元々はお笑いが「演芸」「漫才」の順でムーブメントとなり、その次にテレビで一大ブームを巻き起こした流れを差して、当時のテレビで活躍していた世代を「お笑い第三世代」と称したことから始まっているようです。
従って「演芸=第一世代」「漫才=第二世代」は後付け、第四世代以降については曖昧(第三世代が中心のまま裾野が広がっていったようにも見える)で、ただ単に芸人さんたちのデビュー時期で括っているようにも見えます。
もしかすると「テレビ全盛期のお笑い=第三世代」と一纏めにして「ネット(youtuber)=第四世代」の方が、後世には分かりやすいのかもしれませんね。
従って「演芸=第一世代」「漫才=第二世代」は後付け、第四世代以降については曖昧(第三世代が中心のまま裾野が広がっていったようにも見える)で、ただ単に芸人さんたちのデビュー時期で括っているようにも見えます。
もしかすると「テレビ全盛期のお笑い=第三世代」と一纏めにして「ネット(youtuber)=第四世代」の方が、後世には分かりやすいのかもしれませんね。
お笑い第一世代
1962年頃から1969年頃まで続いた、テレビの演芸番組を中心としたブーム。
景気後退の中、番組制作費が抑制された各局は制作コストがかからず視聴率が取れる演芸番組に傾斜。また、視聴者の側も不景気による沈滞ムードの中、テレビに笑いを求めていました。
景気後退の中、番組制作費が抑制された各局は制作コストがかからず視聴率が取れる演芸番組に傾斜。また、視聴者の側も不景気による沈滞ムードの中、テレビに笑いを求めていました。
代表的な番組
日本テレビ『お笑いカラー寄席』『笑点』『お笑いモダン亭』『夜の笑待席』
フジテレビ『お茶の間寄席』『お笑いタッグマッチ』
NETテレビ『大正テレビ寄席』『日曜演芸会』『テレビ演芸場』『お笑い0番地』
朝日放送『かねてつトップ寄席』『シャボン玉寄席』
関西テレビ『お笑いとんち袋』
読売テレビ『ライオンお笑いネットワーク』
名古屋テレビ『東西デラックス寄席』
NHK総合(NHK大阪製作)『土曜ひる席』
多くの人にとっては「笑点」くらいしか分からないかもしれません。
笑点は第一世代からずっと続いている唯一の番組ということになりますね。
笑点は第一世代からずっと続いている唯一の番組ということになりますね。
笑点 100124
via www.youtube.com
代表的なタレント
落語 6代目三遊亭圓生、4代目柳亭痴楽、2代目三遊亭歌奴(3代目三遊亭圓歌)、2代目三遊亭小金馬(現:4代目三遊亭金馬)、初代林家三平、3代目古今亭志ん朝、5代目三遊亭圓楽、7代目立川談志、5代目月の家円鏡(8代目橘家圓蔵)、桂歌丸、4代目三遊亭小圓遊、8代目古今亭志ん馬、6代目笑福亭松鶴、3代目桂米朝、5代目桂文枝、3代目桂春団治、2代目笑福亭松之助、初代森乃福郎、3代目笑福亭仁鶴、月亭可朝、桂三枝(現:6代桂文枝)
漫才 中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、かしまし娘、京唄子・鳳啓助、海原お浜・小浜、平和ラッパ・日佐丸、若井はんじ・けんじ、上方柳次・柳太、漫画トリオ、人生幸朗・生恵幸子、浅草四郎・岡八郎、正司敏江・玲児、レツゴー三匹、横山やすし・西川きよし、リーガル天才・秀才、コロムビア・トップ・ライト、Wけんじ、獅子てんや・瀬戸わんや、青空千夜・一夜、青空はるお・あきお、青空球児・好児、晴乃ピーチク・パーチク、晴乃チック・タック、新山ノリロー・トリロー、内海桂子・好江
漫談 牧伸二、東京ぼん太、ケーシー高峰
ボードビル・大道芸 早野凡平
コント てんぷくトリオ、トリオスカイライン、ナンセンストリオ、トリオ・ザ・パンチ、ギャグメッセンジャーズ、コント55号、ストレートコンビ、コント・ラッキー7
コミックバンド ハナ肇とクレージーキャッツ、ドンキーカルテット、ザ・ドリフターズ
ボーイズ 灘康次とモダンカンカン、横山ホットブラザーズ
声帯模写・腹話術 小野栄一、桜井長一郎、八代英太、川上のぼる
奇術 アダチ龍光、ゼンジー北京、伊藤一葉
太神楽曲芸 海老一染之助・染太郎
超がつくほどの大御所たちの名がズラリと並びます。
すでにお亡くなりになった方も多いですが、この方たちが50年以上前に「お笑い」を日本社会に届けていたのですね。
すでにお亡くなりになった方も多いですが、この方たちが50年以上前に「お笑い」を日本社会に届けていたのですね。
歴代の笑点司会者の経歴をプレイバック - Middle Edge(ミドルエッジ)
