鳥人間コンテスト!飛行距離の限界に挑み、そして鳥になった! 
2016年5月28日 更新

鳥人間コンテスト!飛行距離の限界に挑み、そして鳥になった! 

1977年から現在まで日本テレビで続いている長寿番組「鳥人間コンテスト」。その前身は同局の「日本新記録」の一コーナーでした。番組当初の記録や限界を超えようとするバードマン達の努力をお伝えします!意外な著名人も番組に参加していますよ。

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1977年から続く、通称「鳥コン」!

正式名称は「鳥人間コンテスト選手権大会」。
参加団体や関係者からはしばしば省略して「鳥コン」とも呼ばれる。
日本テレビ系列の夏の風物詩であり、長寿番組となっている。

1977年に滋賀県近江八幡市の宮ヶ浜水泳場で第1回が開催されて以降、毎年7月に滋賀県彦根市の琵琶湖を舞台に開催され、1980年(第4回)以降は同市内にある松原水泳場を会場としている。
第1回大会(1977年) 優勝の岡良樹さん

第1回大会(1977年) 優勝の岡良樹さん

昔はハングライダータイプが主流!

当時は手軽さから、「ロガロ翼」というハングライダータイプの三角形の翼が主流だったみたいなんですが、第2回大会からは、そのロガロ翼に尾翼をつけた機体が増えだします。

第3回大会ででは、操縦性の難しい固定翼の登場も増え、優勝記録は80m。さらに、第4回大会では、いまやあたりまえになったカーボンファイバーも登場するなどし(ただし記録の方はいま22mといまひとつ…)、切磋琢磨のかいあって、100m越えを達成する。

第8回大会では第1回大会からの連続出場で培われた経験のある方が、機体に風防をつけて登場し、163mの記録で念願の優勝を飾る。
第3回大会(1979年) ロガロ翼

第3回大会(1979年) ロガロ翼

1985年に「300m」へ肉薄!

ブレイクスルーとなったのが、この豊田飛行愛好会のたたき出した290.45mという大記録であった。
快晴と風向に恵まれた中、前述の、地面効果を活用した飛行方法をほぼ初めて試み、結果、それまでの記録に倍近い差をつける大記録を打ち立てての優勝を遂げた。
惜しくも300mには届かなかったが、この記録は以降6年間打ち破られることはなかった。
※1985年、「滑空機部門」出場の豊田飛行愛好会(パイロット・石本豪さん)の記録。

90年代の動画!応援が盛り上がる拓殖大!

1994年鳥人間コンテスト JAPAN INTERNATIONAL BIRDMAN RALLY 1994 - YouTube

拓殖大学造形美術愛好会(PAMRO)の飛行

1995年鳥人間コンテスト JAPAN INTERNATIONAL BIRDMAN RALLY 1995 - YouTube

1995年、拓殖大学造形美術愛好会(PAMRO)の飛行、パイロット内田英一

元々は日テレ「日本新記録」内のコーナーだった!

元々は読売テレビ製作・日本テレビ系全国ネットで放送されていた往年の名番組「びっくり日本新記録」の中の一企画として1977年にスタート。
(ちなみに、「びっくり日本新記録」は、様々な独自競技を創作し、一般視聴者から募った参加者が競ってその優勝者を日本新記録保持者として表彰しようという内容のバラエティー番組であった)

第1回と第2回は同番組内で放送され、1979年の第3回大会より単独番組として独立。

びっくり日本新記録番宣+ - YouTube

ルールと出場部門

大会のルールは毎回少しずつ改定されており、毎年公式ルールブックが発行される。主な規定には発進時の規定、プラットフォームの標準数値、競技エリア、機体に対する制限などがある。
初期はハンググライダーの改良型程度だった参加機も徐々に高性能化が進み、新型機の登場や大記録が出るとその都度ルールの改定が行われている。

ちなみに、第1回最初の挑戦者の飛行記録は、2m2cmであった。
琵琶湖を爽快に飛ぶ人力飛行機

琵琶湖を爽快に飛ぶ人力飛行機

出場部門は滑空機(グライダー)部門と人力プロペラ機部門に分かれます。

滑空機(グライダー)部門とは、プロペラを使わずにグライダーのように滑空して飛行距離を競います。
人力プロペラ機部門とは、パイロットがペダルを漕いでプロペラを回して、その推進力で飛行して飛行距離を競います。
出場を希望するチームには、書類選考で提出する機体の設計図にオンボードカメラの装着位置を記載することを求めている。

出場許可の下りた機体には、審査の合格を示す「OK」のステッカーを配布。このステッカーを貼った機体のみ、大会へ出場できる。失念してしまい貼っていなかった場合や、故意に剥がすなどでステッカーの欠落が発覚した場合は失格となる。

機体の発進はプラットフォーム上の審判員が「ゲート、オープン!」と言って白旗を上げれば可能となる。下述するとおり、白旗が上がっていない時に発進すると、不正スタートとみなされて失格となる。
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