チェッカーズがデビューから解散までに残したもの!藤井フミヤ・尚之兄弟の現在は?
2020年10月4日 更新

チェッカーズがデビューから解散までに残したもの!藤井フミヤ・尚之兄弟の現在は?

80年代 音楽番組全盛期の時代にアイドル並の人気でブームを巻き起こした伝説のバンド「チェッカーズ」今から思えば、男子達がオシャレになったのはチェッカーズの影響が大きかったのではないでしょうか。デビューから解散までの10年間でチェッカーズが残したものとは。大好きだったチェッカーズを振り返ってみました。

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星屑のステージ

星屑のステージ

1984年8月23日リリース
作詞:売野雅勇 作曲・編曲:芹澤廣明
1984年度年間(オリコン)8位
ジュリアに傷心

ジュリアに傷心

1984年11月21日リリース
作詞:売野雅勇 作曲・編曲:芹澤廣明
1985年度年間(オリコン)1位

映画「CHECKERS IN TAN TAN たぬき」に出演 ・ブロマイド売り上げ第1位を獲得しアイドル並の忙しさ<1985年>

山奥の森の中、超能力を持つたぬきたちが人間に化け、音楽を奏で踊りに興じ平和に暮らしていた。だがある日、その超能力を悪用しようとする国際的陰謀団「オペレーション・ランプーン」が彼らを襲った。命からがら逃げ出した七匹のたぬき(チェッカーズ)は貨物列車に忍び込み、大好きな音楽への熱い想いを胸に、人間に化け東京へ向かう。

チェッカーズのメンバーがチェッカーズとして実名で出演する、異色の冒険ファンタジー。
ポスターが貼られると盗まれるなど大人気となったチェッカーズは、ブロマイドの売り上げも、デビューの年の8位から一気にトップへ。
年度 順位
1983年 8位
1984年 1位
1985年 1位
1986年 3位
1987年 2位
1988年 2位
並みいる強敵を押しのけて、デビューから6年間 上位の座に君臨していたチェッカーズは、80年代を象徴するグループと言っても過言ではないでしょう。

アイドルの男性グループには当然 女性ファンが多いですが、チェッカーズは男性からも支持されていました。

アイドルのように扱われていましたが、藤井郁弥さんのボーカルは天性の声質とテクニックの上手さで最高でしたし、サイドボーカル2人が魅力的に曲を盛り上げていました。

バンドとしての完成度も高かったですよね。
 リリース  作詞  作曲・編曲 オリコン
あの娘とスキャンダル 1985年3月21日 売野雅勇  芹澤廣明  5位
俺たちのロカビリーナイト 1985年7月5日 売野雅勇  芹澤廣明  8位
HEART OF RAINBOW 1985年9月21日 売野雅勇  芹澤廣明  30位
神様ヘルプ! 1985年11月1日 康珍化  芹澤廣明  44位

Cute Beat Club Band(キュート・ビート・クラブ・バンド)

英国のロックバンド「The George Springhill Band(ジョージ・スプリングヒル・バンド)」を多くの人に知って貰うために、コピーバンドとして1985年と1987年に「Cute Beat Club Band」として活動。

1985年に企画アルバムを、1987年には12インチシングルとライブアルバム、写真集を発売した。
Cute Beat Club Band

Cute Beat Club Band

親愛なるジョージ・スプリングヒル・バンド様
Cute Beat Club Bandメンバー

藤井郁弥 → Hellow Fujii(vocal)ハロー・フジイ
武内享 → Crazy Tohru(guitar)クレイジー・トオル
高杢禎彦 → Elegant Moku(vocal)エレガント・モク
大土井裕二 → Route Yuji(bass)ルート・ユウジ
鶴久政治 → Special Tsuruku(vocal)スペシャル・ツルク
徳永善也 → Knight Yoshiya(drums)ナイト・ヨシヤ
藤井尚之 → Evally Fujii(sax)エブリィー・フジイ

アイドル路線からの脱却 楽曲がオリジナルへ<1986年~>

 リリース  作詞 作曲・編曲 オリコン
OH!!POPSTAR 1986年2月21日 売野雅勇 芹澤廣明  9位
Song for U.S.A 1986年6月5日 売野雅勇 芹澤廣明  11位
デビュー前にやっていた音楽とは違う路線でデビユーしたチェッカーズが、自分達のやりたい音楽へと進んで行ったという事でしょうか。

チェッカーズ自体は「脱アイドル」と宣言したわけではないのですが、メンバーが作詞・作曲を手掛けるオリジナルソングを歌うようになります。

作曲家・芹澤廣明が語る”チェッカーズ”への曲提供をやめた理由

十何曲書いて、ネタが尽きちゃったんだな。もうこれ以上作れないと思ったんです。ひとつのアーティストにそんなに書けないよ。僕が本来やりたい音楽とも違ったわけだしね。

<中略>

こっちがくたびれちゃったんです。出すとだいたい50万枚以上売れて、次もヒットを期待されるでしょ。
芹澤廣明氏は、作曲家として中森明菜さんの「少女A」チェッカーズの「涙のリクエスト」岩崎良美さんの「タッチ」など、多くのヒット曲を生み出したヒットメーカーで、作詞家・売野雅勇氏とのコンビは当時「向かう所に敵なし」でした。

アイドル並の人気を誇ったチェッカーズの時代は、チェッカーズにとっても作曲家・芹澤廣明氏にとっても本来やりたい音楽ではなかったという事です。

芹澤氏は、2018年に自身が作曲した「LightItUp!」を歌い全米デビュー。10代の頃からの夢が叶ったようです。

1986年10月5日 初のオリジナルソング「NANA」をリリース。

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  • 匿名 2020/10/7 14:42

    解散理由教えて下さい

    Rainbow 2020/10/7 10:56

    解散理由が間違ってます。

    なないろ 2020/10/7 09:12

    解散理由が間違ってます。

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