介さんとともに司会を、この年に放送された日本テレビ系の24時間テレビ『愛は地球を救う』ではメインパーソナリティーを務めています。
via www.youtube.com
この年に発売されたシングル『春ラ!ラ!ラ!』は、石野真子さんにとって最大のヒット曲となりました。
via www.youtube.com
1981年、ミュージシャンとして有名な長渕剛さんと婚約発表。石野真子さん自身、幸せな結婚をして家庭に入ることも幼いころからの夢のひとつで、長渕剛さんも専業主婦になることを望んだため、彼女は芸能界を引退することを決意します。
via www.youtube.com
しかし、結婚生活ではお互いの考え方や価値観の相違が次第に大きくなり、長渕剛さんの家庭内暴力、姑との確執といった問題はメディアでも大きく取り沙汰されるようになっていきます。
結果的にお二人の結婚は2年後に終わりを迎え、石野真子さんは芸能界引退は一時的なものとなりました。芸能界復帰後の石田真子さんは、芸能事務所をバーニングプロダクションから同じグループ会社のフロム・ファーストプロダクションに移籍。
via www.youtube.com
それ以降、アイドル歌手として幾つかのシングルを発売するも、年齢とともに音楽活動は限定的なものとなり、女優業に専念するようになっていきます。
生年月日:1961年1月31日
血液型 :A型
身長 :156㎝
出生地 :兵庫県
職業 :女優・歌手
活動期間:1978年~