感動!アトランタオリンピック名場面を振り返る!
2017年3月28日 更新

感動!アトランタオリンピック名場面を振り返る!

スポーツの祭典であるオリンピックは、国境、人種関係なく、アスリートが自分の限界を超えトライする姿に感f動を生むものです。その感動は、時を超え、時代が変わっても、人々の心の中に深く記憶に残っていることでしょう。そこで、ここでは1996年アトランタオリンピックの名場面をプライバックしていきましょう!

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感動!アトランタオリンピック名場面を振り返る!

スポーツの祭典であるオリンピックは、国境、人種関係なく、アスリートが自分の限界を超えトライする姿に感f動を生むものです。その感動は、時を超え、時代が変わっても、人々の心の中に深く記憶に残っていることでしょう。そこで、ここでは1996年アトランタオリンピックの名場面をプライバックしていきましょう!
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アトランタオリンピックは、1996年7月19日から8月4日までアメリカのアトランタで行われた第26回夏季オリンピック。近代オリンピック開催100周年記念大会。2015年現在、アメリカで最後に行われた夏季オリンピックである。

近代オリンピック百周年にあたるこの大会の開催地は、第一回大会開催地のアテネでの開催が一部では有力視されていたが、結局決戦投票でアトランタに決定した。これに対して、五輪最大のスポンサーであるコカ・コーラ社の本社がアトランタにあることが決定の背景にあったのではないかという疑念の声も上がったが、実際にはアテネ以外の都市に投票した委員の票の多くが、回を追うごとにアトランタへと流れていったことがわかる。アテネは7年後に行われたIOC総会で2004年の夏季オリンピックの開催地に選ばれている。

メイン会場の「オリンピックスタジアム」は、この大会終了後に陸上競技場から野球場に改修してアトランタ・ブレーブスの本拠地として使用する計画のもとに建築された。そのためスタジアムに敷設された屋根の形状がアリーナの形とは必ずしも一致しないという特徴があった。「オリンピックスタジアム」は改修工事の後、1997年4月に「ターナー・フィールド」として再オープンした。

Power of the Dream - 1996 Summer Olympics - YouTube

出典 youtu.be

男子サッカー 日本オリンピック代表vsブラジルオリンピック代表

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今以上に世界では全然結果を残せていなかった日本男子サッカー。アトランタオリンピック、グループステージから、オーバーエイジで現役ブラジル代表のベベット、リバウド、アウダイールを加入され、ダントツの優勝候補だったブラジルオリンピック代表に、日本オリりンピック代表は、神がかり的なGK川口の好セーブを連発し、伊東輝悦のゴールで1-0で日本が勝利を収めた。
結局、他国には敗れ、グループリーグで敗退となってしまったが、この日本の勝利は「マイアミの奇跡」と言われ、アトランタオリンピック最大の衝撃とまで言われている。
マイアミの奇跡(マイアミのきせき)は、1996年アトランタオリンピック(以下アトランタ五輪と略)・男子サッカーグループリーグD組第1戦において、日本五輪代表がブラジル五輪代表を1対0で下した試合の日本における通称である。

アトランタ五輪男子サッカー競技は出場16カ国を抽選でA〜Dの4グループに分け、各グループ上位2チームが決勝トーナメントに進出する方式で行われた。アジア地区予選で2位となり、銅メダルを獲得したメキシコシティ五輪以来28年ぶりに五輪に出場した日本五輪代表はグループDに入り、初戦は南米地区代表のブラジル、2戦目はアフリカ地区代表のナイジェリア、3戦目はヨーロッパ地区代表のハンガリーと対戦することになった。ブラジル戦は五輪開催都市のジョージア州アトランタではなく、フロリダ州マイアミのアメリカンフットボール球技場マイアミ・オレンジボウルで開催された。

ワールドカップ1994年大会でW杯史上初の4回目の優勝を成し遂げたブラジルは、五輪ではまだ金メダルを獲得したことがなかった。ブラジルはワールドカップ1998年大会の予選が免除されていたことで真剣勝負の場がなく、代表チームの強化の意味合いも含め、A代表監督のマリオ・ザガロが五輪代表の監督も兼任。正規の23歳以下の選手としてロベルト・カルロス、ジュニーニョ・パウリスタ、サヴィオ、ロナウジーニョ、フラビオ・コンセイソンといったすでにA代表で活躍している若手選手を揃えた。さらに、この大会から認められたオーバーエイジ枠に当時のA代表のレギュラーであるベベット、リバウド、アウダイールを加入させ、優勝候補の大本命と目されていた。大会前にはブラジル五輪代表とブラジルA代表が練習試合を行ない、なんと五輪代表チームが勝っている。

一方、日本は西野朗監督の意向でオーバーエイジ枠を使用せず、Jリーグ所属の23歳以下選手、アジア予選を戦ったメンバーで大会に臨んだ。当時の日本A代表経験者は前園真聖と城彰二の2人のみ、怪我で本戦メンバーから外れた小倉隆史を含めても3人だけだった。西野監督や山本昌邦コーチらスタッフは、スカウティング(以下、偵察と略すことあり)のために入手したブラジルの試合映像を見て「(自信を失わせない様に)選手達には見せない方が良いだろう」と思ったほど殆ど隙が見当たらず、選手個々人の能力、チームとしての総合力に大幅な開きがあることを痛感していた。日本のメディアを含め、下馬評ではブラジルの圧倒的有利が予想されており、日本がグループリーグを突破するためには得失点差の計算上、敗れるにしても大量失点を避けるべきとする意見もあった。

『マイアミの奇跡』 ~日本がブラジルに勝った試合~ - YouTube

出典 youtu.be

マイケル・ジョンソン 200m、400mを世界新、大会新で金メダル

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アメリカのマイケル・ジョンソンが圧倒的な強さで陸上200m(世界新)、400m(大会新)で覇者となった。アメリカ人にしては珍しく、短足なスタイルで、背筋を反らせ、上半身よりも足が先に進んでいくように見えるぐらいの独特のピッチ走法は、こののちの日本人選手も参考になった。
特に200mは後半の100mのタイムが9秒2という衝撃的な速さで、度肝を抜かれた。
マイケル・ジョンソン(Michael Duane Johnson, 1967年9月13日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ダラス出身の元陸上競技選手である。身長185cm、体重78kg。5人兄弟の末っ子である。1996年にジェームスサリバン賞を受賞した。

400m、1600mRの世界記録保持者である。200mで21連勝、400mで56連勝を成し遂げる。背筋を伸ばした独特のピッチ走法に特徴がある。世界陸上で8個、オリンピックで4個の金メダルを獲得した。

1996年、全米五輪トライアル200mで、それまでの世界記録(19秒72)を17年振りに更新する19秒66をマーク。400mでも優勝し、アメリカ代表となる。アトランタオリンピックでは、初戦となる400メートル走で43秒49の五輪新で優勝。続いて200mでは自身の持つ世界記録を大幅に更新する19秒32の世界新記録で優勝。このときのタイムは、前半100mが10秒12、後半100mが9秒20という驚異的なものであり、彼自身『コーナーの出口で勝利を確信した。生涯最高のスピードで走っているとわかったよ』と語った。このレースで右ひざを痛めたため、このオリンピックではリレーを走っていない。このジョンソンの出した男子200mの記録は「向う100年は破られない」と言われていたが、それから12年の時を経た北京オリンピックにおいて、自身の眼前でウサイン・ボルトが出した19秒30という記録により終止符を打たれた。

200m World Record Michael Johnson - YouTube

出典 youtu.be

野村忠弘 柔道男子60㎏級 金メダル

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古賀稔彦、小川直也、吉田秀彦、田村亮子とスター選手揃いだった柔道アトランタ日本代表。そのため、大会前は野村の知名度、期待度は低く、アトランタの空港で報道陣が、他の選手を撮影するあまり、野村を押し倒すハプニングも。ただ野村はその時から金メダル取ると心に決めていたという。決してスター街道を走り続けた選手ではないが、ここからオリンピック三連覇という超偉業を成し遂げることとなる。
野村 忠宏(のむら ただひろ、1974年12月10日 - )は、日本の男性柔道家。医学博士。ミキハウス所属。柔道七段。得意技は背負投。身長164cm、体重62kg。

奈良県北葛城郡広陵町生まれ。天理高校 - 天理大学 - 奈良教育大学大学院-弘前大学大学院(医学研究科博士課程)修了。

オリンピックで金メダルを3度獲得しているが、3度とも翌日の有名スポーツ新聞の1面に載らず、谷亮子(田村亮子)が全て1面を飾っている。これはオリンピックで野村の男子60kg級と谷の女子48kg級が同じ日に行われるためである。1990年代から常にマスコミに注目をされ続けていた谷とアトランタ五輪まで無名であった野村ではマスコミの優先順位は谷の方にあるからである。野村曰く、アトランタオリンピックを取材したスポーツ新聞の記事に『田村亮子、まさかの銀メダル! 野村忠宏、まさかの金メダル』と書かれた、と自虐的に語っている。ただし、実際には谷と仲が良く、自身の引退会見では「(谷は)特別な存在。自分と同じ日の試合で、国民すべてのプレッシャーが一身に掛かっていた彼女はすごかったと思う。3大会とも(自分が谷と)同じ日に試合ができて良かった」と述べていた。
「練習漬け」になりがちな日本のスポーツ界では珍しく、アトランタオリンピックで優勝した直後から、右膝前十字靭帯の損傷で現役続行が危ぶまれるまでは意識的に休養期間を設定(詳細前述)。(夏季オリンピックが開催される)4年ごとにピークを作るべく、稽古(練習)から離れて心身を休めた後に、競技生活へ復帰するというサイクルを繰り返した。ただし、怪我が相次いでからは、「もう一度思い切り柔道をしたい」との一心で怪我と向き合いながら競技生活を続けた。

野村忠宏vsオジェギン(袖釣込み腰)ATL1996 - YouTube

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