アトランタオリンピック最大の衝撃!日本サッカーマイアミの奇跡を振り返る
2016年11月25日 更新

アトランタオリンピック最大の衝撃!日本サッカーマイアミの奇跡を振り返る

1996年アトランタオリンピック。陸上、競泳、体操、柔道、テニス…と数々のスポーツ競技があるなかで、最大の衝撃!最大の番狂わせ!と言われているのが、男子サッカー日本vsブラジル戦です。いわゆる「マイアミの奇跡」と言われている一戦は、優勝候補と言われていたブラジルの猛攻を守備陣が防ぎ、奇跡の勝利を収めました。その日本サッカー衝撃の一戦を振り返っていきましょう。

3,269 view

アトランタオリンピック最大の衝撃!日本サッカーマイアミの奇跡を振り返る

1996年アトランタオリンピック。陸上、競泳、体操、柔道、テニス…と数々のスポーツ競技があるなかで、最大の衝撃!最大の番狂わせ!と言われているのが、男子サッカー日本vsブラジル戦です。いわゆる「マイアミの奇跡」と言われている一戦は、優勝候補と言われていたブラジルの猛攻を守備陣が防ぎ、奇跡の勝利を収めました。その日本サッカー衝撃の一戦を振り返っていきましょう。

サッカー 日本 VS ブラジル マイアミの奇跡 アトランタ五輪

マイアミの奇跡(マイアミのきせき)は、1996年アトランタオリンピック(以下アトランタ五輪と略)・男子サッカーグループリーグD組第1戦において、日本五輪代表がブラジル五輪代表を1対0で下した試合の日本における通称である。

アトランタ五輪男子サッカー競技は出場16カ国を抽選でA〜Dの4グループに分け、各グループ上位2チームが決勝トーナメントに進出する方式で行われた。アジア地区予選で2位となり、銅メダルを獲得したメキシコシティ五輪以来28年ぶりに五輪に出場した日本五輪代表はグループDに入り、初戦は南米地区代表のブラジル、2戦目はアフリカ地区代表のナイジェリア、3戦目はヨーロッパ地区代表のハンガリーと対戦することになった。ブラジル戦は五輪開催都市のジョージア州アトランタではなく、フロリダ州マイアミのアメリカンフットボール球技場マイアミ・オレンジボウルで開催された。

ワールドカップ1994年大会でW杯史上初の4回目の優勝を成し遂げたブラジルは、五輪ではまだ金メダルを獲得したことがなかった。ブラジルはワールドカップ1998年大会の予選が免除されていたことで真剣勝負の場がなく、代表チームの強化の意味合いも含め、A代表監督のマリオ・ザガロが五輪代表の監督も兼任。正規の23歳以下の選手としてロベルト・カルロス、ジュニーニョ・パウリスタ、サヴィオ、ロナウジーニョ、フラビオ・コンセイソンといったすでにA代表で活躍している若手選手を揃えた。さらに、この大会から認められたオーバーエイジ枠に当時のA代表のレギュラーであるベベット、リバウド、アウダイールを加入させ、優勝候補の大本命と目されていた。さらに、大会前に行われたブラジル五輪代表とブラジルA代表との練習試合では、驚くべきことに五輪代表が勝利した。

一方、日本は西野朗監督の意向でオーバーエイジ枠を使用せず、Jリーグ所属の23歳以下選手、アジア予選を戦ったメンバーで大会に臨んだ。当時の日本A代表経験者は前園真聖と城彰二の2人のみ、怪我で本戦メンバーから外れた小倉隆史を含めても3人だけだった。西野監督や山本昌邦コーチらスタッフは、スカウティング(以下、偵察と略すことあり)のために入手したブラジルの試合映像を見て「(自信を失わせない様に)選手達には見せない方が良いだろう」と思ったほど殆ど隙が見当たらず、選手個々人の能力、チームとしての総合力に大幅な開きがあることを痛感していた。日本のメディアを含め、下馬評ではブラジルの圧倒的有利が予想されており、日本がグループリーグを突破するためには得失点差の計算上、敗れるにしても大量失点を避けるべきとする意見もあった。

GK川口能活の神がかり的好セーブ

試合展開は、大方の予想通り、ブラジル代表の優勢で、シュートの嵐を受け続ける。それを、神がかり的な好セーブで、何度も日本のピンチを救ったのがGK川口能活だ。
 (1748834)

Kawaguchi_1996

口 能活(かわぐち よしかつ、1975年8月15日 - )は、静岡県富士市出身のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。

