「秋山準&大森隆男」独占インタビュー②(大森隆男編)
今年はプロレスラー生活25周年。
その25周年を記念する10.21横浜文化体育館大会では、同期であり同志である秋山準選手と組み、世界タッグ選手権にも挑戦することが決まっている。
紆余曲折あり様々団体を渡り歩いた大森選手。やはり帰ってきたのは全日本プロレスだった。その全日本プロレスで自身のプロレスデビュー25周年を迎えることになった大森選手に、これまでとこれからの全日本プロレスを語って頂いた。
-デビュー25周年にあたり、デビュー当時のお話をお聞かせください。
周りの人や秋山さんは同期と思ってもらってますが、自分としては秋山さんは先輩です。入門も秋山さんのほうが先ですしね、どうしてもは自分では同期と思えないんですよね。
秋山さんに対しては、いつもライバル心は持ってましたね。
―若手の時代に意識していたレスラーの方とかいらっしゃいますか。
まだデビューするかしていないかの頃でしたが、リング下から外国人選手の佇まいや試合の組み立てなどを肌で感じるようにしてた記憶がありますね。
―秋山選手とアジアタッグを防衛している頃は、隣にいた秋山さん対してはどのような感情だったんでしょうか。
秋山さんにも直接言った記憶がありますね。秋山さんは覚えていないかもしれないけど(笑
―全日本プロレスに入団してからプロレスリング・ノアに、そして再び古巣へ戻ってくることとなりました。
今の全日本プロレスには2011年からフリーで参戦してましたね、翌年の2012年にファン投票で再入団したといった経緯です。
―数多くの団体を渡り歩いた大森選手が全日本プロレスに戻られたきっかけや心境を教えてください。
久しぶりに全日本にあがって、試合のスタイルとかリング外の雰囲気とか空気みたいなものが昔と全然変わっていなくて。それが凄いなと思いましたね。
色んな団体を歩いてきましたが、昔と全く変わっていないと思えたのは全日本プロレスだけでしたね。それは、全日本に残った渕さんとか太陽ケア選手とかスタッフとかが守ってきたものがあるんじゃないかと思いますね。
やっぱり"ふるさと"みたいな感じがしました。
改めて参戦したときに本当に幸せなことだと思いました。帰る場所があったみたいな感じで。
―25年のプロレスラー生活の中で、ターニングポイントとなった出来事などあれば教えてください。また、プロレスを初めてから選手としての節目を感じることがありますでしょうか。
いつまでとか何年目までとかは考えられないですね。15年目くらいの時まではずっとプロレスをしていたいと考えたんですね。
一度リングを離れた時期があって、そのときにやっぱりプロレスがしたいと思っていました。別の仕事しているときにプロレスの事ばっかり考えちゃうんですよ。テーマ曲の音楽かけたり、動画を見たりとか。
根本的にプロレスが大好きでプロレスの世界に来たんでしょうね。
―大森選手もレスラー生活25周年を迎え、全日本プロレスも45周年となりました。これからの全日本プロレスはどのように進んでいくのでしょうか?
あんまり口うるさく言わないで、若手の選手が自分を見て何かを学んでもらえるような選手でありたいと常々思ってます。20代の選手が40代の選手に口うるさく言われると反発心も出ちゃうかもしれないとか考えてしまいます。
今の若い選手は、自分でしっかりプロレスを考えて動いてくれてると思います。若い選手を応援してくださってるファンの方も増えてきたように感じてます。
自分も若いときは小橋さんが一生懸命トレーニングしている姿を見て勉強になったので、年が近い先輩とかがいると若い選手にもいい影響があると思うんですけどね。
なるべく手本になれるようにとは考えていますけど、少し年が離れてしまってるかなと。それでも少しでも見本になれるように1試合、1試合見せていきたいです。