【バース!掛布!岡田!】1985年、阪神伝説のバックスクリーン3連発!!!
2016年11月25日 更新

【バース!掛布!岡田!】1985年、阪神伝説のバックスクリーン3連発!!!

1985年、阪神クリーンアップによるバックスクリーン3連弾はまさに衝撃。ラッキーゾーンのある甲子園球場で一番距離のあるバックスクリーンにホームラン3連発、それは見事な破壊力でした。打たれたのは巨人の「ミスター・パーフェクト」槙原寛己。阪神が猛虎と呼ばれる理由がわかった、目の覚めるような出来事でした。

13,358 view

これが伝説のバックスクリーン3連弾だ~!

バックスクリーン3連発とは、1985年(昭和60年)4月17日に阪神甲子園球場で行われたプロ野球・阪神タイガース(以下阪神)対読売ジャイアンツ(以下巨人)の試合において、阪神の当時のクリーンナップ(3番ランディ・バース・4番掛布雅之・5番岡田彰布)が7回裏の攻撃時に、巨人の槙原寛己投手が6球を投じる間に3者連続でバックスクリーンおよびその左へ本塁打を放った出来事である。

阪神ファンの間では「伝説の三連発」とも呼ばれる。

阪神タイガース バース、掛布、岡田 伝説のバックスクリーン3連発 - YouTube

1985年(昭和60年)4月17日の巨人VS阪神戦

試合は1回表に巨人が阪神先発の工藤一彦からウォーレン・クロマティの2ランホームランで2点を奪い、その裏、阪神が巨人先発の槇原寛己から岡田のタイムリーヒットで1点を返すも、7回表に巨人がクロマティのタイムリーヒットで追加点を挙げ3-1となり、阪神が2点を追いかける状態となっていた。7回裏、2アウト一・二塁、ホームランが出れば逆転という場面で、ランディ・バースを迎える。

この年、シーズン終了時には三冠王となったバースではあるが、開幕からこの前の打席まで通算15打数2安打で打率.133、ホームラン0と絶不調に喘いでいた。しかしこの打席、槇原が投じた初球(試合開始から119球目)の143 km/hのストレート(本人はシュートを投げたと言っている)をファーストストライクの様に打ち返した打球は、低い弧を描きながらバックスクリーンに飛び込むシーズン第1号の3ランホームランとなり、チームは4-3と逆転する。普段はホームランを打った直後にさほど大げさに喜びを表さないバースが、このホームランの際には一塁ベースを回るところで珍しくガッツポーズを見せている。バース曰く、カーブの抜け球を狙い、それを掛布に伝えたという。

続いて打席に入った4番打者の掛布は、打率こそ.273であったが前日に逆転勝利の一因となったシーズン初ホームランを放っていた。2球を見送り、1ストライク1ボール(現在の名称で言うと1ボール1ストライク)で迎えた3球目、高めに入った144km/hのストレートをフルスイング、バックスクリーン左翼側のスタンドに飛び込むバースに続く連続ホームランとなる。

更に5番打者の岡田は、ここまでホームランはないながらも打率.333と好調であった。その時の心境を、後日「ヒットでいいという考えはなかった。こうなったら本塁打を狙うしかないやろう。」と振り返っている。初球のストレートを見送り、1ストライクノーボール(現在の名称で言うとノーボール1ストライク)の後の2球目、高目に入った槇原の129 km/hのスライダーをバックスクリーン左翼寄り中段に叩き込んだ。

見事な3連発による逆転劇に、阪神側応援席は狂喜乱舞、一方三塁側の巨人応援席からは空き缶が投げ込まれるなど対照的な反応となった。また3者連続被弾した槙原は「3連発を打たれた後、王監督がもの凄い表情でマウンドに上がってきた」と語っている。

ランディ・バース

ランディ・バース

ランディ・バース

ランディ・ウイリアム・バス(Randy William Bass, 1954年3月13日 - )は、アメリカ合衆国オクラホマ州ロートン生まれの元プロ野球選手(内野手)、政治家。
1977年から1982年までMLB、1983年から1988年まで阪神タイガースでプレイ。2004年からはオクラホマ州議会の上院議員(民主党)。
シーズン打率の日本記録保持者。2度の三冠王を獲得。