放送開始から50年も経つ今も、視聴率が20%を超える日曜夕方の定番番組「笑点」。テレビは見ないけど、笑点だけは習慣で見る!なんて人も多いのではないでしょうか。50年を機に、司会者が春風亭昇太に変わりましたが、今までで6名変わっています。歴代司会者から笑点をプレイバックしていきましょう。
お笑い第二世代
1979年から1982年頃まで続いた、テレビの演芸番組を中心としたブーム。
演芸ブームの後、コント55号やザ・ドリフターズの2強時代となり、彼らがけん引する形で東京発のバラエティー番組がお笑いの主流を占めていました。
大阪では演芸ブーム以降に吉本興業の漫才師が台頭し、特に若者に人気の高かった中田カウス・ボタンを筆頭に笑いの潮流が吉本側に傾きつつあったものの、全国向けの関西演芸はかしまし娘やレツゴー三匹などが松竹芸能の力が強い時代でした。
1979年になると澤田隆治、横澤彪といったテレビマン達によって、当時は寄席演芸の色物(傍流)だった漫才がテレビのメインコンテンツに躍り出ました。これを機に当時の若手上方漫才師達は一躍時代の寵児となり、笑いが流行の最先端となりました。
東京においては小劇場やライブ・スペースを活動拠点にした笑いのストリームが生まれつつありました。また自身でネタを構成する芸人や、深夜放送のハガキ職人出身の放送作家の増加に伴い、若者うけのよい、スピーディーで毒や刺激の強いお笑いが増えていくことに。
また当時は若手の女芸人が少なかったこともあり、芸歴で言えばお笑い三世代に属する山田邦子が新人ながらいきなりブレイク、1つ上の第二世代に混じって台頭していきました。
演芸ブームの後、コント55号やザ・ドリフターズの2強時代となり、彼らがけん引する形で東京発のバラエティー番組がお笑いの主流を占めていました。
大阪では演芸ブーム以降に吉本興業の漫才師が台頭し、特に若者に人気の高かった中田カウス・ボタンを筆頭に笑いの潮流が吉本側に傾きつつあったものの、全国向けの関西演芸はかしまし娘やレツゴー三匹などが松竹芸能の力が強い時代でした。
1979年になると澤田隆治、横澤彪といったテレビマン達によって、当時は寄席演芸の色物(傍流)だった漫才がテレビのメインコンテンツに躍り出ました。これを機に当時の若手上方漫才師達は一躍時代の寵児となり、笑いが流行の最先端となりました。
東京においては小劇場やライブ・スペースを活動拠点にした笑いのストリームが生まれつつありました。また自身でネタを構成する芸人や、深夜放送のハガキ職人出身の放送作家の増加に伴い、若者うけのよい、スピーディーで毒や刺激の強いお笑いが増えていくことに。
また当時は若手の女芸人が少なかったこともあり、芸歴で言えばお笑い三世代に属する山田邦子が新人ながらいきなりブレイク、1つ上の第二世代に混じって台頭していきました。
代表的な番組
フジテレビ『THE MANZAI』『笑ってる場合ですよ!』『クイズ漫才グランプリ』『お笑い大集合』
日本テレビ『お笑いスター誕生!!』
テレビ朝日『ザ・テレビ演芸』『お笑い夏(冬)の陣』(朝日放送と共同製作)
関西テレビ『花王名人劇場』『激突!お笑いルーレット』
「第二世代=漫才」と定義すると上記のような番組となりますよね。
ただ、ここにはあがっていませんでしたが「8時だよ全員集合」や「オレたちひょうきん族」などもこの世代に入ってくるのだと思います。
ただ、ここにはあがっていませんでしたが「8時だよ全員集合」や「オレたちひょうきん族」などもこの世代に入ってくるのだと思います。
【80s】 懐いお笑い 紳助 竜介 伝説の漫才
via www.youtube.com
代表的なタレント
漫才 横山やすし・西川きよし、B&B、ザ・ぼんち、ツービート、のりお・よしお、紳助竜介、オール阪神・巨人、今いくよ・くるよ、太平サブロー・シロー、春やすこ・けいこ、星セント・ルイス、おぼん・こぼん
落語 春風亭小朝、2代目桂枝雀、桂文珍、三遊亭圓丈、桂小つぶ(現:桂枝光)、林家しん平、金原亭駒平(現:金原亭世之介)、笑福亭鶴瓶、明石家さんま
コント コント赤信号、ゆーとぴあ、ヒップアップ、コント・レオナルド、ギャグ・シンセサイザー、シティボーイズ、関根勤・小堺一機、志村けん
一人コント 小柳トム、イッセー尾形、山田邦子、九十九一
漫談 バラクーダ、竹中直人、でんでん
奇術 マギー司郎、ナポレオンズ
物真似・形態模写 タモリ、片岡鶴太郎、コロッケ
「お笑いビッグ3」や志村けんなど、いまもテレビ番組で大御所として活躍する世代がこの第二世代でしょうね。