【70年代】赤い絆【Gパン履いたら不良でした】
2015年10月13日 更新

【70年代】赤い絆【Gパン履いたら不良でした】

赤線遊郭の娼婦の娘として生まれ、実の母に捨てられたという出生の秘密から不良となった少女は更生して外交官に嫁ぐが、出生にまつわる更に深い事情が明らかになるにつれて運命の皮肉に翻弄される。

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自殺を図った恵子を助けてくれた人の正体は?

自殺を図った恵子を助けてくれた人の正体は?

絶望した恵子は遺書を残して海に入った。

死に切れず浜辺に打ち上げられた恵子を見つけ救ったのはワケありげな老婆であった。
寺に入っていく老婆の後を追った恵子が見たものは実母である志津子の墓であった。

老婆は志津子が戦災で生き別れた母であり、恵子の祖母であった。
吉川海運の崩壊を目の当たりにした志津子が心労で倒れたことにより、志津子が恵子の実母であること、清川が実父であることまで志摩家の両親の知るところとなった。
恵子は驚愕する2人に更に祖母である久保貞子について告げるのだった。
呆れた。あなたって人は何人係累が出てくれば気が済むの?
恵子の祖母の名に凍りつく信夫の父

恵子の祖母の名に凍りつく信夫の父

信夫の父にとって久保貞子という名は聞き覚えのあるものであった。

恵子の祖母は戦時中、戦争継続を主張していた外務官僚の信夫の祖父が軍部と組んで暗殺した和平論者の海軍将校の未亡人であったのだ。

恵子の祖母、貞子は暗殺のことなど知る由もなかったが、志摩家にとっては決して表に出せない家名の恥部に関わる人物であったのだ。
生きていた祖父

生きていた祖父

しかし恵子の祖父は志摩家への深い恨みを抱いて外国の地で生き延びていた。
そして孫娘の恵子が志摩家に嫁いだことわ知ると激昂するのだった。

更には帰国できずにいた間に志津子が母親とも戦災ではぐれ赤線に身を落としたと知り、ますます志摩家に対する恨みの念を深くし、恵子と信夫を引き裂こうと決意するのだった。
恵子は必ず取り戻す! あの子は久保家の娘だ。汚れた志摩家の血を混じらすことはこのワシが許さん!
祖母、久保貞子は信夫と恵子の関係を認めるよう祖父、久保康夫にとりなすのであったが、あろうことか吉川、志摩、清川の三つ巴の争いの中で命を落としてしまう。

貞子の死はますます祖父、久保を頑なにし、恵子に対しても態度を硬化させ貞子の葬儀への列席さえも許さないのであった。

一方、体調を崩した志津子の病状は好転せず、末期癌であるとの診断が下る。
死を目前にした志津子に何とか吉川海運の再建を見届けさせたいと言う吉川と志摩家に対する恨みに萌える康夫は手を組むことを誓い合うのだった。

結末一気読み・・・憎しみの連鎖を断ち切れるのか?

清川は恵子が手伝う幼稚園の園児の身柄と引き換えに恵子にいうことを聞かせようとする非常手段に出た。
吉川と久保の共闘に対して、弱気になった志摩を動かすために恵子に吉川の元に居る祖父、康夫を連れ出すよう命じるのだった。
利用されてるってことが分からないんですか?

利用されてるってことが分からないんですか?

「おじいちゃんが志摩の家に恨みを持ってその気持ちが、結局は二つの会社の争いに利用されてるだけなんです!」

清川の言いなりになるつもりはなかった恵子はただ恨みを捨てるよう祖父に懇願して清川の元に戻っていくのだった。
「お父さん!それでお母さんが喜ぶと思って?」

「お父さん!それでお母さんが喜ぶと思って?」

「元はと言えばお父さんが清川さんに恨まれたのは、そうして会社を大きくしようとしたからじゃありませんか。なりふり構わず、他人を犠牲にしてまでも……」

久保に関わる醜聞をネタに志摩を強請って会社の再建を図ろうとする吉川を押しとどめたのは真砂子だった。
真砂子の言葉や信雄の志摩の家の立場を振り捨てての説得に吉川は折れ、久保もようやく恵子の安否に想いを馳せるのだったが、恵子は依然として幼稚園児たちに危害を加えるという清川の言葉によって行動を封じられ湾岸の倉庫に監禁されていた。
お母様!恵子さんを助けようとは思わないの?

お母様!恵子さんを助けようとは思わないの?

「恵子さんは今までたとえようのない苦しみを味わってその悲しさに耐えて生きてきたのよ。その挙句に今のような……私だったらとても生きていけないかもしれない」

恵子に対してつらく当たってきた姑トキは清川の手に落ちた恵子を見捨てようとしていたが、実の娘の言葉に心動かされるのだった。
お父さんが吉川さんを憎んでいるのは、本当はお母さんが、吉川夫人になっていたからじゃないんですか?
ここにいるのは本当に私の父と、そして母なんです

ここにいるのは本当に私の父と、そして母なんです

恵子を助けようと病院を抜け出した志津子にとりすがられた時、清川はようやく志津子への思いが残っていたことを認めるのであった。

その時トキの通報により警察が入った。
清川に手錠がかけられようとした瞬間、恵子は誘拐監禁ではなく事情のある家族が会っていただけだと清川を庇うのだった。
永遠の別れ

永遠の別れ

清川と吉川と志摩と3つの家の憎しみの連鎖はようやく解け、志摩の援助もあって吉川海運の経営が持ち直す兆しを見せはじめた。

そして吉川海運の持ち船の出航を家族で見送った志津子は吉川の胸に抱かれて、覗き込む恵子の頬を撫でると「真砂子さん、恵子、洋一・・・洋一」とつぶやくと満足そうに息を引き取った。
恵子を取巻く久保家の家系は、一瞬のうちに浮かび上がり、そして束の間に消えた。しかし恵子は母の墓前に誓った。お母さん、私は久保家の娘に生まれて幸せだったと思います
旅立ち ー パリへ

旅立ち ー パリへ

祖父は静かに恵子の前から姿を消した。

信夫のパリ赴任が決まり志津子の墓前に報告に訪れると、清川の父の姿があった。

出発の日、姑トキの心づくしの服を着てタラップを登る恵子の瞳に吉川家の人々と志摩家の人々が手を振る姿が映った。
そこに新しい絆があった。古い絆の代わりに、今、新しく芽生え始めた若い絆の旅立ちがあった
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