日本代表としてFIFAコンフェデレーションズカップ2001ベストイレブン、AFCアジアカップ2004ベストイレブンなどの受賞歴を持つ。国際Aマッチ出場数は日本代表歴代3位、同ゴールキーパー歴代1位の116試合を記録。4大会連続でFIFAワールドカップメンバーに選出されている(1998年 W杯フランス大会、2002年 W杯日韓大会、2006年W杯 ドイツ大会、2010年W杯 南アフリカ大会)。オシムジャパン、岡田ジャパンでは主将を務めた。

MF伊東輝悦の奇跡のゴール

 (1748837)

日本のロングフィードに、日本選手とブラジル選手が交錯、こぼれ球をMF伊東輝悦がゴールに押し込んだ!この1点が決勝点となり、マイアミの奇跡を起こす。

伊東輝悦 マイアミの奇跡 ブラジル相手に奇跡の先制ゴール 1996年アトランタ五輪

伊東 輝悦(いとう てるよし、1974年8月31日 - ) は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。Jリーグ・ブラウブリッツ秋田所属。楢崎正剛に抜かれるまでは、Jリーグディビジョン1の最多出場記録を保持していた。

MF前園真聖のキャプテンシー

 (1748842)

個性派軍団の日本代表をまとめていたのが、キャプテンの前園真聖。彼のキャプテンシーなしには、マイアミの奇跡はなかったのかもしれない。

マイアミの奇跡~前園真聖~1996アトランタ五輪

前園 真聖(まえぞの まさきよ、1973年10月29日 - )は、鹿児島県薩摩郡東郷町(現・薩摩川内市)出身の元サッカー選手。現在はサッカーコメンテーター・タレント。所属するマネジメント事務所はジャパンエフエムネットワーク、サニーサイドアップ。

日本が28年ぶりに出場した1996年アトランタオリンピックの予選突破の最大の功労者であり、本大会でブラジルに勝利した「マイアミの奇跡」のU-23サッカー日本代表キャプテン。

MF中田英寿の華麗なテクニック

37 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

豪華絢爛!アトランタオリンピック開会式が凄かった!

豪華絢爛!アトランタオリンピック開会式が凄かった!

1996年に行われた夏季オリンピック・アトランタオリンピック。世界一の経済大国アメリカでの開催は1984年ロサンゼルスオリンピック以来12年ぶり、それだけにアメリカのパワーを誇示するかのように、アトランタオリンピックの開会式はまさに豪華絢爛そのものでした。
yt-united | 7,873 view
感動!アトランタオリンピック名場面を振り返る!

感動!アトランタオリンピック名場面を振り返る!

スポーツの祭典であるオリンピックは、国境、人種関係なく、アスリートが自分の限界を超えトライする姿に感f動を生むものです。その感動は、時を超え、時代が変わっても、人々の心の中に深く記憶に残っていることでしょう。そこで、ここでは1996年アトランタオリンピックの名場面をプライバックしていきましょう!
yt-united | 9,165 view
【サッカー日本代表】ブラジル撃破!「マイアミの奇跡」を徹底解説!!

【サッカー日本代表】ブラジル撃破!「マイアミの奇跡」を徹底解説!!

1996年、日本サッカー「マイアミの奇跡」。震えましたね、あの試合は。ブラジルのシュートが28本、日本は4本という一方的な試合。にも関わらずワンチャンスをモノにしたあの試合は、いまでも忘れられません。いつの日かワールドカップでブラジル撃破を!!
青春の握り拳 | 34,337 view
意外と知られていない五輪でびっくりする事実・∩・コンドーム無料配布

意外と知られていない五輪でびっくりする事実・∩・コンドーム無料配布

意外と知られていない五輪でびっくりする事実。かつては都市伝説として語られてきた五輪選手村における避妊具・コンドームの無料配布について。アスリートたちの夜のハッスルと興味本位に書き立てられてきたが。そこには、日本のメーカーの地道な努力があった。オリンピッとコンドームについて時系列に調査してみた。
中村俊輔のサッカーノート Fantasista 破壊的なまでに超攻撃的サッカーは相手を完膚なきまでにたたきのめし、みる者を魅了する

中村俊輔のサッカーノート Fantasista 破壊的なまでに超攻撃的サッカーは相手を完膚なきまでにたたきのめし、みる者を魅了する

Fantasista(ファンタジスタ)とは、サッカーの国、イタリアで生まれた言葉で、ファンタジア(創造、想像力)を持つ選手、思いもつかないプレーで一瞬にしてチャンスをつくりだす特別な選手を指す。
RAOH | 3,468 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト