プロレスやボクシング、異種格闘技、K-1などを観て、漢の荒ぶる本能を刺激されまくった熱い時代があった。かつての格闘技で今も記憶に残る出来事、事件をイラストレーター・並木モッズの絵で振り返る。さぁ、懐かしのあの頃をプレイバック!!
《タイガー・ジェット・シンが新宿伊勢丹前で猪木夫妻を襲撃!》
1973年11月5日、新日本プロレスに在籍していたタイガー・ジェット・シンが新宿で警察沙汰となる重大な事件を起こす。それが世にいう『新宿伊勢丹襲撃事件』である。
タイガー・ジェット・シンによる襲撃の標的となったのは、当時の妻・倍賞美津子とショッピングを楽しんでいたアントニオ猪木だった。1971年に1億円の結婚式でも話題になった夫婦が、突如インドからやってきたヒールレスラーと二人の外国人レスラーに襲われてしまう。
タイガー・ジェット・シンによる襲撃の標的となったのは、当時の妻・倍賞美津子とショッピングを楽しんでいたアントニオ猪木だった。1971年に1億円の結婚式でも話題になった夫婦が、突如インドからやってきたヒールレスラーと二人の外国人レスラーに襲われてしまう。
新宿・伊勢丹付近で襲われたアントニオ猪木は、ガードレールやタクシーのボンネットに頭からぶつけられ、プロレスのテレビ中継さながらに流血。また、場所柄多くの一般人が賑わう街中での暴行は、案の定警察に通報される事になる。
《警察からの厳重注意》
事件後に警察からは、アントニオ猪木が被害届を出して傷害罪で訴えを起こすか、もし新日本プロレスによるヤラセであれば、道路交通法違反(道路無許可使用)で処分する旨を伝えられたと言う。
これに対し新日本プロレスは、ヤラセではない事と契約選手であるタイガー・ジェット・シンを告発することは出来ない事を明らかにした上で、騒ぎに対する始末書を提出。警察からの厳重注意を受けたそう。
《ヤラセ疑惑》
この事件は翌日の新聞でも一斉に報じられるなど、世間を震撼させタイガー・ジェット・シンの狂人っぷりが一躍全国区となった。しかし、この事件は手の込んだヤラセではないかという疑念もファンには根強く残った。
実際にこの事件はいまだに“ホントかウソか誰も分からない”状態で、真相はタイガー・ジェット・シンのみぞ知るといった所だろうか。
実際にこの事件はいまだに“ホントかウソか誰も分からない”状態で、真相はタイガー・ジェット・シンのみぞ知るといった所だろうか。
アントニオ猪木本人は、当時の新日本プロレスには面白い事を何でもやるという雰囲気があった事を考慮して、「俺に内緒でそういうことを仕掛けるくらいのことはやりかねなかった。」と述べている。
《タイガー・ジェット・シンvsアントニオ猪木の対戦カードは新日本プロレスの目玉に!》
この事件以降、タイガー・ジェット・シンvsアントニオ猪木の対戦は「因縁の対決」となり、両者血だらけの喧嘩ファイトを行うなど大きな注目を集める事となった。アントニオ猪木による執拗なアームブリーカー攻撃でタイガー・ジェット・シンの右腕が折れるなど、衝撃的なシーンも生まれている。
1981年にタイガー・ジェット・シンが新日本プロレスを離れるまでに40回近い一騎打ちが行われ、ダフ屋により会場のチケット代が数倍に膨れ上がる様子もしばしば見られた。
1981年にタイガー・ジェット・シンが新日本プロレスを離れるまでに40回近い一騎打ちが行われ、ダフ屋により会場のチケット代が数倍に膨れ上がる様子もしばしば見られた。
対戦成績ではアントニオ猪木が圧勝しているが、それ以上にそれまで正統派だったアントニオ猪木のファイトスタイルが、タイガー・ジェット・シンとの闘いにより、喧嘩ファイトという新たな切り口を開拓した事で、より多くのファンの支持を受けた。これは新日本プロレスがよりメジャーな団体へなる一因となったとも言われている。
《タイガー・ジェット・シンってどんなレスラーだっけ?》
タイガー・ジェット・シン。本名はジャグジート・スィン・ハンス。
フェンシングのサーベルを振りかざす姿で一世を風靡した悪役レスラー。ただ、日本に来る前はベビーフェイスとして活躍していた。
フェンシングのサーベルを振りかざす姿で一世を風靡した悪役レスラー。ただ、日本に来る前はベビーフェイスとして活躍していた。