掛布雅之

掛布雅之

掛布雅之

掛布 雅之(1955年5月9日 - )は、千葉県千葉市中央区出身の元プロ野球選手(内野手)。

新潟県三条市の生まれで、大阪府豊中市在住。阪神の主力選手として活躍した現役時代から、阪神ファンやメディアの間で「(4代目)ミスタータイガース」と呼ばれることがある。

岡田彰布

岡田彰布

岡田彰布

岡田 彰布(1957年11月25日 - )は、大阪府大阪市中央区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。

1980年に阪神タイガースへ入団。1995年にオリックス・ブルーウェーブで現役を引退。その後、オリックス・阪神の二軍監督・コーチ・監督を歴任した。

被弾したのは「ミスター・パーフェクト」

槙原寛己

槙原寛己

槙原 寛己(まきはら ひろみ、1963年8月11日 - )は、愛知県半田市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。

史上15人目の完全試合達成者。2015年現在最後の達成者でもある。

斎藤雅樹、桑田真澄とともに1990年代の読売ジャイアンツを支えた先発3本柱の一人。愛称は「マッキー」「マキさん」「ミスター・パーフェクト」など。所属事務所はノースプロダクション。
18 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • 🐅 NPB ⚾ ショーワ 2022/3/20 04:41

    バースの応援で「♪ひーげモジャモジャバアス ひーげモジャモジャホームラン」と替え歌応援テーマ歌いました

    🐯⚾  2021/10/2 18:53

    「六甲おろし」は高校野球「栄冠は君に輝く」とともに”平成”元号替え歌

    すべてのコメントを見る (2)

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【真弓明信】恐怖の1番打者!猛虎打線の切り込み隊長!1985年の成績を振り返る

【真弓明信】恐怖の1番打者!猛虎打線の切り込み隊長!1985年の成績を振り返る

恐怖の1番打者と聞いて、真っ先に思い浮かべる選手は誰でしょうか?共通するのは、単にヒットをよく打つだけでなく、クリーンナップ並みにホームラン・長打もよく打つ強打者ということでしょうか。その筆頭の一人が阪神の真弓明信。1985年、猛虎打線の切り込み隊長として、21年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。当時の成績を振り返ります。
izaiza347 | 376 view
1985.阪神タイガース優勝劇 阪神が優勝すれば日本は変わる!バックスクリーン3連発、道頓堀ダイブ、カーネル・サンダースの呪い

1985.阪神タイガース優勝劇 阪神が優勝すれば日本は変わる!バックスクリーン3連発、道頓堀ダイブ、カーネル・サンダースの呪い

1985年、虎が長い眠りから覚めると、日本は熱狂のジャングルと化し、その優勝劇は、まさに「Tigers The Movie」、まるで映画のようでした。
RAOH | 1,997 view
1985年阪神日本一!あの時バースが居た

1985年阪神日本一!あの時バースが居た

相撲部屋と呼ばれた頃からの阪神ファン。85年の優勝にはほんとうに感動しました。あの時阪神にはバースという守護神がいたのです。
くりりん | 6,122 view
11月29日放送の「X年後の関係者たち」は1985年の阪神タイガース特集!伝説の「バックスクリーン3連発」を振り返る!!

11月29日放送の「X年後の関係者たち」は1985年の阪神タイガース特集!伝説の「バックスクリーン3連発」を振り返る!!

BS-TBSで放送中のトークバラエティ番組「X年後の関係者たち」の11月29日放送分にて、1985年の阪神タイガースが特集されます。
隣人速報 | 515 view
仲村トオル主演!1985年の阪神タイガースを描いたオリジナル音声ドラマ『1985タイガース 情熱のトラ男』が配信決定!!

仲村トオル主演!1985年の阪神タイガースを描いたオリジナル音声ドラマ『1985タイガース 情熱のトラ男』が配信決定!!

音声・動画の配信サービス『ZOWA』にて、仲村トオル、渡部優衣、金田明夫らが出演する1985年の阪神タイガースを描いたオリジナル音声ドラマ『1985タイガース 情熱のトラ男』が9月28日(水)より配信されます。
隣人速報 | 339 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト