チェッカーズがデビューから解散までに残したもの!藤井フミヤ・尚之兄弟の現在は?
2020年10月4日 更新

チェッカーズがデビューから解散までに残したもの!藤井フミヤ・尚之兄弟の現在は?

80年代 音楽番組全盛期の時代にアイドル並の人気でブームを巻き起こした伝説のバンド「チェッカーズ」今から思えば、男子達がオシャレになったのはチェッカーズの影響が大きかったのではないでしょうか。デビューから解散までの10年間でチェッカーズが残したものとは。大好きだったチェッカーズを振り返ってみました。

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チェッカーズ「NANA」

1986年10月5日リリース
作詞:藤井郁弥、作曲:藤井尚之、編曲:チェッカーズ・八木橋カンペー
1986年度年間(オリコン)48位
初のオリジナルソング「NANA」は、藤井郁弥・尚之兄弟で作詞作曲された曲ですが、歌詞が過激すぎるという理由から、NHKでは放送禁止になりました。(郁弥さん曰く)「これも勲章ですね。」

バンドがオリジナルソングへ移行していくと、メンバーのソロ活動も盛んになっていきます。
 リリース  作詞  作曲
I Love you,SAYONARA 1987年3月5日 藤井郁弥 大土井裕二
WANDERER 1987年7月8日 藤井郁弥 鶴久政治
Blue Rain 1987年11月6日 藤井郁弥 藤井尚之
7つの海の地球儀(Cute Beat Club Band) 1987年11月6日 秋元康 Special Turuku
ONE NIGHT GIGORO 1988年3月21日 藤井郁弥 武内享
Jim&Janeの伝説 1988年6月29日 藤井郁弥 鶴久政治
素直にI'm Sorry 1988年10月21日 藤井郁弥 藤井尚之
Room 1989年3月21日 藤井郁弥 鶴久政治
Cherie 1989年7月5日 藤井郁弥 鶴久政治
Friends and Dream 1989年12月6日 藤井郁弥 鶴久政治
運命(SADAME) 1990年3月21日 藤井郁弥 藤井尚之
夜明けのブレス 1990年6月21日 藤井郁弥 鶴久政治
さよならをもう一度 1990年11月21日 藤井郁弥 藤井尚之
Love '91 1991年3月21日 藤井郁弥 大土井裕二
ミセス マーメイド 1991年9月4日 藤井郁弥 鶴久政治
ふれてごらん 1991年12月4日 藤井郁弥 藤井尚之
今夜の涙は最高 1992年3月21日 藤井郁弥 藤井尚之
Blue Moon Stone 1992年5月21日 藤井郁弥 藤井尚之
Present for You 1992年11月20日 藤井郁弥 武内享

1990年6月 藤井郁弥が幼なじみと結婚

中学生時代にダンスパーティーで出会い、10年間おつき合いされていた最愛の「まち子」さんと結婚されました。

チェッカーズで人気が出た後、当時人気アイドルだった「キョンキョン」との熱愛が噂された郁弥さんですが、1990年5月7日に行われた結婚会見で「10年間待っててくれてありがとう、という気持ちで今は一杯です。」とまち子さんへの感謝の言葉を語られていました。

挙式は、6月29日に福岡県の「久留米水天宮」で挙げられましたが、この日は礼宮様(秋篠宮文仁親王)と紀子様の「結婚の儀」が行われた日です。郁弥さんによると、
「皇族の方が結婚するぐらい良い日でありますから、この日に挙げようと決めました。」という事です。

長い交際を実らせての幼なじみとの結婚ということで、ファンからも祝福の声が多かったように思います。

その後、高杢さん、武内さん、鶴久さんが次々と結婚されましたが、既にアイドル路線から脱却しファンが安定していた為、ファン離れといった現象はなかったですね。

1992年3月31日 第43回NHK紅白歌合戦出場を最後に解散

チェッカーズは、1992年10月9日の「ミュージックステーション」の番組内で解散を発表し、12月にラストツアーを行い、12月31日の「NHK紅白歌合戦」出場を最後に解散しました。

新しい風を吹き込んだデビューから、あっという間に時代を駆け抜けていったような…そんな気がしてきます。

解散理由は「メンバー同士の確執」など様々に取り上げられていますが、ラストツアー「FINAL」では、懐かしい「チェックの衣装」に身を包んで登場。

ツアー最終日 郁弥さんは40度の高熱で声もあまり出ないという状況の中、歌い「ステージでこのままブッ倒れたら気持ちいいだろうな」と。

会場まで来たけれど場内に入れなかったファンのために、会場の扉を開けて外にいるファンにも演奏を聞こえるようにしたという逸話もあり、最後までファンを大切にしている想いが伝わってきます。

チェッカーズ「Long Road」(解散ライブより)

チェッカーズ解散後の藤井フミヤ・尚之兄弟

F-BLOOD(エフブラッド)

1997年9月 正式にユニットとして結成

メンバー:藤井フミヤ(ボーカル・ギター・ハーモニカ)
藤井尚之(ボーカル・ギター・サックス)

それぞれのソロ活動の傍ら、不定期に活動
どちらかが死ぬまでは解散はない!

2020年4月8日 オリジナルアルバム「Positive」
リリース
全作詞:藤井フミヤ、全作曲:藤井尚之

全国ツアー「F-BLOOD LIVE TOUR 2020」は、新型コロナ感染拡大のため全日程開催中止
兄・藤井郁弥さんは、チェッカーズ解散の翌1993年から「藤井郁弥」を「藤井フミヤ」に改めてソロ活動を開始。

ソロ初の「TRUE LOVE」が240万枚、1996年にリリースした「Another Orion」が120万枚を超えるセールスとなり「藤井フミヤ」としての地位を確立。

喜ばしいことですが、フミヤさん的には誤算だったようです。
チェッカーズは結成10年で解散。藤井は「少し休もう」と思っていたが、ドラマ主題歌の依頼が舞い込み、ソロデビューすることに。このとき初めて作詞・作曲した『TRUE LOVE』でいきなり200万枚超えのダブルミリオンを達成した。
「TRUE LOVE」は当時、大人気だったドラマ「あすなろ白書」の主題歌でしたもんね!

ソロ活動は順調で、多くの楽曲を送り出しライブ活動も精力的に行われています。

藤井フミヤ 永ちゃんと並んで武道館通算公演回数1位に!

“憧れの先輩”が持つ偉大な記録に並ぶが「僕はバンド時代も含めてですからね」と謙遜し、ソロで102回を重ねた矢沢の偉大さを改めて噛み締めた。
そしてフミヤさんの才能は、歌を歌う事だけにとどまりません。多彩な方です!

「嵐」「ISSA」「猿岩石」「V6」「MISIA」など、数多くのアーティストに楽曲提供。猿岩石さんのヒット曲「白い雲のように」は、フミヤさん作詞で作曲が尚之さんでした。

猿岩石 白い雲のように(1996)

活動は音楽だけにとどまらず、「FUMIYART(フミヤート)」の名称で個展を開催、長野オリンピック冬季大会のカウントダウンTシャツのデザインを手がけるなど、アートの分野でも幅広く活躍。
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  • 匿名 2020/10/7 14:42

    解散理由教えて下さい

    Rainbow 2020/10/7 10:56

    解散理由が間違ってます。

    なないろ 2020/10/7 09:12

    解散理由が間違ってます。

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