【訃報】野茂英雄の恩師・ドジャース元監督のトミー・ラソーダさん死去。
2021年1月12日 更新

【訃報】野茂英雄の恩師・ドジャース元監督のトミー・ラソーダさん死去。

ロサンゼルス・ドジャースの元監督で、1995年に野茂英雄がメジャーデビューした際の監督として著名なトミー・ラソーダさんが、1月7日に亡くなっていたことが明らかとなりました。93歳でした。

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【訃報】野茂英雄の恩師・ドジャース元監督のトミー・ラソーダさん死去。

ロサンゼルス・ドジャースの元監督で、1995年に野茂英雄がメジャーデビューした際の監督として著名なトミー・ラソーダさんが、1月7日に亡くなっていたことが明らかとなりました。93歳でした。

第一報はこちらです!

ラソーダさんは1927年、アメリカ・ペンシルベニア州生まれ。1954年にドジャースで投手としてメジャーデビューし、1960年に現役を引退。その後は1976年から1996年にかけてドジャースで監督を務め、1995年には、日本人メジャーリーガーとして渡米したばかりの野茂英雄を「息子」と呼び指揮しました。

ラソーダさんの訃報には多数の野球関係者が追悼コメントを寄せており、野茂は「感謝しても感謝しきれない」と、現役時代を述懐。野茂の女房役として知られるマイク・ピアザも「私と私の家族の人生を変えてくれた恩人」と、恩師の死を悼みました。

マイク・ピアザの追悼コメント。

トミー・ラソーダとはどのような人物なのか?

日本人にとっては「野茂がメジャーリーグに挑戦した際のドジャース監督」という印象が強いラソーダさん。現役時代は野茂同様に投手であり、1944年にフィラデルフィア・フィリーズに入団したのち、1949年にはブルックリン・ドジャースへと移籍。そして1954年にはドジャースで待望のメジャーデビューを果たしました。しかしながらメジャーでの戦績は振るわず、1960年には現役を引退しています。
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1956年当時のラソーダさん。
メジャーリーガーとしては大成しなかったラソーダさんですが、現役時代に他の選手の相談相手となっていたことを買われ、翌1961年にドジャースのスカウトに就任。そして1966年から1968年にかけてドジャース傘下のオグデン・ドジャースの監督に就任し、3度の優勝を飾る手腕を発揮しました。その後もドジャース傘下のチームの監督を務め、さらに1973年にはロサンゼルス・ドジャースの三塁コーチに就任することとなります。
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1969年から1971年にかけて監督を務めた「スポケーン・インディアンス」
そして1976年9月、ラソーダさんはついにロサンゼルス・ドジャースの監督に就任。1996年に退任するまでの20年の間に、リーグ優勝4回、ワールド・シリーズ優勝2回と華々しい実績を残しました。そんなラソーダさんには他球団への移籍の噂が絶えず、マスコミから移籍の噂について聞かれることもあったものの、その際に「私の体にはドジャーブルーの血が流れている」と噂を一蹴したエピソードが今でも語り草となっています。
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ジョージ・H・W・ブッシュとともに。
1995年には、野茂英雄がメジャーリーグに挑戦するためドジャースに入団。ラソーダさんはそんな野茂を「歳の離れた息子」として扱い、積極的に試合に登板させ野茂の初期のキャリアを支えました。そんな経緯からラソーダさんは日本でも有名になり、度々来日。「野茂は息子」に加え「長嶋茂雄と星野仙一は私の兄弟」ともコメントするなど、親日家ぶりを披露していました。

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1996年には健康上の理由でドジャース監督を勇退したラソーダさん。翌1997年にはアメリカ野球殿堂入りを果たし、監督時代の背番号である「2」はドジャースの永久欠番となりました。なお、その後も野球に関わり続けており、2000年にはシドニーオリンピックの野球のアメリカ代表チームの監督に就任。同チームは見事金メダルを獲得しています。
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2005年にはプロフェッショナル・ベースボール・スカウト基金から「20世紀最高の監督」に選出され、翌2006年には「トミー・ラソーダ賞」が創設されるなど、メジャーリーグの歴史にその名を刻んだラソーダさん。近年では、2017年の第4回ワールド・ベースボール・クラシックにて野茂とともに始球式に登場するなど、その健在ぶりをアピールしていましたが、2020年に入ってから心臓の疾患の治療を行っており、このたびの訃報となりました。メジャーリーグを代表する監督として、そして日本人メジャーリーガーのパイオニア・野茂英雄を育てた恩師としてのラソーダさんの功績は、これからも語り継がれていくに違いありません。ご冥福をお祈り申し上げます。
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2010年のラソーダさん。
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