【70年代】赤い絆【Gパン履いたら不良でした】
2015年10月13日 更新

【70年代】赤い絆【Gパン履いたら不良でした】

赤線遊郭の娼婦の娘として生まれ、実の母に捨てられたという出生の秘密から不良となった少女は更生して外交官に嫁ぐが、出生にまつわる更に深い事情が明らかになるにつれて運命の皮肉に翻弄される。

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赤いシリーズ最高平均視聴率29.5%を記録

愛を求めてさすらう少女

愛を求めてさすらう少女

山口百恵が、出生の秘密と運命の皮肉に立ち向かう孤独な女性を演じました。
大映テレビ制作のサスペンスドラマ“赤いシリーズ”第6弾。山口百恵・国広富之のコンビで、赤いシリーズの中で最も高い平均視聴率29.5%を記録した人気作品。生みの親が娼婦だったことを知って悩み、養父母の家を出た少女が一人の青年と出会い愛し合う。その愛によって降りかかる逆境の中を生き抜くさまを、血縁という“赤い絆”を軸に描いていく。

1977.12 赤い絆 - YouTube

主題歌も山口百恵さんでした。

ドラマのOP映像は主人公、恵子のホームグラウンド渋谷の夜景。

流れるネオンが夜の女として生きた母親の前半生と主人公のすさんだ気持ち、疾走する青春のようなものをよく表現していました。

あらすじ・・・赤線と呼ばれた遊郭で産み落とされた少女

「今の子が、あんとき女郎が産んだ子かい?」
傷を負い路上に倒れこむ「渋谷のおケイ」

傷を負い路上に倒れこむ「渋谷のおケイ」

恵子は保母を目指す真面目な少女だったが、無神経な男の一言で実の母がどういう人間だったのかをおぼろげに知り、深く傷ついて養家を飛び出し渋谷の街に消えた。

捨て鉢になっていた恵子は無謀にも、少女買春を仕切る三郎(夏夕介)たちに食ってかかり怪我を負い倒れこんだ路上でそのまま気を失うのであった。
運命の出会い!

運命の出会い!

教会から出てきた伸夫 (国広富之) に救われる恵子。

しかし伸夫は教会で婚約者の真砂子とともに結婚式場の下見を終えたばかりであった。

エリート外交官である信夫と裕福そうなお嬢様然とした真砂子。
赤線の女の娘として生まれ渋谷で荒れた生活を送る恵子にとってあまりにも遠い存在であった。
セレブ夫人の知られてはならない過去!

セレブ夫人の知られてはならない過去!

渋谷で不良仲間と暮らしていた恵子は偶然、真砂子の継母である志津子 (左幸子) がかって赤線で自分を産んだ実母だと知る。

だが静子は現在の恵まれた暮らしを守るため、実母であることを認めず恵子を冷淡に突き放すのだった。

そして恵子は三郎たちの使いっ走りにされている洋一 (長谷川諭) が実の弟だと知る。
恵子は三郎にそそのかされて人を刺した洋一の罪を背負って...

恵子は三郎にそそのかされて人を刺した洋一の罪を背負って拘置所へ。

洋一は恵子が姉だと知らず、どうして自分をかばってくれたのか不思議がる。
志津子は事実を知っても洋一を守るために実の娘である恵子を見捨てる。

信夫は恵子の無実を信じて拘置所での面会を続け2人に愛が芽生える。
そして、なんとか執行猶予判決を得た恵子は釈放されるのだった。
信夫と真砂子の婚約を守るため吉川家の人々は様々な画策をする。

総一郎:恵子を監禁し、信夫と別れると約束するまで返さないと言う。
志津子:実の娘である恵子をチンピラ三郎にレイプさせようとする。
真砂子:信夫とカラダの関係があったかのような嘘をつく。
洋一:信夫と別れて欲しいと恵子にお願いする。
吉川家の妨害を乗り越えて駆け落ち

吉川家の妨害を乗り越えて駆け落ち

婚約者と別れ、外交官としての出世も振り捨て、名門である実家の反対を押し切って駆け落ちし、恵子に愛を誓う信夫。

2人は夜中の教会で二人きりの結婚式をあげる。
惠子と信夫、2人きりの新しい生活が始まるかに思えたが、新日本海運の清川 (高橋昌也) の横槍が入ろうとしていた。
真砂子の父、吉川の経営する吉川海運が様々なトラブルに見舞われて経営が傾き出しているのも清川の差し金だったのだ。

信夫の父、志摩邦夫 (鈴木瑞穂) は通産省の大物官僚であり、海運業者を監督する立場にあったが政界進出を目論んでいた。
政略結婚という面もあった真砂子と信夫の婚約が破れたのに付け込み、新日本海運の清川は恵子を自分の養女として改めて志摩家に嫁がせようと目論んだ。
清川の養女として志摩の家に嫁ぐ

清川の養女として志摩の家に嫁ぐ

信夫の父と清川の利害が一致し改めて清川の養女として志摩家に嫁ぐことになった恵子。

一方で通産省海運局の局長である志摩の後ろ盾を失い、更に相次ぐトラブルに見舞われた吉川海運の経営は急速に傾いていく。

「Gパンを履くような奴は不良!」といわれた70年代

70年代の不良「渋谷のおケイ」

70年代の不良「渋谷のおケイ」

この時代「Gパンを履くような奴は不良!」と言われたものだが、恵子も渋谷に繰り出したり、捨て鉢な行動に出るときはなぜかジーンズ姿に着替えていた。

武器は素手、或いはGパンの革ベルト。

売春グループのポン引きとの喧嘩で傷を負ったところを信夫 (国広富之) に助けられ恋に落ちる。
参考画像 80年代の不良「ハマの笙子」

参考画像 80年代の不良「ハマの笙子」

「不良少女と呼ばれて」になると一気に現代に通じる不良らしい不良になる。
哲也さんとの関係がうまくいかなかったりして不良気分が盛り上がってくるとアイメイクが著しく濃くなる。

武器は木刀を用意して持参。徒党を組む。

哲也 (国広富之) との馴れ初めは東京流星会との抗争を見られたこと。

運命の悪戯の連続が大映ドラマの真骨頂!

恵子を養女にした清川の過去

恵子を養女にした清川の過去

海運会社をやっていた清川の父の人の良さに付け込み、会社乗っ取りを仕掛け、再建をかけた船の積荷をすり替えるという卑劣な罠に掛け、更には残った持ち船さえもタダ同然で取り上げて自殺に追い込んだのが吉川だった。

その頃の清川は志津子に想いを寄せていたが、父の死の後、母も病死、その後始末に追われるうちに赤線廃止となり、会えないまま志津子は消息を絶って清川は全てを失ったのだった。
復讐に燃える清川と生き残りをかけた吉川の戦いのキャスティングボードを握るのは監督官庁の重鎮である志摩であった。

志摩の姻戚となった清川に対抗して志摩の弱みを握ることで志摩を操ろうとする吉川。
志津子は志摩の弱みを握るため、実の娘である恵子にすがる。

清川は弱気になった志摩を自分側に引き戻すために赤線の女が産んだ娘という恵子の出自を匂わす怪文書をばらまいて圧力をかけるのだった。
傷つく恵子をさらに追い詰めたのは、清川が恵子の実の父親であるという新たな事実だった。
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