デビュー、そして「邪道」との出会い
1988年、たけしプロレス軍団のオーディションに合格してプロレス入り。アポロ菅原に受身やプロレスの基礎を学ぶ。当時のことを「練習生はかなり厳しいことをやらされると聞いていたので、練習に耐える練習をしていた。だからそれほど苦労は無かった」と後に語っている。当初のリングネームはブラック・ウルフ。
1989年3月19日、オランダ・アムステルダムのエイデンホールにおける、モンキーマジック・ワキタ(現:スペル・デルフィン)戦でデビュー。
1990年3月、ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げに参加。「ブルドッグ・KT」のリングネームで「クーリー・SZ(ショージ(後の邪道))」と共に、タッグチーム『パニッシュ&クラッシュ(略称:パニクラ)』を結成。ロード・ウォリアーズのオマージュ・キャラクターのような出で立ちで活躍。
なんと!!邪道と同じく「たけしプロレス軍団」がデビューのきっかけだったんですね!!
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WARに主戦場を移し、冬木軍の一員として活躍
1994年2月、ウルティモ・ドラゴンの誘いを受け、邪道と共にWARに主戦場を移してからは、冬木弘道、邪道と共に冬木軍を結成し、メジャー・インディー問わずに暴れまわる。この時代に冬木、阿修羅・原に鍛え上げられ、現在でも邪道と共に両者を心の師として仰いでいる[1]。この頃はまだ両者共肉体改造前で、小さめのTシャツにモンペ風のズボンという、同色、お揃いのコスチュームであった。
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スーパーJカップに2年続けて出場!!
1995年12月13日、両国国技館で行われたスーパーJカップ2nd STAGEに出場。茂木正淑、ドス・カラス、ワイルド・ペガサスら強豪を次々と破り決勝戦にコマを進めるも、決勝で獣神サンダー・ライガーの雪崩式フィッシャーマン・バスターの前に敗れ、準優勝となる。
肉体改造の結果、邪道外道はコンプリートタッグへ!!
邪道・外道としては大日本プロレス、格闘探偵団バトラーツなどのインディー団体を中心に参戦し、2001年6月、宇都宮大会より邪道と共にTEAM 2000のメンバーとして新日本プロレスに本格的に参戦。体重を落とし、ジュニアヘビー級にその主戦場を移した。この頃から邪道と共にプロレス界には珍しく科学的なトレーニングを取り入れ肉体改造を行い、筋骨隆々な肉体へと変貌を遂げ始める。
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輝かしいタイトルの数々
新日本プロレス
第7代、11代、13代、17代IWGPジュニアタッグ王座(パートナーは邪道)
ジュニアトライアスロンサバイバー 優勝(パートナーは金本浩二&邪道)
WEW
初代、第5代、6代、10代WEWタッグ王座(初代、第5代、6代、10代)(パートナーは中川浩二:2回→邪道→田中将斗)
第4代WEWハードコアタッグ王座(パートナーは邪道)
第2代、6代、10代、11代WEW6人タッグ王座 (パートナーは邪道&中川浩二:2回→邪道&中山香里→邪道&田中将斗)
FMW
第21代世界ブラスナックル・タッグ王座(パートナーは中川浩二)
世界ストリートファイト6人タッグ王座
WAR
初代WAR認定インターナショナルジュニアヘビー級王座
初代WAR認定インターナショナルジュニアタッグ王座(パートナーは邪道)
初代・第3代・第6代・第8代・第10代WAR認定世界6人タッグ王座(パートナーは邪道、冬木弘道)
大日本プロレス
第3代BJW認定タッグ王座(パートナーは邪道)
UWA
UWA世界6人タッグ王座
初代UWA&UWF認定インターコンチネンタルタッグ王座(パートナーは邪道)
NWA
ロッキーマウンテン・レスリング認定ミッド・ヘビー級王座
プロレス大賞
2001年プロレス大賞 年間最優秀タッグ賞(パートナーは邪道)