70年代の日本を震撼させた「青酸コーラ」!!
皆さんは1977年に発生した「青酸コーラ無差別殺人事件」を覚えていますでしょうか?東京と大阪の電話ボックスなどに「青酸入り」のコーラが置かれ、それを飲んだ人が次々に倒れ、死者を出す惨事となった事件です。
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1977年1月、第一の事件が発生。
第一の事件が起こったのは1977年1月3日。東京・品川の公衆電話に置かれていた未開封のコーラを拾った当時16歳の男性が、飲んだ直後に倒れ意識不明の重体に。その後病院に運ばれたものの、まもなく死亡しました。検死の結果、死因は青酸中毒と判明。警察は事件として捜査することとなります。
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翌日、早くも第二の事件が!!
翌1月4日、第一の事件でコーラが置かれていた公衆電話から600メートルほど離れた場所で、当時46歳の男性が倒れているのが発見され、まもなく死亡が確認されました。現場にはコーラの瓶が発見され、そこから青酸反応が検出。
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第一・第二の事件は同一犯の可能性が極めて高いと警察は判断。ターゲットがコーラであったことからコーラが人気の若者世代、および毒物の入手が容易な塗装業者などをあたったものの、犯人の特定には至らず。結局、この二つの事件は1992年に公訴時効を迎え、迷宮入りとなってしまいました。
大阪で第三の事件が起こる!!
二つの事件が立て続けに起こった1か月後、2月13日に再び事件が起こります。大阪・藤井寺市の公衆電話にコーラの瓶が置かれ、それを飲んだ当時39歳の男性が意識不明に。コーラからは、やはり青酸反応が検出されました。なお、この事件で男性は一命をとりとめたのですが、「世間に顔向けできない」として自殺を図ってしまいました。結果的に被害者が亡くなってしまうという、何とも後味の悪い結末となりました。
コーラだけでなくチョコからも青酸が検出!!
第三の事件が起きた日の翌日である2月14日、今度は東京・八重洲で不審なチョコレートが発見されました。後日そのチョコの製造者が調査したところ、青酸化合物が検出。また「オコレル ミニクイ ニホンジンニ テンチュウヲ クタス(驕れる醜い日本人に天誅を下す)」という脅迫文も添えられていました。その後も都内でチョコに毒物が混入する事件が相次ぎ、一連の事件との関連を調べたのですが、物証に乏しくこちらも青酸コーラ同様に迷宮入りとなってしまいました。
こちらはお菓子に毒物を入れた同様の事件であるグリコ・森永事件。
※画像はイメージです。事件とは無関係です。
※画像はイメージです。事件とは無関係です。
事件を教訓に、食の安全性が向上!!
一連の事件を受けて、コカ・コーラを始めとした飲料会社は対応を協議。瓶の自動販売機の数を減らし、一度開栓したら元に戻せない「プルトップ」の缶ジュースの自販機が主流となりました。
この手のタイプの缶ジュースが主流となりました。
また瓶ジュースについても、初開封時に封印のリング状の部分がちぎれて落ちる構造とし、一目で開封済みか否かが判るようになりました。
※画像はイメージです。事件とは無関係です。