チェッカーズがデビューから解散までに残したもの!藤井フミヤ・尚之兄弟の現在は?
2020年10月4日 更新

チェッカーズがデビューから解散までに残したもの!藤井フミヤ・尚之兄弟の現在は?

80年代 音楽番組全盛期の時代にアイドル並の人気でブームを巻き起こした伝説のバンド「チェッカーズ」今から思えば、男子達がオシャレになったのはチェッカーズの影響が大きかったのではないでしょうか。デビューから解散までの10年間でチェッカーズが残したものとは。大好きだったチェッカーズを振り返ってみました。

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チェッカーズ "ギザギザハートの子守歌"でデビュー<1983年>

ギザギザハートの子守唄 チェッカーズ 1983

1983年9月21日リリース
作詞:康珍化 作曲・編曲:芹澤廣明
1984年度年間(オリコン)20位

福岡・久留米で結成されたチェッカーズのメンバー7人

■藤井 郁弥(ふじい ふみや) 生年月日:1962年7月11日  リードボーカル

■武内 享 (たけうち とおる) 生年月日:1962年7月21日  ギター、リーダー

■高杢 禎彦(たかもく よしひこ) 生年月日:1962年9月9日  サイドボーカル

■大土井 裕二(おおどい ゆうじ) 生年月日:1962年11月2日  ベース

■鶴久 政治(つるく まさはる) 生年月日:1964年3月31日  サイドボーカル

■徳永 善也 (とくなが よしや)  生年月日:1964年6月7日   ドラムス

■藤井 尚之(ふじい なおゆき) 生年月日:1964年12月27日  サックス
藤井郁弥さんと尚之さんは実の兄弟、郁弥さんと高杢さんが幼なじみというメンバーがみんな地元繋がりで結成された"チェッカーズ"

郁弥さんが音楽に目覚めたキッカケは、伝説のロックバンド「キャロル」の解散コンサートに衝撃を受けた事だったそうで後に、「この出会いがなければ今の自分はいない、とまで言い切るほど憧れた」と語っておられます。

エレキギターを購入し独学で「キャロル」のコピーを始めたのが、チェッカーズ誕生の第一歩になります。
キャロル~!!納得です。当時、友達と集まって学校の音楽室でテープ流して先生に怒られてました(笑)

バンドを結成し週末のダンスパーティーで演奏すると、地元・久留米で注目を集めるようになります。

当時の久留米はロックンロール一色。沢山のバンドが人気を競っていて、元々チェッカーズのメンバーは別のバンドに所属していたそうです。
SHAKEはオレがチェッカーズの前にやってたバンド。
この頃久留米はロックンロール一色で、
フミヤのカルコーク、ユウジのシークレッツ、クロベエのキューティスーなど
たくさんのバンドが存在していた。
どのバンドも個性的だったけどレパートリーがけっこう被ってて(笑)
そんな亊もチェッカーズが生まれる大きな要因になったのは間違いない。
武内享のBlog「オレの血となれ肉となれ」より
1980年 それぞれのバンドで活躍していたメンバーが、藤井郁弥さんと武内享さんを中心に集結して結成されたのが"チェッカーズ"

弟の尚之さんによると「兄貴(郁弥さん)がサイドボーカルで自分がベースの時代があった。」ということですが、郁弥さんの甘くて色っぽいボーカルがなかったら、尚之さんの素敵なサックスの音がなかったら、って考えられますー?いやいやダメでしょ!
高校を卒業した郁弥さんは国鉄に就職したものの音楽活動を続け、バンドはヤマハの音楽コンテストで最優秀賞を受賞。

メンバーの年下2人(徳永さんと尚之さん)が高校を卒業するのを待って、メンバー7人で上京し1983年「ギザギザハートの子守唄」でデビュー。

<バンド名"チェッカーズ"の由来>

メンバーが集まりバンド名を決める際に、当時良く聞いていた外国のバンド(特にオールディーズ)のバンド名に「C」で始まり「S」で終わる名前(チャーリーズ、コースターズ等)が多かったことから、メンバーで「C」で始まり「S」で終わる名前を考え、「チェッカーズ(CHECKERS)」というバンド名となった。名付け親はアマチュア時代から親交のある武内の同級生でベーシストの武田圭治(現THE TRAVELLERS)。

デビュー当初はチェック柄の衣装を着ていたため、よく「チェックの柄」から名前を取ったと言われるが誤りで、バンド名が先にあった。チェック柄の衣装のアイディアは、当時のヤマハのマネージャーが考案した。
チェック柄と郁弥さんの髪型「サイドを刈り上げツーブロックで前髪を長く垂らす」チェッカーズカットは、世の男子諸君に流行りましたね。

当時のツッパリの代名詞「リーゼント」をチェッカーズカットに変える男子もいました。

ただ、チェッカーズもデビュー曲よろしくデビュー前は「悪ガキ」で、リーゼントヘアだった為、トレードマークのチェック柄の衣装とチェッカーズカットに抵抗があったようです。

・・・が結果、この路線が次の大ヒット2ndシングル「涙のリクエスト」へ繋がったと言われています。
可愛い!けれど、どこか不良ぽさが残る雰囲気が当時にはないグループでしたね。

チェッカーズ 2ndシングル"涙のリクエスト"で大ブレイク<1984年>

チェッカーズ【涙のリクエスト】

1984年1月21日リリース
作詞:売野雅勇 作曲・編曲:芹澤廣明
1984年度年間(オリコン)4位
1984年にリリースされたチェッカーズ2枚目のシングル曲「涙のリクエスト」は、初の大ヒットとなりファンが急増、オリコンチャートや音楽番組の常連となります。

いきなり郁弥さんのアカペラで始まる「涙のリクエスト」はデビュー作とは世界観の違う曲で、ドゥーワップの要素を取り入れつつ親しみやすい歌謡曲になっていました。
サビで右腕を頭上でくるくる回す振り付け、やってましたねぇ~☆

この曲は、元々デビュー曲となるはずだった「恋のレッツダンス」のB面に収録される予定だったそうなので、嬉しい誤算ですね。

この大ヒットのお陰で、デビュー曲「ギザギザハートの子守唄」3ndシングル「哀しくてジェラシー」が共に3曲同時にベストテン入りするという快挙を達成し、チェッカーズブームを巻き起こします。上京からたったの1年です。

この年のNHK紅白歌合戦に初出場、以降9年連続の出場となります。

1986年4月14日の「月曜ドラマランド」では、この曲をモチーフにした「チェッカーズin涙のリクエスト」が放送されました。
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高二の達郎(宮川一朗太)は図書館で見かけた少女(有森也実)に一目ぼれ。で、ある日チェッカーズのトオルとフミヤ(実名で出演)が始めた海賊放送局にその思いをぶちまけたのだが…。映画「アメリカン・グラフィティ」を志向したこのドラマ、オールディーズ・ナンバーも数多く流れる。

主な出演:宮川一朗太、有森 也実、トオル、藤井 郁弥(藤井フミヤ)、野々村 真(野々村 誠)、野沢 直子、岩城 滉一、小川 菜摘(島村聖名子、島 聖名子)
哀しくてジェラシー

哀しくてジェラシー

1984年5月1日リリース
作詞:売野雅勇 作曲・編曲:芹澤廣明
1984年度年間(オリコン)5位
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  • 匿名 2020/10/7 14:42

    解散理由教えて下さい

    Rainbow 2020/10/7 10:56

    解散理由が間違ってます。

    なないろ 2020/10/7 09:12

    解散理由が間違ってます。

    すべてのコメントを見る (3)

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