『ゴジラ』(1954年・東宝) 日本の怪獣映画の元祖である。
封切りと同時に、当時としても例を見ない観客動員数を記録して空前の大ヒット。東宝の同年度の初日動員観客数の記録を塗り替えた。
渋谷東宝に並ぶ観客の列は道玄坂まで伸び、待ち時間は2時間に達した。封切り初日は都内だけで14万 - 15万人の動員があったという。
あまりの大入りに、田中友幸自ら渋谷東宝や日劇でチケットもぎを手伝うこととなった。1番館での封切り動員だけで観客動員数は961万人に上り、国民のほぼ10人に1人はこの映画を見たことになる。
『ゴジラ』の成功は、当時がたついていた東宝の屋台骨を一気に立て直したとも言われている。
『ゴジラ』(1954年・東宝)予告編 - YouTube
水爆実験の結果生まれた水爆大怪獣「ゴジラ」(初代ゴジラ)は死の放射能を吐く
公開時のマスコミの論調では、「生き物が火を吐くわけがない」として『ゴジラ』をゲテモノ扱いする向きもあったが、本多は「放射能は炎でないことは分かっている。映画的な嘘である」としている。
本多はまた、「一番の被害者はいつも民衆である。この映画の原イメージは、自らの戦争体験である」と述べている。
山根恭平博士が作中で、ゴジラはジュラ紀から白亜紀にかけてまれに生息していた海棲爬虫類と陸上獣類の中間生態を持つ生物であり、水爆実験の影響で住んでいた環境を破壊され、地上に現れたと推定している。太平洋上で船舶を襲った後、大戸島を経て東京に上陸する。東京襲撃後、海底に潜伏しているところをオキシジェン・デストロイヤーで完全に溶解され死亡。
ゴジラの劇中初登場「嵐の夜の大戸島襲撃シーン」
水爆大怪獣の「ゴジラ」の初登場シーン。ここからゴジラは始った。怪獣「ゴジラ」の名を世界に轟かせた。
海外版『ゴジラ』は全米のみならず世界50か国で上映されて人気を呼び、400億円もの外貨を得ると共に、怪獣「ゴジラ」の名を世界に轟かせた。
スティーヴン・スピルバーグも少年時代に本作を観て「どうして怪獣をあんなに滑らかに動かせるんだろう」と衝撃を受けたという。
『ゴジラ』(1954年・東宝) (ゴジラのテーマ) - YouTube
ゴジラの暴威は日本全土を恐怖のどん底に叩き込んだ!銀座の「和光」「松坂屋」、さらに「国会議事堂」などの名所も破壊しまくった。
銀座のシンボル、和光(旧服部時計店)を破壊するゴジラ。映画を見た和光本社は激怒して、東宝を2年間出禁にした。
梶田によると映画を観た後、本当に銀座和光ビルが壊されたかどうか、確かめに来る人たちがいたという。
ゴジラの白熱光で炎上する松坂屋。松坂屋の社長は、「縁起でもない」と怒り狂ったという。1980年代まで東宝は出禁にされた。
制作会社の東宝は、1980年代まで松坂屋の店内ロケをさせてもらえなかったという。
『ゴジラ』のヒロイン・山根恵美子役:河内 桃子(こうち ももこ)。祖父は理研グループ総帥で子爵であった大河内正敏
『ゴジラ』(1954年・東宝)のヒロイン・山根恵美子役:河内 桃子(こうち ももこ)
1953年、東宝ニューフェイス(6期生)として東宝に入社。同期には宝田明、佐原健二、藤木悠と日活に移籍した岡田眞澄がいる。入社した年の『女心はひと筋に』で初出演を果たす。その後、出演5作目の『ゴジラ』のヒロイン・山根恵美子役に抜擢される。このため世間では「特撮俳優」のイメージが強いが、東宝在籍時の特撮映画には『ゴジラ』、『獣人雪男』、『地球防衛軍』の3作にしか出演していない(その後の1980年代のゴジラリバイバルブームで他3作ほど出演してはいる。
幼少の頃から有名な美女で、170cmの長身だったために祖父の正敏(理研グループ総帥で子爵であった大河内正敏)は桃子の写真を「自分の恋人」として人に見せびらかせていたという。
巨大怪獣ゴジラが登場するゴジラシリーズ第1作。日本の怪獣映画の元祖である。
海底に潜んでいた太古の怪獣「ゴジラ」が水爆実験により目を覚まし、日本の首都・東京を襲撃する。「ゴジラ映画」の記念すべき第1作。主要襲撃地点は大戸島、東京品川。
2度目の東京上陸後のルートは、芝浦岸壁 - 札の辻 - 田町駅前 - 新橋 - 銀座尾張町 - 銀座4丁目(松坂屋) - 数寄屋橋 - 国会議事堂 - 平河町 - 上野 - 浅草 - 隅田川 - 勝鬨橋 - 東京湾(ただし、上野から浅草を経て隅田川まで達する場面は劇中には無く、テレビの実況アナウンサーの台詞で処理されている)。
監督
本多猪四郎(本編)
円谷英二(特撮)
《出典 ゴジラ (1954年の映画) - Wikipedia》