たけし城にも登場したコワモテ俳優! 丹古母鬼馬二!!
皆さんは「丹古母鬼馬二(たんこぼ きばじ)」という人物を覚えていますでしょうか?70年代からテレビドラマ・映画の悪役などで活躍している個性派俳優であり、80年代には人気バラエティ番組「風雲!たけし城」に出演し、人気者となっていました。そのインパクトのある芸名は、皆さん聞き覚えがあるかと思います。この記事では、丹古母鬼馬二の過去の活躍から現在に至るまで、紐解いてみたいと思います。
1976年のNHK大河「風と雲と虹と」より。
70年代、「ケーキ屋ケンちゃん」などで注目を浴びる!
丹古母鬼馬二は1950年、広島県生まれ。高校中退後、劇団「シアター夜行館」などを経て1969年に映画「現代好色伝 テロルの季節」で映画俳優としてデビューしました。そして70年代に入ると、人気ドラマ「ケーキ屋ケンちゃん」の“ハタのおじさん”役をはじめ、「太陽にほえろ!」などのドラマ、松本清張原作「砂の器」などの映画の脇役として、多数の作品に出演するようになります。
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その豪快な風貌から、前述の「太陽にほえろ!」以外にも「Gメンシリーズ」「俺たちの勲章」「西部警察」といった刑事ドラマにチンピラなどの役どころで出演。1979年に放送された「探偵物語」では、松田優作の好演を引き立てる脇役として活躍していました。
「探偵物語」における一コマ。
そもそも何故「丹古母鬼馬二」なのか?
そもそも、何故彼の名前は「丹古母鬼馬二」なのでしょうか?これはもちろん本名ではなく、本名は神田満(かんだ みつる)と言います。
まず、何故「鬼馬二」になったのかと言うと、これは前述の劇団「シアター夜行館」の座長の芸名が「骸馬二(がい うまじ)」であり、その座長から「馬二」を貰い、さらに「鬼」と呼ばれていた自分の大きな犬歯と組み合わせて「鬼馬二(きばじ)」と名乗り始めたためです。
まず、何故「鬼馬二」になったのかと言うと、これは前述の劇団「シアター夜行館」の座長の芸名が「骸馬二(がい うまじ)」であり、その座長から「馬二」を貰い、さらに「鬼」と呼ばれていた自分の大きな犬歯と組み合わせて「鬼馬二(きばじ)」と名乗り始めたためです。
次に苗字の「丹古母」ですが、これは劇団が公演を行っていた新宿三丁目の喫茶店「コボタン」から取ったものであり、逆さにして「タンコボ」としたとのこと。ちなみに漢字については適当に付けており、「丹」は伊勢丹から取ったそうです。
こうして「丹古母鬼馬二」が誕生した訳ですが、そのインパクトある名前はいじられることが多く、ハナ肇から「そんなに長い名前だと損する。タンコにしなさい」とツッコミが入ったという逸話もあるとのことです。
こうして「丹古母鬼馬二」が誕生した訳ですが、そのインパクトある名前はいじられることが多く、ハナ肇から「そんなに長い名前だと損する。タンコにしなさい」とツッコミが入ったという逸話もあるとのことです。
風雲!たけし城の「悪魔の館」の人気キャラに!!
名前もキャラも超個性的な丹古母ですが、80年代に入ると八名信夫らとともに悪役俳優集団「悪役商会」を結成。中心メンバーの一人として、昭和の名悪役としての地位を確立していきました(現在は脱退)。さらに、バラエティ番組にも積極的に進出。中でも「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」への出演は、彼の知名度を大きく上げることとなります。
「たけし城」で彼が担当していたのは「悪魔の館」。真っ赤な長髪の悪魔役として、プロレスラーのストロング金剛とともに精鋭たちの行く手を阻んでいました。参加者が丹古母に捕らえられると、顔に墨を塗られてしまったのを覚えている方も多いかと思います。世代によっては、俳優としての活動よりも「たけし城」における悪魔キャラの方が有名かもしれません。
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