まずは、今話題の【パット・ベンディット】
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左右両方の腕で投球ができる、プロレベルでは極めて希少なスイッチピッチャーとして知られる。もともとは右投げであるが、3歳の時から父親の指導で左投げも練習するようになった。右では縦に大きく割れるカーブ、左ではスライダーを武器とする。かつては、右がオーバースローの本格派、左がサイドスロー[7]の軟投派と投球フォームやスタイルも異なっていた(直球の最速は右が146km/h、左が133km/h=大学当時)。しかしながら、右肩の故障などによって右においてもサイドスローに近い投球フォームへと転向し、2015年のメジャー初登板の際には、左右双方でサイドスローからの投球を行った。
パット・ベンディット・ルール
2008年6月19日のプロデビュー戦(対ブルックリン・サイクロンズ)で、9回二死一塁の場面からスイッチヒッターのラルフ・エンリケスと対戦。「スイッチピッチャー対スイッチヒッター」という夢の対決を実現させる。
2008/6/20 switch thrower VS switch hitter - YouTube
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当初左で準備していたベンディットだが、エンリケスが右打席に入ったのを見て右にスイッチ。それを見たエンリケスが左打席に…といったように、1球目を投げる準備におよそ5分も要してしまう。これに業を煮やしたベンディットは審判に抗議、最終的に見かねた審判が協議の上、まず先に打者のエンリケスが打席を選択するよう指示。右対右の対決となり、ベンディットが三振を奪って勝利した。
その後、「投手が先にどちらで投げるか示さなければいけない」という公式ルールが定められた。これは俗に「パット・ベンディット・ルール」と呼ばれている。
これを受けて、日本でも2010年の公認野球規則にが追加された。
過去の左右両投げ投手
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1987年のドラフト外で南海ホークスに入団。入団テストで左右両投げを披露し、話題となった。「まず左を一人前にしてから」という杉浦監督の方針で投球練習の7割方は左投げを中心に行われた。左腕での投球フォームはオーバースローだったが、右腕での投球フォームはアンダースローだった。
増田一樹(ますだ・かずき)1997年(平9)1月1日、埼玉・所沢市生まれ。小学4年で所沢市の少年野球チーム「中冨スカイラークス」に所属。右投手としてプレー。右肘を故障し、所沢中央中では左投げ一塁手に。所沢商では1年秋から左投手となり、2年冬に右投手の練習も始めた。憧れの投手はソフトバンク森福。178センチ、78キロ。両投げ右打ち。
元々コーコランの利き腕は右手だったのだが、1884年6月10日にクリーブランドと対戦した試合で、初めて投げる腕の左右を変えて投球した。また6月16日のバッファロー・バイソンズとの試合では、中継ぎとして登板した際に投げる腕の左右を変えながら4イニング登板したという記録も残している。これは現在でも、1試合の中で腕の左右を変えながら投げた記録としてはメジャー最長の登板回数である。
主にシンシナティ・レッズで活躍し、通算284勝をあげた19世紀の代表的な投手の一人。メジャーリーグ史上初めて、左右の腕で投げたという記録も持つ。
メジャーリーグでも数少ない、1試合の中で左右両腕で投げた投手として知られている。
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